【ショートショート】行列のできる樹海の公衆電話
その公衆電話には、いつも行列ができていた。
青木ヶ原の樹海。苔むした遊歩道から少し外れた場所に、それはある。錆びついた緑色のボックス。受話器は黄ばみ、硬貨投入口には蜘蛛の巣が張っている。
もちろん、電話線なんて繋がっていない。
それでも人は並ぶ。老若男女、みんな静かに、じっと順番を待っている。
「あの電話、繋がるらしいよ」
最初にそう言い出したのが誰かは分からない。ただ、SNSで噂が広まった。
——樹海の公衆電話は、死んだ人に繋がる。
馬鹿げている。そう思いながらも、俺は列に並んでいた。財布の中の十円玉を、何度も指先で確かめながら。
一時間待った。
ボックスに入る。ガラス戸を閉めると、樹海の静寂がさらに深くなる。
十円玉を入れる。落ちる音がやけに大きい。
ダイヤルを回す。もう何年も使っていない、親父の携帯番号。指が覚えていた。
ツー、ツー、ツー。
話中音。当たり前だ。死んだ人間の電話が鳴るわけがない。
受話器を置こうとした、その時。
『——もしもし』
心臓が止まるかと思った。
親父の声だ。少しくぐもっていて、どこか遠いけど、間違いない。
「お、親父……?」
『おう。久しぶりだな』
何を言えばいいか分からなかった。伝えたいことは山ほどあったはずなのに、頭が真っ白になる。
「あの、俺——」
『公衆電話だろ。手短にな』
そうだ。十円玉。公衆電話は時間が限られている。
「俺、ちゃんとやってるよ。仕事も、それなりに」
『それなりか』
「……まあ、うまくいかないことの方が多いけど」
『当たり前だ。俺もそうだった』
沈黙。
受話器の向こうで、親父が小さく笑った気がした。
『お前、昔から不器用だからな。でも——』
プツッ。
通話が切れた。
十円分の時間は、あまりにも短かった。
ボックスを出ると、次の人が待っていた。
四十代くらいの女性。目が赤い。俺は軽く会釈して、場所を譲った。
帰り道、遊歩道を歩きながら考えた。
親父は最後に何を言おうとしたのか。
「でも——」の続きは、一生分からないかもしれない。
でも、不思議と足取りは軽かった。
翌週、また樹海に来た。
行列は前より長くなっていた。
財布の中には、十円玉を五枚。
今度はもう少しだけ、長く話せるだろうか。
列の最後尾につく。前に並んでいた中学生くらいの男の子が振り返って、小さく笑った。
「おじさんも、誰かに電話?」
「ああ、親父に」
「僕はおばあちゃん」
そうか、と俺は言った。
風が吹いた。樹海の木々がざわめいて、それはまるで、たくさんの声が重なっているように聞こえた。
受話器の向こう側で、誰かが出るのを待っている。
そんな気がした。
〈了〉
十円では足りないことばかりだ。生きている間も、死んでからも。

お読みいただきありがとうございます。
スキ、フォロー、コメントなどしていただけると励みになります。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます! 