#62 | cittoの記録 | “チー牛”って、陰キャのことなの?──言葉に潜むラベルの怖さ——
**citto(チット)**です。
読みに来てくださり、ありがとうございます。
休職5ヶ月目。
今日は、朝のニュースをきっかけに知った言葉について、記録を残しておきたいと思います。
今朝、初めて知った「チー牛」という言葉
朝のニュースで、ふと目に入った言葉。
——「チー牛」
わたしが知っている「チー牛」はチーズ牛丼。
文脈から想像できなかったので、何気なく調べてみた。
すると、そこに書かれていた意味に、思わず固まってしまった。
——「陰キャ」「冴えない人」「非モテ」
そんなニュアンスで使われる言葉だった。
チーズ牛丼を注文しそうな見た目の若者を揶揄するネットスラング。
見た目や雰囲気だけで、誰かを分類し、笑いの対象にする言葉。
——知らなかった。
でも、わたしの家族は知っていたようで、「え、知らなかったの?」と軽く言われて、そのことにも、少しショックを受けた。
わたしはチーズ牛丼が好き。
眼鏡もかけている。
コンタクトはアレルギーが出やすいので中止。
それって、誰かに「陰キャ」と決めつけられる理由になるのかな。
静かに過ごすことが好きで、目立つのが苦手で、でもそれって悪いことじゃないはず。
誰かに迷惑をかけているわけでもない。
それなのに、見た目や雰囲気だけで「陰キャ」とラベリングされることに、どうしても違和感がある。
「名詞」で人を括ることの怖さ
「陰キャ」「陽キャ」――そんな言葉で人を分けることに、何の意味があるんだろう。
その人のことを何も知らないまま、勝手に分類して、勝手に笑って。
それって、ちょっと怖いことだと思う。
わたしは、「名詞」で人を表すことがあまり好きではない。
その人の背景や感情、日々の営みを見ずに、ひとつの言葉で括ってしまうこと。
それは、理解ではなく、切り捨てに近い気がする。
「チー牛」という言葉に感じたのは、ただの違和感ではない。
誰かを馬鹿にするためだけに使われる言葉が、当たり前のように流通していることへの静かな恐怖。
言葉を使う前に立ち止まって考えたい
こうした言葉が、誰かの心を傷つけているかもしれないことを、見過ごしたくないと思う。
この違和感はわたしだけでしょうか?
きっと、この先も「怖いことば」は派生し続けてしまうでしょう。
でも、その言葉の派生を止めることはできなくても、「使わない」という選択はできる。
このnoteの投稿が、誰かの「言葉を選ぶ瞬間」につながれば、と思っている。
さいごに
わたしは、もう一度静かに問いかけたい。
——“チー牛”って、本当に必要な言葉ですか?
誰かを馬鹿にするためだけに使われる言葉なら、それは、わたしの世界にはいらないと思う。
今日はこのへんで。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
