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沈黙の音~さらば、オールド・メディア

「あなたの曲のカヴァ―でお気に入りは?」という質問を受けると、ポール・サイモンは「アレサ・フランクリンのBridge Over Troubled Water(明日に架ける橋)」といつも即答してきた。近年はこれにDisturbed のThe Sound Of Silenceが加わったようだ。
 サイモンは、2016年、TV番組『コナン』で彼らの演奏を観て衝撃を受け、ヴォーカルのデヴィッド・ドライマンにメールでメッセージを送っている。
「本当にパワフルなパフォーマンスだった。君たちが(この曲を)ライブで披露するのを見るのは初めてで、最高だったよ。ありがとう」。
 ダライマンは、バンドのfacebookアカウントで、興奮気味にこのことを伝えている。
「史上最も偉大なソングライターの1人からメッセージをもらった!!! 誰か俺をつねってくれ……追伸:これはエイプリル・フールのジョークではないんだ」。
 Disturbed のThe Sound Of Silenceは現在YouTube再生回数11憶回を突破している。
 ちなみに、サイモン作品で、オリジナル、カヴァーともに全米チャートNO1になったのは、Bridge Over Troubled WaterとのThe Sound Of Silenceだけだ。

 サイモンはこうも言っている。
「僕が書いた曲で、今になっては古くなってしまった曲もあるし、時代を超えて生きている曲もある。生き残る曲というのは、時代時代で新しい解釈を必要としているんだ。曲というものはリスナーによって完成されるということ。僕の曲を誰かが歌って、歌詞を間違えたとしても、それは彼の解釈が加わったということで、とても面白いことだと思う」
 となれば、サイモンがDisturbed版のSound Of Silenceを気に入ったというのは、彼らの演奏もさることながら、その独自の解釈に対しての敬意からなのだろう。
 
 僕(但馬)にとってもこの曲は特別な意味をもっている。最初に聴いたのは、中学1年のとき、名画座で観た映画『卒業』の挿入歌としてだった。帰りにたまたま入ったレコード屋でドーナツ盤を見つけ導かれるようにレジへ向かった。その晩は、部屋に閉じこもり繰り返しこの曲を聴いた。「沈黙の音」という文学的なタイトル、Hello darkness my old friend…と始まる難解な歌詞(アート・ガーファンクルは、コミュニケーションの不在を歌ったものだとし、現在に至るまでそれが公式見解となっている)は、これまで耳にしてきた歌謡曲やポップスとは明らかに一線を画すものがあった。はっきり言ってショックだった。世の中には、学校では教えてくれない何かがいっぱいありそうだ、それを初めて意識したきっかけはこの曲だった。S&Gに夢中になり、ストーンズ、ビートルズを知り、ディランに至る、これが僕の洋楽遍歴である(通常の洋楽ファンは、ビートルズが最初に来る人がほとんどと思うが)。

 最初の出会いから約50年、Sound Of Silenceだけでも1000回以上は聴いているだろう。10代、20代、30、40代……僕にとってそれぞれのSound Of Silenceがあった。まさに時代を超えて生き残った名曲である。サイモンのいうように、時代とともに、リスナーとともに、新しい解釈が生まれるのなら、21世紀の今、壮年に達した僕が、この曲をこんな解釈で聴くことも許されていいはずだ。

The Sound Of Silence(沈黙の音)

Hello, darkness, my old friend
暗闇よ、古き友よ
I've come to talk with you again
君とまた話しにきた
Because a vision softly creeping
なぜなら 幻影がそっと忍び込んきて
Left its seeds while I was sleeping
眠っている間に 種子を置いていったんだ
And the vision that was planted in my brain
その幻影は 僕の脳に根を張り
Still remains
今も動かない
Within the sound of silence
沈黙の音の中に

幻影(vision)とは何だろう? 眠っている間に脳に種子を植え付けるとは?
僕には、オールド・メディアとしてのテレビ(television)に思えてならない。メディアによる洗脳と解釈する。

In restless dreams, I walked alone
不安な夢のような世界を一人歩き出す
Narrow streets of cobblestone
狭い敷石の道を
'Neath the halo of a street lamp
街灯の光輪の下で
I turned my collar to the cold and damp
寒さと湿気に 襟を立てる
When my eyes were stabbed by the flash of a neon light
ネオンの閃光が僕の目を射抜き
That split the night
夜を引き裂いたとき
And touched the sound of silence
沈黙の音に触れたのだ

散文的なイメージが広がる。みごとな描写。
ネオン(neon)もまた映像メディアの暗喩としておこう。
メディアの一方的な情報の垂れ流しの前に、僕らは沈黙の音(思考停止)に置かれるていく。
そして、次のヴァースで、主人公は、ツァラトゥストラのように人々の間を漂泊し対話を試みるのだ。

And in the naked light, I saw
むき出しの光の中に 僕は見た
Ten thousand people, maybe more
一万人がそれ以上の人を
People talking without speaking
彼らは語ることなくしゃべり
People hearing without listening
耳を傾けることなく聞き
People writing songs that voices never shared
決して声に出されることのない歌を書く
And no one dared
そして沈黙の音を
Disturbed the sound of silence
誰もかき消そうとはしない

偏向メディアによって、peopleは完全に、耳を声を、語り合う言葉を失ってしまった。
Disturbedという単語が使われているのは、偶然にしても面白い。

"Fools," said I, "You do not know
愚か者め 僕は叫ぶ 君らは気が付かないのか
Silence, like a cancer, grows
沈黙がガン細胞のように広がっていくのを
Hear my words that I might teach you
僕の言葉に 耳を傾けるのだ
Take my arms that I might reach you"
僕の差し出す腕を 取るのだ
But my words, like silent raindrops, fell
だが 僕の言葉は 沈黙の雨粒となって
And echoed in the wells of silence
沈黙の井戸の中に 虚しく反響(こだま)した

And the people bowed and prayed
そして、人々は ぬかずき祈る
To the neon god they made
自分たちの作ったネオンの神に
And the sign flashed out its warning
やがて、ネオンの掲示板は 嘲るように
In the words that it was forming
こんな言葉を並べている
And the sign said, "The words of the prophets are written on the subway walls
預言者の言葉なんて 地下鉄の壁にも
And tenement halls
木賃宿のホールにも書いてあるのに
And whispered in the sound of silence"
そして 囁きは沈黙の音に消えた

Warningは正確には「警告している」だが、どこか醒めた印象を感じたので「嘲る」とした。テレビメディアを妄信する人々は、まさに自分の作ったネオンの神に魅入られた者たちにも見える。
この曲のもっとも痛烈な一節、The words of the prophets are written on the subway walls。テレビで御高説を垂れる御用学者や評論家先生の言葉など、便所の落書き(四文字言葉)と同じだと言っているのだ。

彼らの言葉など公衆便所の壁に書いてある 

 それまで、他愛ないティーンエイジャー・ソングが主だったポピュラー・ミュージックが、強いメッセージ性と詩を持ち始めたのが1960年代中盤のこと。その先駆だったのが、ディランやサイモン、そしてビートルズだった。オールドメディアによる情報独占に、SNSが風穴を開けた今世紀の姿にどこか重なる。もはや誰もがメディアになれる時代だ。沈黙の音は破られたのである。


 (追記)トム・ウィルソンについて、少し

S&Gのファーストアルバムに収録されていたアコースティックバージョンのThe Sound Of Silenceにアーティストには無断で、エレクトリックバンドのオーバーダビングをほどこしたのはコロンビア・レコードのプロデューサーだったトム・ウィルソンだった。ウィルソンは、セールス的には大失敗だったアルバムの最後に収録されていたこの曲が、ボストンやマイアミのラジオのリスナー、とりわけ大学生の間でじわじわ広がっているのを耳にし、これに流行りのロック・ビートを加えれば、ヒットの可能性もあると判断したのだ。直感は的中し、曲はいきなりチャートに躍り出てビートルズのWe Can Work It Out(恋を抱きしめよう)と首位争いを演じ、2週にわたってビルボードの1位に輝く大ヒットとなった。ロック史の伝説のひとつである。

▲オリジナルのアコーステック・バージョン。ファーストアルバムのジャケ写真はNYの地下鉄の駅で撮られたが、撮影には2日間、700カット以上が費やされた。歌詞に出てくる”預言者の言葉”がばっちり写り込んでしまい、多くを没にせざるをえなかったからだ。「いや、そこに写っているものにこそ、僕らが訴えたかったことがあるんだ、と言ってやったよ」(アート・ガーファンクル)。S&Gにはズバリ地下鉄の落書きをモチーフにしたA Poem On The Underground Wallという曲がある。

 ウィルソンのこのアイディアは突然ひらめいたものではなく、ディランの担当者でもあった彼は、ディランにバックバンドをつけることを進言した最初の一人だった。アニマルズ版のエレクトリックなHouse Of Rising Sun(朝日のあたる家)に触発され、ディランのファーストアルバムに収録された同曲を含むいくつかのフォーク作品に、(やはりディランに無断で)エレクトリックのリズムセクションを被せる実験を行っていたという。結局、それらの音源は陽の目を見ることはなかったが、フォークロックの誕生におけるトム・ウィルソンの功績はもっと評価されるべきではないか。彼がいなければ、ロックの歴史はまた違ったものになっていたかもしれないのである。

トム・ウィルソン。ハーバード大学出身の超秀才。「コルトレーンやサン・ラと仕事してきた僕にとって、フォークもロックも所詮お子様の音楽だった」。その考えが変わったのは、ボブ・ディランのレコーディングに関わったのがきっかけだという。

 ちなみに、ディランのBob Dylan's 115th Dream(ボブ・ディランの115番目の夢)の冒頭の笑い声と「Wait minut,Ok,take2!」(ちょっとまて、よしテイク2だ!)の声はトム・ウィルソンのもの。

 これも半ば、伝説になっているが、ウィルソンはディランのLike A Rolling Stoneのレコーディングを終えたばかりのリズムセクション隊に残るようにと指示し、Sound Of Silenceのエレキサウンドのトラックを完成させと長く伝えられてきたが、Like A Rolling Stoneのセッションに参加しているアル・クーパーはこれを否定。また、エンジニアのたロイ・ハリーも「あいつら(ディランたち)は録音をさっさと終えて、ビールを飲みにスタジオを出て行ったよ」と証言している。Sound Of SilenceとLike A Rolling Stoneのバッキング・セッションで重なるメンバーはボビー・グレッグ(ドラムス)とアル・ゴーゴニ(ギター)の二名ということになる。やはり、この二曲はどこかでつながっているのかもしれない。
 特にSound Of Silenceにおけるゴーゴニの貢献は大きく、6弦ギターを2台重ねることで12弦ギターのような効果を上げている。音楽雑誌などで、イントロの音色を12弦ギターと紹介したものがあるが、以上のような理由と、もう一人のギタリスト、ヴィニー・ベルが12弦ギターの開発にたずさわっていたこと(USA版WIKIPEDIA)から生じた誤解だろう。ちなみに、全体に強いエコーをかけバーズふうのサウンドに仕上げたのは、前出のロイ・ハリーのアイディアだそうだ。ハリーはこの後、名プロデューサーとして、”3人目のS&G”といわれるほどにデュオの信頼を受け、彼らのサウンドを支える存在となるのである。

 ディランにとって、そしてS&Gにとっても大恩人であるトム・ウィルソンだったが、なぜかアルバムHighway61Revisitedの製作中、ディランに担当プロデューサーを解任されてしまうのである。よって、Like A Rolling Stoneがウィルソンとディランが組んだ最後の曲ということになってしまった。このことが、コロンビア・レコードでの彼の立場をも微妙なものにし、結局、MGMへの移籍を選ばせることになる。Sound Of Silenceのフォークロック・バージョンとそのヒットは、コロンビアにおける彼の置き土産ともいえた。会社に対する意地だったかもしれない。
 S&G、ディランといったトム・ウィルソンの担当アーティストはボブ・ジョンストン預かりになったが、ポール・サイモンは「プロデューサーとしてのジョンストンの仕事は、チキンクラブ・サンドウィッチは誰が注文したかを当てることぐらいだったよ」と、その評価は手厳しい。なお、サイモンの息子、ハーパー・サイモンのデビューアルバムのプロデュースはジョンストンである。
 移籍後のウィルソンは、フランク・ザッパやヴェルベット・アンダーグランドの発掘者としても知られるようになるが、やはりその業績に比して、過小評価はいなめない。

フランク・ザッパ&マザースのアルバムWe're Only In It For The Moneyは見開きジャケットを開くとビートルズのSgt. Pepper's のパロディになっている。左端前列のジャケットの胸に手を差し入れている黒人がトム・ウィルソン。よく見るとジミヘンもいる。

 1978年9月、トム・ウィルソンは心筋梗塞で急逝する。47歳の若さだった。

(もうひとつ追記)
 中山康樹『ビートルズとアメリカ・ロック史~フォーク・ロックの時代』(河出書房新社)は一章を割いてSound Of Silenceのオーバーダビングの裏側、及びLike A Rolling Stoneとの関係について考察している。定説を打ち破る裏話もあり、目から鱗。
 それにしても、ビートルズのアメリカ上陸、フォークロックの誕生、サイケデリック・サウンドの確立が、わずかなタイムラグで矢継ぎ早に起こっていたということは、やはりロック史の奇跡としか言いようがない。ロックン・ロールはこうしてロックへと進化したのである。

60年代ロックに興味ある人は必読。

(おまけ)
ニール・ヤング夫妻主催の障碍児童のためのチャリティイベントBridge School Bene Benefit1993のトリでSound Of Silenceを演奏するサイモン&ガーファンクル。サプライズとしてエディ・ヴァン・ヘイレン(S&Gの大ファンなのだそうだ)がギターで参加。ヤング夫妻の子供も障害を抱えているという。


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