八王子~西八王子(東京都八王子市)de ブラspiritwind♪~東京の名湧水57選 no17.叶谷榎池・泉町湧水群・横川弁天池・日吉八王子神社・稲荷森神社・真覚寺・高宰神社 etc
2026.2.16
八王子~西八王子(東京都八王子市)de ブラspiritwind♪ 前回、回れなかった湧水地を巡りました。



五日市線100周年なんですね。


JR八王子駅から西東京バスで14駅目の叶谷バス停へ。そこから徒歩6分。
東京の名湧水57選 no17.叶谷榎池





樹齢、数百年と云われるエノキの巨樹がシンボリック♪

丸い池がありましたが湧水ではなさそうです。



コパちゃんによると、泉町住宅は、谷戸の底(ボトムライン)に沿って配置された典型的な戦後市営住宅群です。
泉町湧水群

湧水源は叶谷榎池でしょうか?










コパちゃんとグーグルAIは真っ二つに意見が分かれています(^^♪




ここから浅川になります。キジが鳴いてました^^

横川弁天池(八王子湧水巡り.5)
ここは東京の名湧水57選ではありませんが、「八王子湧水巡り」に入っていたので寄ってみました。


なんと、トウキョウサンショウウオが生息しているらしいです。



“水が無いように見えて実は流れている” • “伏流水・湧水の流れ” を指す地名・橋名に使われることが多いです。by コパちゃん。

南浅川の南に鎮座する日吉八王子神社へ。
日吉八王子神社・山王さま(八王子市日吉町)



左は観音堂と子育て地蔵尊

天慶三年(940年)一尺一寸五分の御神像を造立し、山根九万石の惣鎮守として創立。
文禄四年(1595年)法印島文坊俊盛社殿を造営し日吉山王八王子明神社と称した。八王子空襲には境内社殿の焼失をまぬがれた。
中世〜近世にかけて、関東では比叡山の山王信仰が広まり、村落の鎮守として日吉神社が各地に勧請されました。八王子もその流れの中にあります。
八王子城(北条氏照)の勢力圏では、山王信仰がよく取り入れられ、城下の守護として日吉神社が置かれることが多かった。




参拝後、南浅川を西、上流方面へ。



稲荷森神社(八王子市並木町)


稲荷森神社は、東京都八王子市並木町24に鎮座する神社です。応永5年(1398年)に法印弘山が出羽三山の稲荷大明神を勧請したことに始まる歴史を持つとされ、かつては周辺が鬱蒼とした森林であったことから「稲荷森」と呼ばれていました。昭和52年(1977年)には、横山出張所の場所にあった浅間神社が合祀されており、祭神は宇賀御魂命と木花咲耶姫命。

ずっと並木があるんですけどね。
その後、国道20号(甲州街道)を超え、中央線をくぐって南下。真覚寺を目指します。
真覚寺(八王子湧水巡り.4)
大室神社(おむろさま・御室山)


大室神社
江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』には、「大室神社」ではなく
「小室権現社(こむろごんげんしゃ)」 として記録されています。
風土記稿には、「高宰社の配偶(はいぐう)なり」と書かれています。
つまり:
• 高宰神社(真覚寺の境内にある)と対になる神
• 夫婦神のような関係を示唆
• しかし詳細は不明で、現在も“謎”として残る
令和元年に全面的に改修工事が行われたそうです。
真覚寺

🟦 真覚寺とは(八王子市散田町)
• 宗派:真言宗智山派
• 創建:鎌倉時代(伝承では弘安年間)
• 山号:高宰山(こうさいざん)
• 本尊:不動明王
• 位置:散田町の谷戸の中、湧水ラインのすぐ上の段丘
江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』には、真覚寺は 高宰神社の別当寺 と明記されています。


八王子の散田町・寺田町周辺には、 「田んぼの蛙たちが、毎年決まった時期に“合戦”のように鳴き交わす」 という伝承が残っています。
そういえば、学生時代に登戸辺りの友人のアパートに泊まった時、裏の田んぼで、ものすごい数のカエルの鳴き声を聞いた記憶が蘇りました。凄い鳴き声だったなあ。







高宰神社(たかさい じんじゃ)




高宰神社由来記
八王子市散田町五丁目三六番に鎮座する高宰神社は、日本南北朝期の終り頃、京より高貴な御方が、故あって、かたく氏名をかくし(恐らく南朝の公家と思われる)現在の御所水の地に居住したことから始まります。逝去後、由井地区の杉山峠に埋葬され、後山田村広園寺境内の一角に一祠を建立し、小蔵主明神と号し、鎮座したのが当社の起源であり今より約六百以前のことであります。
その後、何故か散田地区の古明神と言う処(現在のめじろ台4丁目)に移り、降って正保慶安の頃更に、真覚寺境内に移しそこで高宰神社と命名し、現在に至ったものであります。
当社は霊験あらたかで、八王子が誇る千人同心部門の神として深く崇敬され、千人町、散田町、並木町、山田町、めじろ台等の守護神であります。
高宰神社のご祭神は、按察知大納言、藤原信房卿と言われておりますが、一説には、高倉宰相某とも言い、また明治元年神仏分離の達しがあり、明細帳作成当時書出したものには、伊弉諾尊いざなぎのみこととしてあるが、詳らかではなく、現在では、藤原信房卿の説が最有力で、この説に定着しているようであります。
現在、神社登録簿には、神社は単に高宰の神となっております。高宰とは、高貴な方の高と、宰相とか言われる大臣クラスのことと思われ、尊貴両方を取り入れ、高宰神社の社ができたものと思料されます。
高宰の神が在世中の地を、御所水の地と言い、清水の湧き出していた所から「御所水の神」と言われたのは、当時朝廷以外には御所の名は使用されなかったこと等思い合わせると、余程高貴な方を想わせるものがあります。
(昭和六十一年八月総代記す)
藤原信房(ふじわら の のぶふさ)は、spiritwindさんが今日歩いてきた“真覚寺・大室神社・蛙合戦旧地”の文脈と実は深くつながる人物です。彼は単なる貴族ではなく、八王子の散田町に強い足跡を残した中世の歌人・文化人なんです。
🟦 藤原信房とは
• 平安時代後期〜鎌倉時代初期の公家・歌人
• 藤原北家の流れを汲む人物
• 『千載和歌集』など勅撰集に入集
• 和歌・文化に優れた人物として知られる
しかし、彼が八王子と結びつくのは“もう一段深い理由”があります。
🟦 なぜ散田町(真覚寺周辺)に「藤原信房旧跡」があるのか
実は、藤原信房はこの散田町の谷戸に隠棲したという伝承が残っています。
理由は諸説ありますが、代表的なのは:
■ ① 政争に巻き込まれ、都を離れた
平安末期〜鎌倉初期は政治が激動し、多くの公家が地方に退いた時期。
■ ② この地の静けさ・水の豊かさを好んだ
散田町は当時、• 湧水豊富• 田園地帯• 山裾の静かな谷戸という“隠棲に最適な環境”。
■ ③ 真覚寺の前身となる寺院との関係
真覚寺は鎌倉時代創建とされ、その前身となる修行場・庵があった可能性が高い。信房がここに庵を結んだという伝承は、真覚寺の成立と重なる。
🟦 信房と「蛙合戦」の関係
散田町の谷戸は、• 湧水• 田んぼ• 蛙の大合唱が毎年の風物詩でした。
藤原信房は、この蛙の声を和歌に詠んだという伝承が残っています。
つまり、蛙合戦の旧地は、信房の“歌枕”でもあった可能性がある。
つまり、藤原信房はこの散田町の谷戸に隠棲し、お寺が建てられ、神社が建てられたという時系列になりますね。






いずれにしてもメスですね。
食べるところがあまりなかったので、初めて「とんでん」に入りました。


いや~、美味しかったですよ!!!!!ビックリでした^^
ずーーーーーと、おばあちゃん、息子夫婦にグチたれてる。選挙も絡んでる。こういう人生も儚いねえ。。。

帰りはJR西八王子駅まで歩いて帰りました。キレイに整備された住宅街でしたね。

城山川・北浅川・南浅川・浅川の流れる辺りでした。

