頭でわかると、心はわからない
生まれた瞬間、人は一番“わかっている”
私たちは、生まれた瞬間が一番“わかっている”状態だと思いませんか?
知識はない。言葉もない。でも、なぜか迷いがない。 ただそのままの存在で、ただそこにいて、すべてとつながっている感覚だけがある。
エイブラハムの言葉で言えば、赤ちゃんはまだ“ソースにべったりつながっている状態”。 ジャッジも比較もなく、ただ純粋に「今」にいる。
では、私たちは成長するにつれどうなるのでしょう?
言葉を覚え、概念を覚え、社会のルールを覚え、 気づけば“わかった気になっている大人”になってしまう。
でも、本当にそれは“わかっている”と言えるのでしょうか?
赤ちゃんは、おそらく生まれた瞬間、「自分が何をしに来たか」を感じています。 それは使命というより、もっと軽やかなテーマのようなもの。
・愛を思い出しに来たのかもしれない。
・自由を味わいに来たのかもしれない。
・ただ、存在する喜びを体験しに来たのかもしれない。
では、あなたはどうですか?
あなたはこの人生で、どんなテーマを味わいに来たと思いますか?
エイブラハムは常にこう言います。 「望むことは、あなたの“本来の波動”が教えてくれている」
だとしたら── あなたの中の“望み”は、赤ちゃんの頃に知っていた感覚の名残なのかもしれません。
生まれた瞬間のあなたは、何を知っていたと思いますか?
コントラストが“望み”を浮き上がらせるということ
エイブラハムは「人間は感じるために生まれてきた」と言います。
ポジティブもネガティブも、どちらも同じ“体験”として尊いもの。
むしろ、ネガティブな感情はコントラストとして存在し、
その対極にある“望みの方向”をくっきり照らしてくれる。
例えば──
子どもと喧嘩してつらい夜
言いすぎてしまったり、相手の言葉に傷ついたり。
胸がぎゅっと締めつけられるような時間ってある。
でもそのつらさの奥には、必ず、 「本当は仲良くしたい」「もっと理解したい」という願いが同時に生まれている。
ネガティブを感じることで、隠れていた“愛の望み”が浮かび上がる。
コントラストは、望みの方向を指し示すためにある。
お米があと1合しかないと気づいた朝
なんとなくひもじい、心細いような感覚。
でもその瞬間、 「食べられることのありがたさ」がまるで光のように見えてくる。
普段気づかない“豊かさ”が、少しの不足をきっかけに一気に立ち上がる。
では、あなたは最近、どんなコントラストを味わいましたか?
そしてその裏側には、どんな“望み”が芽生えていますか?
外の世界は“きっかけ”でしかないということ
どんな体験も、結局は自分の“見える世界”に映って現れます。
だから私たちはつい、外側を変えようと必死になってしまう。
娘の態度を変えたい。
夫の言い方を直してほしい。
状況が落ち着いてほしい。
お金の流れをもっとよくしたい。
でも実は、外の世界はただ、こちらに“感じるきっかけ”を与えているだけなんですよね。
本当に感じているのは、自分自身。
外側ではなく、こちらの内側で起きている。
だからこそ、 感じたことを一度しっかり見つめ直して、少しずつ“心地よい方向”へシフトしていく。
すると不思議なことに、 何も変えていないのに、外の世界が変わったように見える瞬間が訪れる。
状況が優しくなったように感じたり、 相手が急に理解を示してくれたり、 タイミングが驚くほど合ってきたり。
でもそれは、外が変わったのではなく、自分の感じ方が変わったから。
あなたはいま、どんな“感じ方”を少しだけ変えてみたいと思っていますか?
そして――“わかろうとする”こともまた、人生の楽しみ
ここまで外側と内側の関係について触れてきましたが、もうひとつ、とても大切にしたい視点があります。
それは、 「わかろうとすることそのものが、人生の喜びになっている」ということ。
赤ちゃんのように、すべてを感覚で“知っていた”ところからスタートして、
私たちは少しずつ世界を言葉で理解しようとし、
人の心を知ろうとし、
自分を深く見つめようとする。
その“わかろうとするプロセス”こそが、
人生の中でいちばん豊かな遊びなのかもしれません。
混乱する日もある。
コントラストに揺さぶられる日もある。
「なんでこんなに苦しいんだろう」と思う日もある。
でも、それを感じながら、少しずつ理解に近づいていく。
その成長の体感こそ、魂がこの世界で味わいたかった“冒険”。
だから、どんな感情もどんな体験も、 すべては“わかること”に向かう途中の道標。
では、あなたはいま、どんなことを“わかろうとしている”最中でしょうか?
そのプロセス自体を、少しだけ誇らしく感じてみませんか?
