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「Trio in Tokyo」Michel Petrucciani

最近、ペトルチアーニのCDを聞くことが多い。

朝出かける準備をしているときに、カーテンを開けながら。
仕事にいまいち集中できないとき、カタカタとキーボードをたたきながら。
ちょっと疲れたとき、ぼーっとお家で、お酒をのみながら。

はじめてペトルチアーニのCDに出会ったのは、名古屋駅のタワレコだったと思う。
ジャケ買いだったか、視聴してから買ったのか。記憶がない。学生のころ、夜にお酒を飲みながら本当によく聴いていた。繰り返し繰り返し、何度も聴いた。研究室に配属されて、学部生の頃、院生にあがりたての頃。指導教官とぶつかってへこみ、同じ院生とぶつかって怒りながら。自分でも何で、あんなにもカッカしていたんだろうと思うくらい、人とぶつかっていた頃。
ペトルチアーニのセカンドアルバム「Michel Petrucciani」に収録されている「Juste Un Moment」という曲が特に好きだった。

ミシェル・ペトルチアーニは、1999年に36歳の誕生日を迎えて10日後になくなった。1962年12月28日、南仏オランジェの家庭に音楽家の三男として生まれた彼は、先天性の骨疾患である大理石病のため、医師からは20歳までの命だろうと宣告されていたという。「内臓の位置が健常者とは大きく異なるので、何があっても不思議じゃないんだ」と20代にして語ったという彼は、生き辛さというか、向き合い続けながら生き続けた人なんじゃないかと、この曲を聴きながら思った。

ボクは2度、ジャズと出会っている。初めての出会いは、ビレッジバンガードに陳列された、商品とファッションとして。次に出会ったときには、まあどうでもいいような、でもどうしようもない自分の葛藤を、共有できそうな、そんな感じの経験として。ビレッジバンガードで買ったのは、クールストラッティンだった。かっこいいし、聴きやすい。大学3年生のときだった。んで、2度目。次にジャズと出会ったときに買ったのは、マイルスのアガルタだった。たぶん名古屋駅のタワレコで買ったと思う。若干の下調べをして、買った。何でこの人はこんなにもとんがっているのだろうと、はじめに聴いたときにはビックリした。まるで、「おらおら、かかってこいよ」といいながら、すごいはやさで、ずーっと前の方に走っていってしまう感じ。とんがって、ぶつかっていけばいいんだと、言われているような感覚になる。実際、この音楽を聴きながら、何度も人にぶつかった。

脱線する前に、話を元に戻す。ペトルチアーニのJuste Un Momentは、「ぶつかってこいよ」の系統に入る。一気に集中できるけれど、なんだか人の話を聴かなくなったり、心に余裕がなくなったり。そういうときに聴く。聴いていた。聴いてきた。アルバム全体がそんな感じだった。ペトルチアーニ自身が、かたくなに、世界とぶつかっていく感じだった。まじめなんだろうなと、思った。すごいと思った。それでも、今聴くとなんだか、アレっ?って感じになる。なんでだろう。

最近聴いていてしっくりくるのは、標題のアルバムに入っている「Home」という曲だ。仕事を終え、自宅に戻る。荷物を置いて、冷蔵庫を開けながらコンロに火をつけ、お湯をわかす。アスパラでもゆでながら、顔を洗う。顔をゴシゴシ。腰をおろして、ふーっと、息を吐きながら、すぅーと、息を吸い込みながら、よく聴く。時間を大切にしたいときに、聴く。人の声をもっともっと聞きたいときに聴く。

「本当にJuste Un Momentと同じ人が演奏しているのかなあ」、という感じにさえ、なる。とても楽しそうで。喜びを含んでいて。聴いていて、幸せな気持ちを分けてもらえる感じがする。ドレフェス・ナイトの「Looking up」なんかを間にはさむと、もっともっと明らかになる。楽しそうで、周りの音をききながら、口ずさんでいる感じがする。おそらくきっと、ペトルチアーニは、変わっていったんだろうなあと。たくさんの出会いと。向き合い続ける真摯さと。強さと。

小さな音に、耳をゆっくり傾けながら聴くと、落ち着くんだよね。

2013-07-27の日記を再掲。


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