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空也上人、会津まで来ていた?〜福島の地域ニュースから始まった小さな行脚

空也上人、会津まで来ていた?――福島のニュースから始まった小さな行脚

はじめに

先日、福島県のローカルニュースを何気なく見ていたら、「空也上人の念仏踊り」という言葉が聞こえてきて、驚きました。

仏教や歴史好きには、お盆の時期の各地のローカルニュースがおもしろくて、ついつい見てしまいます。

そんな中、思わぬ気づきがありましたので、軽くまとめていきたいと思います。


空也上人 六波羅蜜寺に会いに行ってきた

空也上人といえば、京都・六波羅蜜寺の、口から六体の阿弥陀如来が現れる、あの有名な像を思い浮かべます。私も今年はじめ、六波羅蜜寺を訪れて実物を拝観しました。

ところが、その空也上人が福島県会津若松市にも関係しているらしい。
「え? 空也上人って、会津で亡くなったの?」
そこから、ちょっと調べてみました。

会津若松の八葉寺

空也上人ゆかりの寺として出てきたのが、会津若松市河東町の八葉寺(はちようじ)です。

現在は、真言宗豊山派の寺院で、「会津高野山」とも呼ばれています。康保元年(964)に空也上人が開創したと伝えられています。

寺伝によれば、空也上人は奥州を巡錫(スズのついた錫杖で、巡る)して会津の冬木沢に至り、ここに堂宇を建立。背負ってきた阿弥陀三尊を本尊として安置したといいます。

そして、天禄3年(972)9月11日。
この八葉寺で空也上人が往生したと伝えられています。903年生まれとされる空也上人ですから、69歳ほど。ただし、ここはあくまで八葉寺に伝わる話。

千年以上前のことなので、空也上人が実際にどの道を通り、どこに泊まり、どこで念仏を唱えたのか、どこで亡くなったのかまで、現在の史料でひと続きに確認できるわけではありません。この「史実」と「寺伝・伝承」の境目は、今回ちょっと意識しておきたいところです。

今も残る「空也念仏踊り」

そして、今回テレビで見たのがこれでした。

八葉寺では毎年8月5日、空也上人の縁日に「空也念仏踊り」が奉納されています。

別名「歓喜踊躍念仏」「かねたたき」とも呼ばれ、導師と職衆が念仏を唱えながら、鉦や太鼓を鳴らして踊ります。

福島県の重要無形民俗文化財にも指定されています。

ところが、ここにも意外な話がありました。現在の八葉寺の念仏踊りは、空也上人の時代から同じものがそのまま残っているわけではありません。

会津若松市の資料によると、大正期に一度途絶えていた念仏踊りが、東京・横浜の信者による「空也光勝会」から伝授され、会津で復興されたものです。

東京・横浜の空也光勝会は大正12年(1923)の関東大震災後に解散し、そちらでは踊りが途絶えたため、現在は八葉寺の念仏踊りが貴重な存在になっています。

つまり、
空也上人の時代の伝承と、
現在の空也念仏踊りが成立した歴史
は、分けて考えた方がよさそうです。

空也上人はどこまで歩いたのだろう

ここで、また気になってきます。
空也上人は、903年生まれ、972年没とされる10世紀の僧。各地を行脚し、念仏を広めた人物として知られています。

六波羅蜜寺の公式説明にも、若い頃から諸国を遍歴したことが記されています。

そして八葉寺の寺伝では、京都での活動の後、再び奥州へ巡錫し、会津の冬木沢に至ったと伝えられています。

では、その途中にはどんな場所があったのでしょう。
「空也がここを訪れた」
「ここで修行した」
「ここで念仏を唱えた」
そんな伝承は、ほかにも残っているのか。

少し調べただけでも、京都の月輪寺には、空也上人が参籠したという寺伝があります。

月輪寺には鎌倉時代作の重要文化財「木造空也上人立像」も伝わっています。

ちなみに、この像をSNSで見たのですが……顔が、ちょっと怖い。
六波羅蜜寺で実際に見た空也上人像とは、かなり印象が違いました。


空也上人の像も各地に

空也上人を表した仏像も、各地に残っています。

国指定重要文化財となっている空也上人立像は、六波羅蜜寺、月輪寺、滋賀県近江八幡市の荘厳寺、愛媛県松山市の浄土寺に伝わる4躯。
いずれも鎌倉時代の作です。

つまり、空也上人が生きていた10世紀の肖像ではありません。後世の人々が「空也上人」をどのように信仰し、どんな姿で表現したのかを見ることができます。

六波羅蜜寺の像では、念仏を唱える口から六体の阿弥陀如来が現れます。空也の念仏が、目に見える形になったような像です。

まずは会津まで

今回、福島のローカルニュースを偶然見なければ、会津若松に空也上人ゆかりの寺があることを知らないままだったと思います。

八葉寺には、
空也上人が開いたと伝わる寺という寺伝
ここで往生したと伝わる伝承
空也上人像
そして現在も続く空也念仏踊り
が残っています。

京都の六波羅蜜寺で空也上人像を見た私にとっては、思いがけず遠く会津までつながりました。ただ、ここから先はまだ分かりません。

空也上人は、本当にどこを通って会津まで来たのか。
奥州のどこに足跡が残っているのか。
そして、空也の念仏は、どのように各地へ伝わっていったのか。

今回は、その入口まで。
福島のローカルニュースから、空也上人の小さな行脚が始まりました。
まだまだ調べる余地がありそうです。


あとでじっくり読んで学びを深めるためのメモ 

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