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「ネタがない」の正体は、経験不足じゃない。日常を“構造”で読めていないだけ

どうも、すたんれいです。

椅子が、ギシッと鳴った。

ただそれだけの話です。
たぶんネジが少し緩んで、どこかの接合部が擦れている。
普通はそこで終わります。油を差すか、座り方を変えるか、それで処理完了です。

ちなみに、長時間の作業で体に無理な負荷をかけない「構造」自体を整えることも大事です。ぼくはSteelcaseのリープチェアを使っていますが、座り仕事の摩擦を極限まで減らす意味では、かなり優秀なハードウェア投資だと思っています。

でも、ぼくはあの小さな異音を聞くと、いつも別のことを考えます。

ああ、これ、人間関係と同じだな。
仕事の現場とも同じだな。
脳疲労とも、家計とも、発信とも、だいたい同じ構造をしているな、と。

一部に負荷が偏る。
最初は静かに回る。
でも、限界が近づくと、接合部から“摩擦音”が出る。

愚痴。
先延ばし。
イライラ。
言葉の雑さ。
集中力の低下。
どれも、構造のどこかが軋み始めたサインです。

ここが、たぶん大事な分岐点です。

「ネタがある人」と「ネタがない人」の差は、
面白い出来事にどれだけ遭遇したかではない。

もっと地味で、もっと残酷な差です。

目の前の出来事を、そのまま“出来事”として消費して終わるのか。
それとも、そこから関係の形を抜き出して、別の場所でも使える“構造”として保存するのか。

差は、そこです。

ぼくは地方で暮らしながら、会社員をやって、副業のことを考えて、生活コストを削って、できるだけ労働を最小化する実験をしている人間です。
派手な成功談も、映える旅先も、毎週は出てきません。

でも、それでも書ける。
むしろ、書ける。

なぜか。

特別な経験が多いからじゃない。
日常を、日常のまま見ていないからです。



ネタ切れの人は、だいたい“固有名詞”で世界を保存している

多くの人は、出来事をそのまま脳内に保存します。

上司にこう言われた。
あの店で嫌な接客をされた。
家族にこう言われて腹が立った。
椅子が軋んだ。
渋滞にハマった。
スマホの通知で集中が切れた。

もちろん、それ自体は事実です。
でも、その保存形式のままだと弱い。

なぜなら、その情報はその場でしか使えないからです。

「椅子の異音」は椅子の話で終わる。
「上司の一言」は上司の話で終わる。
「渋滞」は道路の話で終わる。

全部、単発のイベントなんです。
一回限りのデータ。
再利用できない。
横展開できない。
だから、いくら生きても、経験が資産になりにくい。

要するに、人生のログが、毎回“使い捨て形式”で保存されているんです。

これは学びでも同じです。

本を読んだ。
動画を見た。
講座を受けた。
でも変わらない。

なぜ変わらないのか。

学びが足りないからではなく、学んだものが別の場所へ移植できる形に変換されていないからです。

仕事の本を読んで、仕事の話しかできない。
心理学をかじって、心理の話しかできない。
営業を学んで、営業にしか使えない。

これ、知識が少ないというより、知識の接続規格が作られていない状態です。

読んだ本が悪いわけじゃない。
あなたが無能なわけでもない。
ただ、保存の仕方が悪い。

かなり乱暴に言えば、これだけです。

日常が退屈なんじゃない。抽象化エンジンが止まっている

「毎日、何も起きないんです」
発信を始めた人が、かなりの確率でここで止まります。

でも本当は、何も起きていないんじゃない。
起きているものを、読めていないだけです。

目の前の世界には、いつも小さな異変があります。

スーパーで妙にレジが遅い。
冷蔵庫の中が中途半端に散らかっている。
返信しなきゃいけないLINEが何本も溜まっている。
机の上に、処理途中の紙が積み上がっている。
家に帰ると、なぜかどっと疲れる。

この全部に、構造があります。

でも多くの人は、表面だけを見る。
つまりGUIだけ見ている。
画面に映っている“見た目”の部分だけで終わる。

レジが遅い。終わり。
部屋が散らかってる。終わり。
疲れた。終わり。

それだと、ただの不快な出来事で終わります。

でも、裏側ではもっと静かなルールが動いている。

ボトルネックがある。
未完了が溜まっている。
意思決定が先送りされている。
注意資源が細切れになっている。
負荷の偏りが起きている。

世界は、表面の出来事でできているんじゃない。
出来事を発生させている、見えない関係の配置でできている。

ここに気づけるようになると、日常の見え方が一気に変わります。

退屈な一日だったはずなのに、
実はそこら中にログが残っていたことに気づく。

そして、ここから話が少し反転します。

面白い人は、語彙が多い人ではありません。
特別な経験が多い人でもありません。
その場の感情を大きく見せるのがうまい人でもない。

構造を抜くのがうまい人です。

そして、比喩が強い人は、表現が派手なんじゃない。
別の領域へ、その構造を差し替えるのがうまい人です。

つまり、抽象化とメタファーです。

ここを境に、世界は「ただの出来事の集まり」から、「無限に再利用できるソースコードの束」へ変わります。

この「出来事から構造を抜く」という感覚、つまり抽象化のOSを頭にインストールするなら、細谷功さんの『具体と抽象』が一番手っ取り早いです。これから発信を資産に変えたい人にとっては、必読のアップデートパッチだと思います。

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