わたしの人生を支えるチャップリンの名言3選 vol1. imagination
Life can be wonderful if you’re not afraid of it.
All it takes is courage, imagination… and a little dough.
臆病にさえならなければ、きっと素晴らしい人生を謳歌できるはずだ。
必要なものは、勇気だ、想像力だ、それと少しのお金だ。
(Translated by らいとらいとる)
中学校の生徒手帳に記されていた喜劇王・チャップリンの名言である。時は1980年代中盤。その頃、僕は超暴力教師達がいまだ大手を振って暗躍していた時代の割と終盤戦の渦中にゐた。
朝礼の体育館では、指導者を名乗る支配者達の命を受け、風紀委員を名乗る傀儡分子達が、前髪、ズボンの形状・スカート丈などなどイチイチこまごまと、秘密警察さながらに抜き打ちチェックを蛮行。北朝鮮の人民会議さながらに、僕たちは生徒手帳を掲げ、指導体制に従うフリを強いられた。
違反者を見つけて”待ってました!”とばかりに、男女お構いなく強烈なビンタを喰らわすのは、超強面体育教官の担当科目。ひょっとして朝メシ前の素振りやシャドウピッチングすら欠かさず、凄惨な体罰を生き甲斐に教員生活を謳歌しているのでは?と目や耳を疑うような卓越したミート力とコントロールを見せつけ、こども達の林檎のほっぺは、一流の投球を捕球する優れもののキャッチャーミットのようにバシッ!と乾いたサウンドを響かせた。
恐怖に慄く中学生を前に、体育館の静寂を残虐なノイズが切り裂く異常な見せしめが常態化し、少年少女のまだ無垢で青き心に、青ざめるような恐怖心を植えつけた。そんな表社会のギャングのような存在の教職員さえ、まだ相当数実在してゐた。負の歴史を遡るならば、ナチスや大日本帝国のディクテイター達の真似事を無自覚に模倣するような冷徹な指導者の魔の手によって、冷たいジムナジウムの床に無慈悲に叩きつけられた無実の子供達がゐた。そんな僕たちは、ソヴィエト連邦最終章とほぼ時を同じくして、ようやく恐怖支配に崩壊と終焉をもたらす最期の犠牲者だったのかもしれない。
そんな粛清の惨劇を見つめながら「ありゃ”許されざる者”ばい。いつか”忠臣蔵”のごと、リベンジせんば許されんとばい」と、我がスモールハートに沸々と正義感が湧き上がった、いや煮えたぎったアツ過ぎる記憶が蘇る。
元映画業界人だった父の影響で、幼稚園の時分から、兄と僕はチャップリンの喜劇や、ジョン・ウェイン、クリント・イーストウッドらの西部劇を、毎週のように観せられ育てられた。赤穂浪士の討ち入りの夜は、家族揃って『忠臣蔵』に熱中し、義理の父子ながら誠に義理堅い堀部弥兵衛・安兵衛の忠誠心と義侠心に、親子で酔いしれる毎年12月14日の夜もまた、我が家らしいお茶の間の団欒であった。また、ドライブ中には常に西部劇のテーマ曲集のカセットテープが廻され、田舎の山道を抜けている道中には、西部劇のロケに登場するアメリカ南西部の未踏の荒野が瞼に浮かぶような、かなり変わったオマセなガキんちょだった。マカロニウエスタン(イタリアで作られた西部劇)と云う美味しそうな響きに憧れた幼少期である。
もちろん、ドラえもんやドカベンも見たいだけ見せてもらえたけれど、その割合は、他の園児とは、かなり違っていたはずだ。のび太が”OK牧場の決闘”のワイアット・アープやドク・ホリデー並の銃捌きを見せると、メガネっ子の自分をノビ保安官と重ね合わせて心が昂り、ドカベンの殿馬がズラズラつぶやきながらバットを振り回すと、チャップリンのステッキ捌きを想い起こして、俄然ワクワクするような、やはり変テコでファニィなチビだった。
「imagination(想像力)か...」
中坊("中"学校のスポーツ部に所属する生徒は"坊"主頭を半ば強制され、やはり軍国主義の名残を踏襲した最期の時代でもあった)になった僕は、ロックンロール狂だった兄から分けてもらったミック・ジャガー(ローリングストーンズ)のブ厚いリップからベロが飛び出す真っ赤な辛子明太子のようにビビッドなステッカーを、生徒手帳の表紙面いっぱいいっぱいにべったりと貼り付けて登校していた。
ゲシュタポのようなフーキ委員とやらに駄目出しされた今朝の犠牲者達が、見せしめの処刑台に並べられる。ギトギトした顔にギラギラした目の執行官Hが、バチンバチンと子供達の頬を打ちのめしていく残酷なサウンドが、朝の体育館に空しく鳴り響く。手加減無しの痛打を浴びてよろめく女生徒に見向きもせず、取り憑かれたようにまた隣の生徒を殴る。あの頃の暴君には、慈悲のかけらも存在しなかった。やがて、ビンタの順番が女子並に華奢な体躯の僕にも回って来る。
そして、その時はキタ!
タイミングと間合いを諮って、僕は暴君Hの平手打ちをチャップリンに倣ってヒラリとかわした。更に二発目も搔いクグッた時、薄い唇からミック・ジャガーのようにベロをおもいっきり突き出してみせた。ヤンキー小僧でもないガリ勉くんみたいなチビっこメガネによるまさかの反逆に、暴君はハバネロのように真っ赤に猛り狂った。そして”仁義なき戦い”の菅原文太のような怒号と剣幕と共に、ジャイアント馬場の十六文キックのような蹴りが土手っ腹に炸裂し、僕の小さな身体は体育館に蹴り転がされた。石コロや虫ケラのように。
大好きだったアントニオ猪木のビンタを掻い潜り、馬場正平の十六文を喰らいリングに崩れ落ちるような自らの実体と、古舘一郎の実況が脳裏を駆け巡るような空想を思い描きながら、ヤッてヤッた感ではなく、ヤラれてヤッた痛快感と充実感に満たされていた。
無論、こちらからカウンターパンチを繰り出し応戦する器量もなく、ただ魔の手からするりと顔を逸らし、舌を出して暴君を嘲笑い、果たして僕は蹴倒された。まさしく痛快な痛みと快感。想定通りの周囲のざわめき。そして教室に戻った後の大いなる熱狂まで、ほぼ想い描いた通りのシナリオは完結した。当時、クラスで二番目にチビな、ウディ・アレン似でヒョロヒョロなメガネマンが、自虐的に仕組んだチャップリン風のコメディはダイハードながら、ダイ盛況だった。
その後、体育館から職員室まで引きずられた挙句に、痛烈な打撃音と共におもいっきりブッ飛ばされるや、さすがに居合わせた教職員の間にも、異様な空気が漂ったものだ。みんな見て見ぬフリしながら、特に女教師達の目は一概に怯えていた。
それでも遂に、超暴力教師を制止する真にモラルと勇気のある大人は現れなかった。担任か誰かお助けマンかウーマンが登場するはずだった。ところだけが唯一、僕が空に描いたヒューマンコメディの台本と食い違った点であり、愛情いっぱいの両親に育てられた僕の甘えだった。”先生”と呼ばれる資格のある教育者が、あの学校のあの歳月に存在しなかった、と言っても過言ではない。しかし、あの一件が契機になり、恐怖支配の異常なバイオレンスショーは、徐々に終息へ向かった。
石コロのように蹴り転がされた後も、僕はミック・ジャガーのカワいいタラコくちびるステッカーを生徒手帳から剥がすことなく、支配者達に臆することもなくあの田舎の中学校を卒業した。
“鉄拳制裁も教育カリキュラムの一貫”みたいに勘違いしていた昭和のスパルタ教師に、僕は一石を投じずに、チャップリンのように恵まれた身軽な体を利用して逃げて嘲笑って、蹴り転がされた。あたかもチャップリンが名作『独裁者』でヒトラーを風刺し、コケにして世界に笑顔と愛と勇気を届けたように。不要な規則、罰則はビリビリと破られる為にある。そうやって、前向きで楽観的な犠牲者達の踏み固めた道が舗装され、ようやく明るい未来は築かれて行く。
あの朝の悲喜劇をハイライトするならば、一番大切な事は、超暴力教師の理不尽なビンタをスラリとかわし、大好きな女の子はじめ全校生徒を笑わそうと企む想像力だった。結局、暴君にボコられる事を厭わない勇気が二番目。結果、好きな女の子の笑顔を独り占めにし、放課後、彼女の微笑みとコンビニで買ったグミキャンディをなかよく噛み締める為の少しのお金、が三番目だったのではないだろうか。
