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【小説】locate

 軽いからさ、簡単にくるりと寝返るね。幸せとか、穏やかとか、薄いピンク色をした幸福の言葉たちはさ。
 大寒。最低気温は五度。給湯器が壊れて、お湯が出なくなってしまったようです。冬のツンと鼻に抜ける空気は痛くて好き。結露した窓辺で、ぴちゃりと愉しげに水滴が死んでゆく。随分と楽しそうで、I am 置き去りです。結構なことです。

 築三十五年、姉と同い年。家賃七万円、駅から徒歩八分、1DKアパート、西向き。どんなに完璧な設計も、八年も住むといろいろなところにガタが来るらしい。昨日と何ら変わらないのに、水道からお湯が出ないだけでこんなにも心細くなるものなのだな。そんな日々のことを記します。ご査収くださいませ。

DAY1

 そう、あまりに突然のことで、呆然といたしました。
色々と調べてみたけれど、どうにも修理が必要らしい。明日も仕事だ。お風呂に入らないといけない。急いで、近所の昔ながらの銭湯に訪れることにした。番頭のおばさんに小銭を手渡し、赤色の暖簾をくぐる。入れ違いで出てゆく親子連れが、「おやすみなさい」と言うものだから不意を突かれた。慣れない水道に惑いながら身を清める。風呂椅子は淡いピンク色をしていて、写真の中の小さい私が着ていたワンピースのことをふいに思い出させた。湯船のお湯は熱めで、赤くて、痛くて、懐かしい。
 洗い場では常連とおぼしきおばあさんズの、楽しそうな世間話がよく響く。そうだ。帰ったら、冷蔵庫にあるアイスを食べようかな。明日は大家さんに連絡しなきゃ。さて、夜風は冷たかろう。

「おやすみなさい。」

 いつものシャンプーと同じもののはずなのに、よく香るもんだ。抹茶アイスを食べて、夜にゆるめの蓋をして眠りました。

DAY2

 今日は仕事が早く終わったので、バスで十個先の停留所近くにあるスーパー銭湯に行くことにした。いざ、服を脱ごうとセーターの裾に手をかけたら、右にいる半裸人(はんらんちゅ)から名前を呼ばれて驚いた。顔を見れば、職場の隣席、田部さんじゃありませんか。

 「間野さん。びっくりしたー。こんなところでどうしたんですか。」
 「田部さん。びっくりだね。お疲れ様。昨日ね、うちの給湯器が壊れたんだよ。昨日は近所の銭湯に行ったけど、今日はこっちまで来てみた。賑やかなところだねえ。」
 「えっ。この寒い季節に大変じゃないですか。でも、まさかここで会うと思いませんでしたよー。なんかうれしー。」
 「ほんとね。私もうれしい。よく来るの?」
 「家が近いので、たまに、です。てか、お昼休みにみんなで話していたときに、そんな話してました?言ってくれれば良かったのにぃ。」
 「んー、うちの給湯器が壊れた話なんてしたら、冷めちゃうじゃない?」
 「冷たいのは間野さんちの風呂だけですよぅ。私は、困った話も気兼ねなく聞きたいですよ〜。」

 思いがけなく裸の付き合いを果たした田部さんと、一階のレストランでスンドゥブチゲを食べた。お風呂、田部さん、カプサイシン、ほかほか。帰宅後、いつものニュース番組を眺めながら爪を切っていたら、田部さんから

「コミカルなキャラクターがお布団に吸い込まれてゆくスタンプ」

が送られてきて、吹いた。私、今日はなんだかとても楽しかった。

DAY3

 朝、恋人の勇大から、

生きてる?

と無機質な生存確認のメッセージが届いた。連絡が来るのは三日ぶり。そちらこそ、生きていましたか?
 ここ数日の顛末を三行で伝えると、

何ですぐに言ってくれないの

と、来たもんだ。画面越しに不服そうな顔が鮮明に浮かんだ。少し前ならば、そのむくれた表情を可愛いとすら思っていた。だけど、今はわずらわしくて如何ともし難いのです。何故、こんなにも些細な出来事で気分を損ねるんだろう。例えば、言ったとて、給湯器を直してくれるわけでもないのに。愛だと思っていたものに、翳りが増える。たった五文字で構成された生存確認は、遮光カーテン越しに見えるよその家の明かりみたいに、よそよそしい。だから、笑顔の延命措置をするように、「ごめーん」って笑って、すぐに会う約束を取り付けなければいけない。一連の作業は、とっくの昔にお手の物だ。

 今日は隣の市に住む姉の家に遊びに行って、ご飯をご馳走してもらう。ついでにお風呂を貸してもらう算段だ。今年で三十五歳になる姉は、姉の一つ年上の茉美さんというパートナーと楽しく暮らしている。たまに遊びにゆく二人の家は、ラップ越しにぎゅっと握られたおにぎりみたいに、たくさんのしあわせがおいしく詰まっている。とても好きな場所だ。

 「恵奈ちゃん、お湯加減はどうだった?」
 「良いお湯でした。入浴剤、すごくいい香りだった。」
 「でしょ。茉美さんのお母さんが贈ってくれたの。さあ、湯冷めしないようにしなきゃね。夜道も気をつけなきゃ。」
 「そうね。恵奈ちゃんさえ良ければ泊まっていってもらいたいぐらいなんだけど。」
 「いえ、それはまた今度。ありがとうございます。彼氏の家が近いので、泊めてもらう予定なんです。」
 「じゃあ安心だね。勇大くんによろしく伝えてね。」

 あたたかい家を出て、駅に急ぐ。勇大、もう仕事は終わったかな。まだ怒っているかな。嫌だな。だけれど、なんだかんだね、無条件に抱きしめてくれる存在は、あたたかくて恋しい。今日は優しく包んでくれるだろうか。どんな話をするだろうか。

 ーーしかし、改札をくぐろうとしたそのとき、ブブッと揺れたスマホの画面に躍り出た勇大からのメッセージに、水を浴びせられた気持ちになった。家の方向に向かう電車がちょうど来たから、走って飛び乗った。

残業が長引きそうで今日は帰れない。今日は悪いけど帰って。

 冷たく細かい雨が、家路の私のコートを少し濡らした。使われなかった一泊分の荷物は、重くて虚しくてわびしくて、惨めだ。冷蔵庫のドアを乱暴に開けて、黄金色のビールの缶に手をかけたけれど、中盤まで喉に流すとうんざりしてしまった。合鍵ひとつ渡してもらえない円熟した私は、お湯が出なくなった、こんな冷たい家にお似合いかもしれない。こんな日ばかりは湯船で静かに泣きたいのに、それも叶わないことが腹立たしい。

 二本目のうんざり缶を起こそうとしたとき、同僚の田部さんから

仕事帰りに職場の近くのスーパー銭湯に行きませんか

と、お誘いの連絡が来た。最近出来たばかりの、ピカピカのスーパー銭湯。

「シンプルなキャラクターが踊って喜ぶスタンプ」

を送った。ふにゃにゃけた笑顔をしたキャラクターは、あ、そういえば勇大と付き合い始めたばかりのときに買ったスタンプだ。

 勇大からの連絡が来てもすぐに出られるように、スマホの着信音を最大値にして床に就いた。結局なんにも。なあんにも届くことはなかった。

DAY4

 軽い頭痛とラブラブ同居。いつもより早く目覚める。目の下のクマが深い。冷たい水で顔を洗うと、少しシャキっとした。明日の午前中にガス屋さんが来てくれることになっている。電話越しの担当の男性はふんわりと訛っていて、大学時代に好きだった人のことを鮮明に思い出させた。お風呂、少し掃除しておこう。
 職場に向かう電車に揺られていると、勇大からメッセージが来た。

明日、少し会える?話がしたい。

昨日はごめん、とかは言わないんだね。明日は、他の男性と会う約束なのです。ええ、ガス屋さんですけど。

 田部さんと並んで身体を洗い、とぷりと湯船に浸かった。金曜日のスーパー銭湯は大盛況で、芋洗い。小さな子どもからお年寄りまで、はだかんぼでおなじお湯。ゆらり、ぽかぽか。お湯がぽちゃぽちゃと鳴る。音に耳を澄ませる。

 「間野さんちの給湯器は、明日直るんでしたっけ。ここ数日かなり大変だったんじゃないですか。」
 「うん、そうなの。お湯が出ないって心細いものなんだなあって思ったよ。」
 「明日、おうちのお風呂に入るが待ち遠しいでしょう。」
 「いや、んー、でもね、この日々はね、わりと楽しかったよ。お湯が出ないおかげで、こうやって田部さんにも会えたし、ずっと行ってみたかった近所の銭湯にも行けたし、姉の家にお風呂を借りに遊びに行ったりもしたんだ。たまには壊してみるもんだよ、給湯器。」
 「超ポジティブじゃないですか。ロックですね。」

 ごめん、強がりました。ツヨガリータです。ふふっと笑みをこぼす田部さんの胴体には、薄いピンク色した線が走っている。ブラとショーツが食い込んだ箇所に、やわらかな痕が残っている。なんだかね、急に、「委ねてみようかな」って思ったんだ。

 「あのさ、聞いてくれる?」
 「ん?はーい、なんでも聞きますよう。」
 「私ね、……近々彼氏に振られると思う。」
 「えっ。いきなりの恋バナですか!?」
 「……しかもね、聞いて、七年もつきあってたの。」
 「七年!?……えっ、なんでですか、とか聞いていいですか。」
 「うん。だんだんね、何にも言えなくなっちゃって、何にも見えなくなっちゃったの。意見も、気持ちも、些細なことも、好きなことも、我慢してることも。」

 ほんとは、なにが「ほんと」なのかもわかんないや……俯いて小さく呟いたら、言葉がハラリとお湯に落ちて、溶けた。
 困らせてしまったのか、田部さんも黙ってしまった。この間開店したばかりのスーパー銭湯の内湯は、いやに明るくて、いかにも令和三年って感じで、あけすけに何もかも見透かされてしまいそうなのに、なんにもエロくないねぇ。

 ザパァッ。田部さんがいきなりお湯の中で立ち上がった。先ほどまで湯船の中で透明に揺れていた裸体が、目の前にあらわになる。

 「間野さんって、シュークリームとエクレア、どっちが好きですか?」

なんだ、いきなり。

 「ふふっ。失恋には、何より友達とはしゃぐのがよくききますよっ。間野さんが振られたら、あたしがいっぱい遊んであげます。それしかできないので、面目ないですけど!」


 お風呂からあがると、ガス屋さんから留守電が入っていた。雪の影響で、給湯器の部品が届かず、修理を来週まで延期してほしいとのこと。まじですか。でも、まあ、いっか。それもいいじゃんね。結構、結構。なんくるないさ、です。さようなら、曖昧な私。よーっし、行くぜ。

 水色のコンパクトカーを走らせて、夜の海岸。ぐんぐん、ぐんぐん。勇大に最後のかっこつけたメッセージを送って、田部さんをさらって夜を西へ西へとすすんだ。薄いピンク色の朝日が車内に差し込む。くすぐったい悲しみが、ころりと無に寝返ったのを感じだ。






 None of them locate me. 



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先日、ノベルメディア文活さんに小説(↑none)を寄稿させていただきました。当初の案は、こちらのお話でした。途中で「これじゃいかーーーん!」とボツにして、視点を変えた「none」を発表しましたが、やはりこちらバージョンも好きだったので、少し手を加えて公開します。田部さんと間野さん、田辺さんと真野さん、どっちのお話が好みですか?(*´∀`*)うふふ

さてさて小説を書くのは、苦しくも楽しいです。でも、暮らしに書き進めたい物語があるって、とってもいいよ。小説を書きたい。文活さんの活動、応援しています。今年も暮らしのなかで、物語をつむぐことに脳のキャパシティを使いながら生きていきたいな。