成増~西高島平(東京都板橋区)de ブラspiritwind♪~東京の名湧水57選no15.不動の滝・東京大仏・赤塚植物園・赤塚氷川神社・板橋区郷土資料館 etc
2026.2.10 板橋区立赤塚植物園.不動の滝を見に行ってきました。ついでに周辺も散策♪




冬は皆さん着膨れしていて窮屈なんですよね~。




成増駅の北口から「赤塚高台通り」を北上。なかなかアップダウンがあります。



不動の滝(東京の名湧水57選no15)



富士山や大山に詣でる際の禊場だったようです、





う~ん・・・・チョロチョロと・・・流れているというより滴っている感じ。


その後、すぐ近くの東京大仏へ。
東京大仏(浄土宗・赤塚山慶学院 乗蓮寺)


地獄のエンマ様ですな。
閻魔王とは?
• 仏教における 地獄・冥界の王。
• 死者の生前の行いを裁く存在として知られる。
• インドの死者の神「ヤマ(Yama)」が仏教に取り入れられたもの。

平日でしたが、パラパラと参詣者が来られてました。

宗派は浄土宗。御本尊は阿弥陀如来。
室町時代の応永年間(1394-1428)に名僧・英蓮社了賢無的上人が、山中村(現在の板橋区仲町「専称院」の辺り)に草庵を結び、人々に浄土宗のみ教えを伝える為に創建。
乗蓮寺は、郷主・板橋信濃守忠康(文禄二年・1593年11月21日歿)の菩提寺になるなど人々から信仰を集めており、翌天正19年(1591)11月には家康より10石の朱印地を賜り、その後も歴代の将軍から朱印地が与えられ格式ある寺院となりました。
特に、寛保3年(1743)4月7日、浄土宗祖法然上人ご生誕の日に際し、八代将軍吉宗が鷹狩りの途中に参拝、雨宿りをしたのが縁となり、後に将軍の休息「御膳所」に指定されました。
第二次大戦中より戦後にかけて国道 17号線の拡張、環状6号線の開設、特には首都高速5号池袋線の建設により、寺域が半減するに至り、現在地、千葉氏の旧赤塚城二ノ丸に移転しました。








十三重石塔は、供養・祈願・結界の役割を持つことが多い。




当寺の代名詞にもなっている「東京大仏」は、阿弥陀如来です。
第24世の住職・若林隆道上人の発願(作ろうと考えた)によって建立され、昭和52年(1977)4月11日に開眼されました。
隆道上人は、大正12年9月1日の「関東大震災」と昭和20年3月10日の「東京大空襲」を実際に体験された方でした。それらの犠牲者を供養するとともに、そうした「天災」や「戦災」が二度と起きないようにとの願いが込められています。
基壇からの高さは13メートル、頭部だけで3メートル。重さは32トン 。
完成したときには、東大寺の「奈良の大仏」、高徳院の「鎌倉の大仏」に次いで、日本で3番目の大きさでした。
















いや~、なかなか盛りだくさんのお寺でございました。楽しかったです♪その後、東京大仏の直ぐ近くの植物園へ。
板橋区立赤塚植物園





キクザキイチゲの立て札も^^


の地図がありましたよ。良く見たら・・・・

お~!福寿草ですわ^^

わお~~!節分草!まさかこんなところで出逢えるとは^^

学名:Galanthus 科名 / 属名:ヒガンバナ科 / マツユキソウ属(ガランサス属)
開花時期が2~3月なので春を告げる花としても愛されています。和名:待雪草(まつゆきそう)

こちらが原種のザ・ロウバイですね。地味な感じです。
中国原産・江戸時代初期に日本へ。

栽培品種。よい香りがしていましたよ。

うちの近所にこんなところがあれば、毎日見に行くんだけどなあ。
その後、赤塚氷川神社へ。

住んだことはないのですが、昔から妙に惹きつけられるんです。デジャブ?^^

赤塚氷川神社





境内は、区画整理で宅地化されたようですが、ここだけ残ったみたいですね。








1457年(長禄元年)、赤塚城城主千葉自胤が武蔵国一宮の氷川神社を勧請したという[1]。上赤塚村の鎮守であった[2]。
祭神は、素戔鳴尊と、藤原広継(嗣)命である[1]。藤原広継命は明治以降に近隣の御霊神社を合祀したもの。素戔鳴尊はともかく、赤塚とは縁もゆかりもない藤原広嗣がなぜ祀られているのかは不明である。
摂末社:天祖神社・八幡神社・白山神社・御嶽神社・浅間神社・阿夫利神社・榛名神社・大国神社








山頂では富士山は拝めませんでしたね。
その後、東側にある板橋区立郷土資料館へ。
板橋区立郷土資料館



台地の崖線の所々から湧水。

約8年前の下末吉ローム層から出土。

左は約12.5~40万年前(下部に貝の化石が集中)。右は約1.6~4万年前(立川ローム層)


縄文、古墳時代後期の痕跡はあり。




弥生時代以降は、煮炊き用の土器として甕(かめ)が登場。
古墳時代中期には朝鮮半島から竈(カマド)が伝わる。

1478年、太田道灌との抗争に敗れ、豊島氏宗家は滅亡。
区域には、支族板橋氏・志村氏が残る。志村氏は豊島氏庶流。





寛政12年(1800年)の板橋宿では400軒の建物の内、68軒が旅籠。




家康が鷹狩り、5代将軍綱吉が生類憐みの令、8代将軍吉宗が鷹狩り復活。鷹場として板橋。

嘉永6年(1853年)ペリー来航。下屋敷では石神井川の水車動力で西洋式大砲を造り始めた。
その後、陸軍火薬製造所となる。


水力が大切な動力で板橋は安定した動力が得られる場所に位置していた。

東上鉄道は大正3年(1914年)に池袋~田面沢が開通。下板橋駅と成増駅が設置。
大正9年(1920年)東上鉄道と東武鉄道合併=東武東上線の誕生。
昭和4年(1929年)都電が下板橋まで開通。
昭和19年(1944年)志村周辺の軍需工場へ従業員輸送のため志村坂上、さらに志村橋開業。
昭和41年(1966年)都電廃止。昭和43年(1968年)都営6号線開業。

明治16年(1833年)鉄道開通、翌年の大火により宿場はさびれる。
遊郭はその後、病院などに転用される。


工場や軍事施設が空襲を受ける。

昭和7年(1932年)東京光学(トプコン)設立。志村地域に大規模工場が集中。

戦後は地下水枯渇、地盤沈下、水質悪化でしぼんでくる。
同時期に住宅不足解消のため、田園は、高島平団地へ。
昭和47年(1972年)総数は10170戸、3万人。一部の分譲では最高3000倍!

モスバーガー発祥地。1972年。

徳丸北野神社の社伝によれば、長徳元年(995年)に京都北野天満宮からの分霊に際し行ったのが始まり。
牛の面は、面をつけた牛役が、田の土を砕いてならす代かきの所作をおこなう。

う~ん、初めて見るかも^^









この大樽で大根4000本以上!!!
このような大樽は、酒造用→味噌・醤油→最後に漬物用に。
100年持つと云われ、昭和10年で新品200円、昭和は40年で中古5~10万円。


これは初めて見たかも。「綯い(ない)」とは「より合わせて作ること」の意味。

鉄製と木製のハイブリッドですな^^



というわけで、こちらの郷土資料館、なかなかキレイで盛りだくさんでしたよ。入って直ぐ左に最後まで遊郭だった家の門があったようなのですが、ちゃんと見なかった。。。^^;


資料館南、上に登ると赤塚城本丸跡があったようです。疲れちゃって登りませんでした^^;



カルガモくんはオスメス区別がつきませんね。




この日もなかなな盛りだくさんな一日でござました。16000歩♪
