「魔法の第一歩は、『きっといいことが起こる』と口に出して言ってみることだと思うんだ」
バーネットの「秘密の花園」を大人になってから古典新訳文庫で読んだ際、驚いたのは、物語中盤からの、コリンの大きな変化に関する描写である。
もちろんコリンの変化については、子供の頃に岩波少年文庫で読んで知っていたわけだけど、彼が、自分で自分を癒し心身ともに完全に健康になる!と強く決意し、宣言するその様子が、かなり力強く描かれている、という印象を持った。
昔は、さほど気にもとめなかったのだが。
コリンは、魔法の力を使って自分を治す、と宣言するのだが、その「魔法」とは、自分はできるのだと信じることであり、そしてそのことを言葉にして何度も唱えることであった。
秘密の花園で、自分の決意を熱く語るコリンを見てメアリは、「コリンは奇矯なところがあるけれど珍しい事柄に関してすごくたくさんの本を読んでいて、なぜか非常に説得力がある」と感じ、彼の意見を受け容れる。
たしかに、このシーンでのコリンの言動は、「奇矯」と受け止められかねないものである。
「秘密の花園」の仲間であるメアリ、ベン・ウェザースタッフ、そしてディコンの前で、彼は言う。
「(略)ぼくは魔法の力を取りこんで、その力で自分を押したり引いたりして強くしていく、という科学の実験を行っておこなってみようと思う。(略)これから、毎朝、毎晩、昼間も、ぼくはできるだけ何度でも、『ぼくの中に魔法の力がある!魔法の力でぼくは治る!ぼくはディコンと同じくらい強くなる、ディコンと同じくらい強くなる!』という言葉をくりかえそうと思っている。みんなにも、同じことをやってほしい。それがぼくの実験だ。(略)」
はじめ、主人公はメアリだったのに、物語の中盤から話の中心はすっかり、コリンへと移っている。
「次はコリンが奇跡を起こす番」とばかりに、彼が主役になっているのだ!
メアリやコリンの荒れた心は、やはり、親や周囲の人間、環境に大きな要因がある。
この心をいやすのは、容易なことではない。
一度荒れ果てた心の中に、太陽の光を入れるのはむずかしい。
変わりたい、と決意したとしても、ずっと日のささないところにいた子供にとっては、はじめはなかなか難しいだろう。
不可能、という声が聞こえ、引き戻されそうになる。
ホメオスタシス、というやつだ。
それを振り払い、何度も、太陽を自分の中に入れようと試みる。そうやっているうちに、じょじょに、変化があらわれはじめる。
心も体も、明るいほうへと向き始める。
コリンが、この「実験」を、秘密の花園という場所で、そして、信頼できる仲間たちとのあいだだけでおこなったのは、重要なことだ。
もし、この「実験」の意義を理解できない人間に知られてしまったら、花園を踏み荒らされるだけでなく心の中まで踏み荒らされてまったような気持ちになってしまうだろう。
魔法を信じ、奇跡を起こすためには、よけいな人間、よけいな情報ははシャットアウトする必要があるのだ。
花園が生き返ってゆく過程は、人間たちが生き返ってゆく過程でもある。
メアリやコリンだけでない。
遠いところにいたコリンの父親さえも、神秘的な力を通して、奇跡を体験する。
「小公女」でもバーネットは、人間の思考が持つ神秘的な力について書いているが、「秘密の花園」にも、かなり色濃く表れている。
この、コリンの劇的な変化に関する描写を、なぜ、子供の頃の私はさほど気にもとめなかったのだろう?
岩波少年文庫を読んでいた頃の私は、自分が大人になってからまた「秘密の花園」を読んで「素直に感動」するなんて、思ってもいなかった・・・。
最後に。
「秘密の花園」を再読して、もうひとつ、驚くことがあった。
それは、召使のマーサのこと。
私はずっと、マーサは子持ちの中年の女性で、その子供がディコンだと思い込んでいたのだ。
やっと、彼女のヨークシャー訛りがそう思わせたのだろう。
ずっと、勘違いしていた。
マーサ、あなた、若い娘さんだったのね。
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