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【無料公開】最終回 れいわ新選組編 なぜ同じ「反グローバリズム」で合流できないのか? れいわ新選組の謎に迫る

※ こちらの記事はメイの声(音声配信)でもお楽しみいただけます。 文字で読むのとはまた違った、声のエネルギーを通じた「気づき」を受け取っていただければ幸いです。

【序章:矛盾を抱えた意識の器】

今日は小政党シリーズの第5弾として、れいわ新選組を観察していきたいと思います。

このシリーズの中で、最も「読みにくい」党かもしれません。

2026年1月、この党に大きな転機が訪れました。

代表である山本太郎氏が、議員辞職を発表したのです。理由は健康問題で、多発性骨髄腫の一歩手前という診断を受け、治療に専念するためとのことでした。

代表職は継続するものの、国会の最前線からは退くことになります。

現在は大石あきこ共同代表が党の顔として前面に立っていますが、山本太郎という存在に依存してきた部分が大きいこの党が、これからどう変わっていくのか。あるいは変わらないのか。

今、この党を観察することには、そういう意味もあるのです。

さて、れいわ新選組といえば、「庶民の味方」「消費税廃止」「反緊縮」といった言葉が思い浮かびます。

掲げている主張は、とても分かりやすいものばかりです。経済的に苦しんでいる人々の声を代弁し、富の再分配を訴える。その姿勢に共感を覚える方も多いのではないでしょうか。

街頭に立ち、マイクを握り、通りすがりの人と直接対話する。既存の政党がやらなかったスタイルで、政治に関心のなかった層にも届く言葉を発してきました。

山本太郎という人物の「翻訳力」は、認めざるを得ません。難しい経済の話を、庶民の言葉に置き換える才能がある。「あなたの生活が苦しいのは、あなたのせいじゃない」というメッセージに、救われた人は少なくないでしょう。

表面だけを見れば、弱者に寄り添う、とても分かりやすい政党に見えます。

しかし、この党を深く観察していくと、いくつかの不思議な点が浮かび上がってくるのです。

同じ「反グローバリズム」を掲げる政党なのに、なぜか他の党とは決定的に違う部分がある。

「人権重視」を謳いながら、ある場面では首をかしげたくなるような行動を取っている。

「庶民の味方」と言いながら、その「庶民」という言葉の輪郭が、どこかぼやけている。

そして、対外姿勢。この党が見ている世界地図は、他の小政党とはかなり違う色で塗られているようです。

今日は、これらの不思議な点を一つずつ紐解いていきたいと思います。


私はメイ。プレアデス星団から、この地球を見守っている存在です。

政治を語る宇宙人、と不思議に思われるかもしれません。

けれども、政治というものは、人々の意識のエネルギーが形を取ったものに他なりません。

何を恐れ、何に怒り、何を望んでいるのか。その集合意識が凝縮されて、政党という器になって現れてきます。

れいわ新選組を支持している方々の中には、とても強い正義感をお持ちの方が多くいらっしゃいます。搾取されている人々を救いたい、弱い立場の人に寄り添いたい、という純粋な思い。

その思いは、確かに光を放っています。

しかし、光が強ければ強いほど、影もまた濃くなるものです。

今日は、その光と影の両方を、観察者の視点から見つめてまいりましょう。

どの党が正しいかを決めるのは、私ではありません。

皆さん自身の目で見て、皆さん自身の心で感じて、皆さん自身で判断していただく。そのための材料を、今日はお渡ししたいと思います。

では、第1章へ進みましょう。

00:00:02 ## 【序章:矛盾を抱えた意識の器】
00:04:06 ## 【第1章:れいわが開いた扉】
00:07:17 ## 【第2章:「庶民」とは誰か】
00:11:50 ## 【第3章:沈黙の謎】
00:20:10 ## 【第4章:世界地図の塗り分け】
00:29:34 ## 【最終章:意識の器が映し出すもの


【第1章:れいわが開いた扉】

まずは、この党が果たしてきた役割を、フラットに見ていきたいと思います。

れいわ新選組が日本の政治に投げかけた問いには、確かに意味のあるものがありました。

一つ目は、「消費税は悪税である」という主張を、国会の場で堂々と展開したことです。

思い返してみてください。消費税については、多くの政党が増税に加担してきた歴史があります。野党ですら、廃止を正面から訴える党はほとんどありませんでした。

れいわは、そこに切り込んでいったのです。

「税金はないところから取るな、あるところから取れ」

このシンプルなメッセージは、日々の生活に追われている人々の心に、まっすぐ届いたのではないでしょうか。

MMT的な積極財政論を政策の柱に据え、「国の借金」という言葉に怯える必要はないと訴え続けてきました。それまでタブー視されていた議論に風穴を開けたという点で、大きな意味があったと言えるでしょう。

二つ目は、障害者を国会に送り込んだことです。

2019年の参院選で、重度障害者である舩後靖彦さんと木村英子さんが当選しました。ALSを患い人工呼吸器をつけた舩後さんが国会議員になるというのは、日本の政治史上、初めてのことでした。

この当選によって、国会のバリアフリー化が一気に進むことになりました。それまで「検討します」「難しい」と言われ続けてきたことが、当事者が議員になった途端に実現したのです。

声を上げるだけではなく、当事者がその場に立つ。この手法がいかに有効であるか、れいわは身をもって示してみせました。

三つ目は、政治家と有権者の距離を縮めようとしたことです。

「おしゃべり会」と呼ばれる街頭での対話集会があります。事前に用意された質問ではなく、その場にいる人が何でも聞ける形式です。時には厳しい批判も飛んできますが、山本太郎はそれを避けずに受け止めてきました。

既存の政党が、支持者に囲まれた安全な場所で演説するのとは対照的な姿勢です。

こうした活動に信頼を寄せた人は、少なくないでしょう。


ここまで見ると、れいわ新選組は「庶民の味方」として、筋の通った活動をしているように見えます。

しかし、私が観察していて気になるのは、ここからです。

この党が言う「庶民」とは、いったい誰のことを指しているのでしょうか。

その輪郭が、少しぼやけているように見えるのです。

「弱者に寄り添う」という姿勢は美しいものです。けれども、「弱者」の範囲をどこまで広げるのか。その境界線の引き方によって、政党の性質は大きく変わってまいります。

第2章では、そのあたりを観察していきましょう。


【第2章:「庶民」とは誰か】

れいわ新選組は「庶民の味方」を掲げています。

では、その「庶民」とは、具体的に誰のことを指しているのでしょうか。

この問いを考える上で、いくつか興味深い事実があります。

まず、候補者の顔ぶれを見てみましょう。

先ほど触れた重度障害者の議員。2022年の参院選では、帰化した在日コリアンの方を比例候補として擁立しています。同じく2022年には、トランスジェンダーの新宿区議だったよだかれん氏も公認候補として立てました。山本代表は彼女を「歩く多様性」と表現しています。

ロスジェネ世代、シングルマザー、障害者、在日コリアン、LGBTQ。社会の周縁に置かれてきた人々を積極的に候補者として立てているのです。

「声なき声を国会へ届ける」という理念は一貫しています。

政策面でも、同性婚の法制化、LGBT差別解消法の制定、選択的夫婦別姓の実現を明確に掲げています。2023年のLGBT理解増進法に対しては、「実効性が低い」「差別禁止規定が弱い」として反対の立場を取りました。理解を増進するだけでは不十分で、差別を明確に禁止する法律が必要だという主張です。

また、外国人参政権について、山本太郎代表は「何代にもわたり日本で暮らし、納税してきた定住外国人については、議論していいのではないか」という趣旨の発言をしています。朝鮮学校の無償化支援や、入管施設における人権問題の是正も訴えてきました。


ここで、一つの構造が見えてまいります。

れいわ新選組が見ている「庶民」とは、「日本人の庶民」というより「社会的弱者全般」なのです。

国籍よりも、「弱い立場に置かれているかどうか」が基準になっている。

これは、伝統的な左派の世界観と深く結びついています。

共産党や社民党の系譜にある政党は、「普遍的人権」という考え方を重視します。人権は国籍に関係なく、すべての人間に等しく与えられるべきものだという思想です。

この視点に立てば、「日本人の庶民」と「日本に住む外国人」を区別する必要はありません。弱い立場にある人は、等しく守られるべき存在だからです。

この世界観は、一つの筋が通っています。

しかし、ここで問いが生まれます。

「庶民の味方」という言葉を聞いた時、多くの日本人は「日本人の生活を守ってくれる党」だと受け取るのではないでしょうか。

一方で、れいわの世界観では、「庶民」の範囲はもっと広い。国籍を超えて、弱者であれば守る対象になる。

同じ言葉を使っていても、指し示している範囲が違う。

ここに、認識のずれが生じる余地があるのです。

ある支持者は「日本人の生活を守ってくれる党」だと思っている。別の支持者は「すべての弱者を救う党」だと思っている。同じ党を応援しているのに、見ている景色が違う。

これは批判ではありません。構造を観察しているのです。

「普遍的人権」の立場に立つか、「国民の利益」の立場に立つか。どちらが正しいかは、私が決めることではありません。

ただ、この党がどちらの世界観に立っているかを理解しておくことは、投票を考える上で大切なことでしょう。


さて、「庶民の味方」という看板について、もう一つ別の角度から観察してみましょう。

れいわは「反グローバリズム」も掲げています。TPP反対、移民政策反対、「1%のグローバル資本が富を独占している」という批判。

これは参政党やゆうこく連合と、同じ方向を向いているように見えます。

ところが、具体的な主張を比べていくと、不思議な違いが浮かび上がってくるのです。

第3章では、その「沈黙の謎」を観察していきましょう。


【第3章:沈黙の謎】

れいわ新選組は「反グローバリズム」を掲げています。

TPP反対、移民政策反対、「1%のグローバル資本が富を独占している」という批判。これらの主張は、参政党やゆうこく連合と同じ方向を向いているように見えます。

ところが、具体的な主張を比較していくと、興味深い違いが浮かび上がってくるのです。

まず、WHOに対する姿勢を見てみましょう。

参政党は「WHO脱退」を明言しています。ゆうこく連合は「パンデミック条約反対」を掲げています。

れいわはどうでしょうか。

ほとんど言及がありません。

党の公式サイトにも、山本太郎代表の街頭演説にも、WHOやパンデミック条約に対する明確な批判は見当たらないのです。

次に、ダボス会議に対する姿勢を見てみましょう。

参政党やゆうこく連合は、ダボス会議を「グローバルエリートの集まり」として批判的に捉えています。グレートリセット、クラウス・シュワブといった言葉も、彼らの口からはよく出てきます。

れいわはどうでしょうか。

批判どころか、2026年1月の党首討論で、大石あきこ共同代表はダボス会議でのカナダ首相の演説を「注目すべき」と肯定的に引用しています。

同じ「反グローバリズム」を掲げながら、なぜこれほど態度が違うのでしょうか。


第2章で、れいわが「普遍的人権」という世界観を持っていることをお話ししました。

この世界観は、国際機関の捉え方にも深く関わっています。

国連、WHO、国際人権規約。これらは「国際協調の象徴」であり、「人類の進歩の証」として捉えられてきました。

国家のエゴを超えて、人類全体の利益のために協力する。その理想を体現する存在として、国際機関は肯定的に見られてきたのです。

だからこそ、「国連中心主義」を掲げる政党が多い。国際協調を重視し、一国主義を批判する立場です。

この世界観に立つと、「WHOが主権を侵害する」「ダボス会議がグローバルエリートの司令塔だ」という発想は、そもそも出てきにくいのです。

参政党やゆうこく連合が見ている世界と、れいわが見ている世界は、同じ「反グローバリズム」という言葉を使いながら、実は全く違うものを見ているのかもしれません。

参政党やゆうこく連合にとって、国際機関は「支配の道具」です。

れいわにとって、国際機関は「協調の象徴」なのです。

この違いが、同じ旗を掲げながら決して合流できない理由の一つでしょう。


もう一つ、興味深い対比があります。

緊急事態条項に対する姿勢です。

れいわは、緊急事態条項に対して非常に強い言葉で反対しています。「独裁条項だ」「火事場泥棒だ」と、繰り返し批判してきました。国内で政府に権限が集中することには、極めて敏感なのです。

ところが、WHOのパンデミック条約はどうでしょうか。これは国際機関に権限が集中する可能性を持つ枠組みです。しかし、れいわからはほとんど批判の声が聞こえてきません。

国内の権力集中には敏感。
国際機関の権限拡大には沈黙。

なぜこのような非対称性が生まれるのでしょうか。

先ほどの世界観で考えると、理解しやすくなります。

「国家権力」は歴史的に、戦争を起こし、人権を抑圧してきた存在です。だから、国家への権力集中には警戒する。

一方で、国際機関は「国家のエゴを抑制する存在」として捉えられています。国家の暴走を止め、人権を守るための枠組みだと。

この視点に立てば、緊急事態条項には反対するが、WHOの権限強化には特に問題を感じない、という態度は一貫しているのです。

ただし、ここで一つの問いが生まれます。

もし国際機関そのものが、別の意図を持って動いていたとしたらどうでしょうか。

「国際協調」の美名のもとに、各国の主権が少しずつ削られていくとしたら。

その可能性を、れいわは視野に入れているのでしょうか。


人権問題についても観察してみましょう。

2022年、衆議院でウイグル人権決議が行われました。

れいわは反対票を投じています。

ただし、これには背景があります。

れいわは声明の中で「ウイグルでの人権侵害は断固として許さない」と明言しています。チベット、香港の問題についても同様です。人権侵害そのものを容認しているわけではありません。

では、なぜ決議に反対したのか。

彼らの説明はこうです。

「決議の内容が甘すぎる」「人権『状況』と言い換えて、人権『侵害』と明記していない」「中国を名指ししていない」「やってる感を出すための政治利用だ」

そして、もう一つの批判を加えています。

「アメリカの人権侵害には何も言わないのか。イラク、アフガニスタンで何が行われたか。同盟国の人権侵害には目をつぶるのはダブルスタンダードではないか」

これも、先ほどの世界観から来る発想です。

「普遍的人権」を掲げるからこそ、中国だけでなくアメリカも批判しなければフェアではない、という論理になる。

一見すると筋が通っています。しかし、結果的にどうなるでしょうか。

中国への批判に、アメリカ批判をセットで求める。両方やらなければ賛成しない。

この立場を取り続けると、現実の政治の場では、中国批判は常に薄まることになります。

れいわにそのような意図があるかどうかは分かりません。ただ、構造としてそのように機能しやすい、ということは観察しておく必要があるでしょう。


ここまで見てきて、れいわ新選組の視界の特徴がより鮮明になってまいりました。

この党は、「縦の対立」には非常に敏感です。

上級国民と庶民。エリートと民衆。1%と99%。

この縦の構造、つまり国内における搾取の構造については、鋭い批判の目を向けています。

しかし、その「縦」がどこまで続いているのか。

国内の富裕層の上に、多国籍企業があり、その上に国際金融資本があり、さらにその上に国際機関のネットワークがある。

参政党やゆうこく連合は、その構造を上の方まで辿ろうとしています。だからWHOやダボス会議への批判が出てくる。

れいわは、その視線が国内で止まっているように見えるのです。

見えていないのか。あえて見ないようにしているのか。あるいは、「国際機関は味方だ」という世界観を持っているから、そもそも敵としては映らないのか。

その答えは、私にも分かりません。

ただ、この沈黙には構造的な理由があるということは、観察を通じて見えてきました。


さて、第4章では、もう一つの重要なテーマを観察していきます。

れいわ新選組の対外姿勢、特に安全保障に関する立場です。

この党が見ている世界地図は、他の政党とはかなり違う色で塗られているようです。


【第4章:世界地図の塗り分け】

れいわ新選組の対外姿勢を観察していきましょう。

この党が見ている世界地図は、他の政党とはかなり違う色で塗られています。

まず、対米姿勢から見てみましょう。

れいわは、日本の対米従属を明確に批判しています。

日米地位協定の見直し、辺野古新基地建設の中止、南西諸島のミサイル基地化反対。「アメリカの戦争に巻き込まれてはならない」というメッセージを、繰り返し発信しています。

2022年以降の防衛費増額にも強く反対しており、「5年間で43兆円」という計画を「軍拡路線」として批判してきました。

軍需産業への批判も明確です。レイセオン、ロッキード・マーティンといった企業名を挙げ、「戦争ビジネス」という言葉を使っています。

この点では、非常にはっきりとした立場を取っています。


次に、対イスラエルの姿勢を見てみましょう。

ここで興味深いのは、れいわが小政党5党の中で最も明確にイスラエルを批判しているという点です。

2023年のガザ侵攻について、大石晃子議員は国会で「虐殺」という言葉を使いました。「ロシアに制裁したのだから、イスラエルにも経済制裁すべきだ」と主張し、パレスチナ国家の承認も求めています。

2026年1月には、党所属の多ケ谷亮議員がイスラエル政府の招待で訪問団に参加したところ、党幹部から厳しい批判を受け、離党に至るという出来事もありました。

イスラエルに対しては、党として一切の妥協を許さない姿勢を見せているのです。


では、対中姿勢はどうでしょうか。

ここが、興味深いところです。

台湾有事について、れいわは「アメリカの戦略に乗るべきではない」という姿勢を示しています。軍備増強に反対し、対話による解決を訴えています。

平和外交という理念としては理解できます。

しかし、では具体的に中国とどう向き合うのか。尖閣諸島の問題にどう対処するのか。台湾海峡で緊張が高まった時にどうするのか。

その解像度は、率直に言って高くないように見えます。

韓国についてはどうでしょうか。

過去に山本太郎氏は、竹島問題について「韓国にあげたらよい」という趣旨の発言をして物議を醸したことがあります。本人は「番組でカットされて真意が伝わらなかった」「政府の弱腰への皮肉だった」と釈明していますが、この発言を覚えている人は少なくありません。

また、朝鮮学校の無償化支援、在日コリアンの地方参政権議論への肯定的姿勢など、韓国・朝鮮半島に関するテーマでは、融和的なスタンスが目立ちます。

移民政策については、れいわは反対の立場を取っています。ただし、その理由は「外国人が増えると治安が悪化する」といったものではありません。「企業が低賃金労働力として外国人を利用し、日本人の賃金も押し下げられる」という、あくまで経済的搾取の構造への批判なのです。

ここにも、れいわの世界観が表れています。

問題の本質は「外国人」ではなく「搾取する側の企業やシステム」にある、という見方です。


ここで、一つの構造を観察してみましょう。

れいわの対外姿勢には、ある特徴的なパターンがあります。

アメリカに対しては、批判が明確です。

イスラエルに対しても、批判が明確です。

中国や韓国に対しては、批判が曖昧、あるいは融和的です。

この非対称性は、どこから来ているのでしょうか。

第2章、第3章で見てきた世界観を思い出してください。

れいわは「縦の対立」を重視する党です。エリートと民衆、支配者と被支配者、1%と99%。この縦の構造に目を向けています。

そして、アメリカやイスラエルは「支配する側」として認識されているようです。

軍産複合体、戦争ビジネス、グローバル資本。こうした「上からの支配」を象徴する存在として、アメリカとイスラエルは批判の対象になる。

一方で、中国や韓国に対してはどうでしょうか。

中国の軍拡、中国共産党の権力構造、一帯一路の戦略的意図。韓国との歴史問題や領土問題。こうしたテーマについて、れいわが深く切り込んでいる様子は見当たりません。

彼らの世界観の中で、中国や韓国は「支配する側」としては認識されていないのかもしれません。あるいは、アメリカ主導の「中国包囲網」や「嫌韓」に加担することへの警戒が、批判を控えさせているのかもしれません。

いずれにせよ、反米・反イスラエルは明確、対中・対韓は曖昧または融和的、というパターンが浮かび上がってきます。


もう一つ、構造的な視点を加えてみましょう。

伝統的な左派の世界観では、「アメリカ帝国主義」は長年の批判対象でした。ベトナム戦争、イラク戦争、世界各地への軍事介入。アメリカの覇権主義を批判することは、左派のアイデンティティの一部だったのです。

イスラエルへの批判も、この文脈で理解できます。パレスチナ問題は、左派にとって長年の関心事でした。イスラエルの背後にアメリカがいるという構図は、「アメリカ帝国主義批判」の延長線上にあります。

一方で、中国や韓国に対する視線は、歴史的に複雑です。

かつての左派にとって、中国は「社会主義の実験国」でした。韓国については、在日コリアンの人権問題という文脈で、連帯の対象として見られることが多かったのです。

時代は変わり、今の中国は巨大な資本主義国家になっています。しかし、「アメリカを批判し、その対立軸にある国には比較的寛容」という思考の枠組みが、無意識のうちに残っているのかもしれません。

これは批判ではなく、構造の観察です。


ここで、興味深いデータがあります。

れいわ新選組は、左派政党でありながら、保守層からも一定の支持を得ています。NHKの出口調査によれば、約5%の保守層がれいわに投票しているのです。

なぜでしょうか。

反TPP、反グローバリズム、国内産業の保護。これらのテーマでは、保守層と主張が重なる部分があるのです。

「大企業やグローバル資本に庶民が搾取されている」という認識は、左派だけのものではありません。保守層の中にも、同じ怒りを感じている人がいます。

しかし、対外姿勢になると、話が変わってきます。

反米、対中・対韓への融和的姿勢、イスラエル批判。ここで、保守層との間に大きな壁が生まれます。

「経済政策は支持できるけど、外交・安全保障が不安」

おそらく、そう感じている人は少なくないでしょう。

れいわが保守層に広がりきれない理由は、ここにあるのかもしれません。


この党の対外姿勢を観察していて感じることがあります。

れいわは「縦の対立」を見る目は鋭い。国内における搾取の構造を言語化する力は、他の党にはないものがあります。

しかし、「横の対立」、つまり国家間の力学を見る目は、それほど鋭くないように見えます。

世界は、エリートと民衆の縦の対立だけで動いているわけではありません。

国家と国家の利害がぶつかり合い、領土や資源をめぐって緊張が生まれ、時には武力衝突に至る。これもまた、現実の一部です。

「平和外交」「対話による解決」という理念は美しい。しかし、相手が対話に応じなかった時にどうするのか。その問いに対する答えが、れいわからは見えてこないのです。

これは批判ではありません。この党が見ている世界と、見えていない世界を、観察しているのです。


さて、最終章では、今日の観察を統合していきたいと思います。

れいわ新選組という「意識の器」が、何を映し出しているのか。

そして、皆さん自身がこの党をどう見るか、考えていただければと思います。


【最終章:意識の器が映し出すもの】

今日は、れいわ新選組という党を観察してまいりました。

ここで、これまで見てきたことを統合していきたいと思います。

まず、この党が「開いた扉」がありました。

消費税廃止を国会で堂々と訴えたこと。障害者を国会に送り込み、バリアフリー化を実現させたこと。街頭で有権者と直接対話するスタイルを貫いてきたこと。

「声なき声を届ける」という理念のもと、既存の政党がやらなかったことに挑戦してきた。これは事実です。

山本太郎という人物の「翻訳力」、つまり難しい経済の話を庶民の言葉に置き換える力は、他の政治家にはないものでした。その山本代表が健康上の理由で議員を辞職した今、この党がどう変わっていくのかは、注目すべき点でしょう。


次に、この党の「世界観」が見えてきました。

れいわは「庶民の味方」を掲げています。しかし、その「庶民」の定義は、私たちが普通に想像するものより広いようです。

障害者、在日コリアン、LGBTQ、ロスジェネ世代、シングルマザー。社会の周縁に置かれた人々を「弱者」として包摂していく姿勢。

その根底には、「普遍的人権」という左派的な世界観があります。国籍よりも、「弱い立場に置かれているかどうか」が基準になる。

この世界観は、一つの筋が通っています。しかし同時に、「日本人の庶民を守る党」だと思って支持している人との間に、認識のずれが生じる可能性も持っています。


そして、この党の「沈黙」が見えてきました。

れいわは「反グローバリズム」を掲げています。しかし、WHOやダボス会議への批判は聞こえてきません。むしろ、ダボス会議の演説を肯定的に引用している場面すらありました。

緊急事態条項には「独裁条項だ」と猛反対する。しかし、国際機関の権限拡大には沈黙する。

この非対称性の背後には、「国際機関は協調の象徴である」という世界観があるようです。参政党やゆうこく連合が国際機関を「支配の道具」と見ているのとは、対照的です。

同じ「反グローバリズム」という言葉を使いながら、見ている世界が全く違う。だから、これらの党が合流することは難しいのでしょう。


さらに、この党の「世界地図」が見えてきました。

アメリカとイスラエルには、明確な批判の目を向けています。軍産複合体、戦争ビジネス、「支配する側」への怒り。

一方で、中国や韓国に対しては、批判が曖昧、あるいは融和的です。

この非対称性もまた、左派的な世界観から来ているようです。「アメリカ帝国主義」を批判することは左派のアイデンティティの一部であり、その延長線上にイスラエル批判がある。一方で、アメリカの対立軸にある国々には、比較的寛容な視線が向けられる。

「平和外交」「対話による解決」という理念は美しい。しかし、国家間の力学という現実に対して、どこまで有効な処方箋を持っているのか。そこには疑問が残ります。


ここで、小政党シリーズ全体を振り返ってみましょう。

5つの党を観察してきて、一つのことが見えてきました。

どの党も、日本が抱える問題に対して声を上げています。しかし、見ている「層」が違うのです。

参政党は、「主体を奪われた」という層を見ています。GHQの占領政策、WHOの権限拡大、日本人が自分で決められなくなっている構造。

日本保守党は、「力で負けた」という層を見ています。中国や韓国に侮られ、謝らされ、弱くなった日本。

ゆうこく連合は、「金で縛られた」という層を見ています。国際金融資本、ダボス会議、国境を越えた支配のネットワーク。

チームみらいは、「非効率なシステム」という層を見ています。古い政治、遅いデジタル化、感情に左右される意思決定。

そして、れいわ新選組は、「経済的に搾取された」という層を見ています。上級国民と庶民、1%と99%、富が上に集中し下が絞り取られる構造。

どれが正しいか、という問いには意味がありません。

それぞれの党が、それぞれの角度から、この国の問題を照らし出している。どの光を頼りにするかは、皆さん自身が決めることです。


最後に、スピリチュアルな視点から一つお伝えしたいことがあります。

政党とは、「集合意識の器」です。

多くの人の思い、怒り、願い、恐れが集まって、一つの形を作り出している。

れいわ新選組に集まっている意識は、「搾取への怒り」と「弱者への共感」です。経済的に苦しんでいる人々の叫び、報われない努力、見捨てられているという感覚。そうした思いが、この党という器に流れ込んでいます。

その思いは、確かに光を放っています。

しかし、怒りは諸刃の剣です。方向を間違えると、別の分断を生むこともある。「敵」を設定することで結束を強めるやり方は、時として視野を狭めることにもなります。

大切なのは、どの党を選ぶかだけではありません。

「自分は何を見ているのか」を知ることです。

どの層に怒りを感じているのか。どの問題を最も重要だと感じているのか。そして、自分が見えていない層はどこなのか。

その問いを持ち続けることが、観察者として生きるということです。

選挙とは、誰かに正解を教えてもらうものではありません。

自分で見て、自分で感じて、自分で決める。

その過程そのものが、皆さんの意識を高めていく行為なのです。


今日の観察が、皆さんの「気づき」の一助になれば幸いです。

小政党シリーズ、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。


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