ウィーンフィルハーモニー管弦楽団の生演奏を本拠地で聴いたあの日 : 異国の地で、私をホッとさせてくれたあの曲 #5 シューマンのピアノ協奏曲&ブルックナーの交響曲第四番《ロマンチック》(by Martha Argerich & Wiener Philharmoniker)
正月元旦の夜に、煌びやかなウィーン学友協会ホールから届くウィーンフィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートを目にする度に、あの豪華絢爛な”黄金のホール”の内側で一度、シュトラウス以外の生演奏も聴いてみたい、あそこに行かなきゃ絶対死ねん、なんて思いませんか?
とはいえ、ウィーンフィルのチケットは会員のみが保有しているが為に、一般発売は不定期公演のみ。至極狭き門に阻まれて、隣国チェコに暮らしながらも、身動きが取れないもどかしいコロナ禍の日々を過ごしていました。遂に一度諦めた際には、ウィーンフィルによる夏の夜のシェーンブルン宮殿コンサートを遠巻きに眺め、翌朝、学友協会ホールの見学ツアーの旅に出掛けました。野次馬の群衆にまみれて立ち見のシェーンブルンの夜の宴も、極上な音楽の響かない極上の音楽堂も、なかなか良かったけれど、なんだかミニスカにキャミソールの彼女から御預け喰らったようで、溜息混じりにホールを出ました。とりあえずウィーンの街で、欲求不満のザッハトルテ一片をウィンナコーヒーで流し込み自身をごまかし、渋々バスに揺られて美しく青き車窓を眺めてはまた我れをごまかし、のらりくらりとごまかしごまかしプラハに帰った半端な生殺し旅もありました。



それから約一年後、日本への本帰国も近づいて、いよいよあのホールで生演奏を聴かないとニッポンへは帰れない、なんだか焦燥感みたいな感情に駆られていた頃、あっけなくチケットは手に入りました。
ウイーンフィルの定期公演って、実は同じプログラムが各三〜四度ずつ開催されるようです。つまり、元日のニューイヤーコンサートも、ほぼシュトラウス一色のあの賑やかな公演が四度も打たれ、確か、内三度目が日本時間の元日の夜に届けられているそうです。
仮に私が会員であったならば、四度も同じ公演に足を運ぶ必要も無い、ならば、不要なチケットはお世話になった友人にプレゼントするか換金したい、と思うのが自然でしょう。
その自然の恩恵を受ける事は、隣国チェコに暮らしていると、割と簡単でした。公演の数日前の朝に、会員がリリースしたチケットの情報がオンラインで開示されます。しかも、そのチケットは、おそらく定価で購入出来たはずです。公演日が差し迫っている為に、フットワーク軽くアクセス出来る地に、タイムリーに滞在していれば、あっさり棚ボタの恩恵に与る事が出来ると云うプロセスです。
果たして、一万円くらいで購入出来た2022年9月18日のチケットのプログラムは、ズービン・メータ指揮、マルタ・アルゲリッチのピアノで、シューマンのピアノ協奏曲イ短調と、ブルックナーの交響曲第四番《ロマンチック》のラインナップ。メータはウィーンフィルを率いて2016年に、アルゲリッチは広島交響楽団と2017年に、それぞれ広島で来日公演を行なっており、もちろん、そのいずれも広島文化学園HBGホールで聴いていました。そんなワシらの広島に思いを寄せ、遠路はるばる御足労頂いた恩返しを果たすかのように、この日のこの組み合わせの公演に縁がありました。

二階席左バルコニー後方最前列からの眺めは、やはり圧巻でした。鳥肌涙目の私の先に、超絶気高そうな貴婦人の姿が数多く見受けられ、骨川スネ夫くんのママのような日本人マダム達も目立ちます。「あたくしって選ばれしオンナざます♪」みたいな、孤高のオーラを発していましたが、あのアジアンマダムズの内の御一人は、まさか楽団員妻の中谷美紀さんだったりしたのでしょうか?
私の中では、青春時代に衝撃だった映画『嫌われ松子の一生』の泡ぶくブクブクな松子先生のイメージが強烈過ぎて、ハプスブルク風なセレブな奥様とは甚しいGAPでしたが、仮にあの時、あのホールで、あの距離感で擦れ違った美熟女が、中谷美紀さんならば、「松子にひと声掛け損なったばい!」と元日の生放送でゲスト解説を務めた彼女を観ながら、喘いでいましたが、後の祭です。ちなみに、対面の右バルコニー最前列には、夏の終わりながら、まだアロハシャツに短パン姿のラフなお爺さんなども座っていらっしゃいましたが。

あの生殺しから一年強、待ちに待ちかねた頃、孤高の貴婦人達のムードやモードに、肩透かしや内無双でも喰らわすかのように、拍子抜けに自然体のメータとアルゲリッチが飄々と姿を現しました。イスラエル出身のメータとアルゼンチン出身のアルゲリッチは一見、クラシック音楽とは無縁に映る祖国故国に生まれました。そんな御両名だからこそ醸し出せる、スッと肩の力の脱けた気取らない雰囲気なのかもしれません。昔の日本兵のような短足丸渕眼鏡に、無理矢理スーツを着せて文明開花させたような私も、彼らの登場にホッとして、どっぷりと演奏に酔いしれることが出来ました。
胸の空く快演に浸りきって、名残り惜しくホールを離れる頃、「またいつか、このホールにダーリンを連れて」とか戯言を想う反面”行かなきゃ観なきゃ聴かなきゃ死ねん”と抱いていた想いが遂に叶って、生涯一度きりで充分”足るを知る”ような感慨にも耽っていました。
そんな死ぬ前のような潔い満足感を味わった時空間の余韻さえも糧に、夢と現実の架け橋を渡ろう。嫌われ松子の一生みたいに、途中でズドーンっと落っこちないように、石橋を叩いて落ち着いて落ち着いて。一つ一つの宿命とその裏に隠された意味を、一拍一拍の楽譜を読み解くように噛み砕き、一歩一歩踏みしめながら面白がりながら、なるべくのんびり渡って行こう。なんて振り返りと抱負です。
