口約束






DAY22<口約束>
朝早くゴーキョに向かって出発するという日本人ハイカーに餞別(生姜パウダー)を渡す。これで身体を十分に温めながら進んでもらいたい。
ダイニングに降りて朝食をとっていると、大画面のテレビに深刻そうな顔つきの女性がニュースを伝えている。どうやらネパール西部で大地震があったようだ。どうやら、私がいる東部でも少しばかり揺れたようだが、まっったく気がつかなかった。
スマホにもたくさんの心配の声が届いていた。とりあえず朝食をとった後、その声に対して返信を済まし、出発の準備をする。数日前に見た夢がまさかネパールで起きるとは。予知夢といえばその通りかもしれないが、日本で起きるのではないかと心配していたから、自分の身近で起きたことが驚きだった。
とはいえ、自分や周囲での影響は全くなかったので予定通り歩く。もし、東部で地震が起きていたらいったいどうしたものだろうか。想像ができない。
今日は再会の約束をした人々の元を訪ねる日だ。旅の序盤に通ってきた道をもう一度通ることもあるし、道自体も単調なアップダウンの繰り返しなので、歩いている間はずっと彼らのことを思い出していた。前回会ったのはもう10日も前のことだ。
ナムチェから一気に森林の急斜面を下っていく。行きではあんなにハァハァと息を切らしていた坂道も下りとなればあっという間に終わってしまう。谷底にある長い吊り橋を渡り、ひんやりした空気の森林を抜けていく。もう一度短い吊り橋を渡れば、ジョルサレだ。
ジョルサレが近づいてくるとドキドキ、緊張してくる。10日振りの再会。今日会う約束をしたわけでもないし、昨日連絡をしたわけでもない。ましてや覚えているかどうかという心配もある(シェルパ族は暗記力がすごいんのでその心配は全く必要ないのだが)。
ロッジが集中している通りを歩く。前回泊まったロッジの前に到着すると、ドアが開いていたので、中を覗こうとすると、暗闇から奥さんが出てきた。突然の再会(といっても私は準備していたが)にお互い驚き、存在を確かめ合うと、同時に微笑んだ。
ナマステ!と手を振ると彼女は手を合わせてナマステと応え、ダイニングの奥に向かって声をかける。すると旦那さんが顔を出し、チヤを飲んでいくか?と訪ねる。旅の中で出逢った人からの誘いには必ず乗るのが私の旅の決まりなので、もちろんと応えて中に入る。
彼らはダイニングではなくキッチンに招待をしてくれた。キッチンには最先端のガスキッチンもあるが、その横には昔ながらの竃もあり、火が焚かれていた。そのおかげでキッチンは驚くほど暖かい。旦那さんはチヤを入れて出してくれた。冷めきっていた手とお腹が一気に温まる。旦那さんはカップが空くたびに熱々のチヤを入れてくれる。
前回は全然できなかったお互いの話をした。彼のガイドの仕事の話、この村の話、最近のトレッキング客の話など。どうやら近年、ヒマラヤに訪れるハイカーには中国人のほかインド人やインドネシア人も増えているのだという。日本人は圧倒的に少ないと。ましてや私のように一人で来るのは。もちろん、99%は欧米人なのはずっと変わっていないという。
彼らは本当に人をよく覚えている。彼は過去にこのロッジに泊まったという日本人カップルの写真を見せてくれた。彼らもまた笑顔で写っている様子を見ると、この家族との楽しい時間を過ごしたのだろう。シェルパ族から日本人の話を聞くたびに嬉しくなる。
彼は今日は天気が悪くなりそうだから、早めにルクラに行くと良いとアドバイスをくれた。確かに朝から珍しく重たい雲がすでに神々を隠してしまっていた。
シャイな奥さんはときどきキッチンにやってきて、少し話をしてはまたどこかに消えてしまうのがなんとも可愛らしかった。最後には出てきてくれてSee you again,Yoshi!と彼らは手を振る。私はペリヴィタムライ!スバディン!と応えると、彼らもまた微笑んで同じ言葉で返してくれた!再会に言葉は少なくても大丈夫。お互いの元気を確認するだけで。
このジョルサレにも太陽が降り注ぎ始めた。しかしやはり雲が多い。太陽が雲の後ろに隠れるたびに冷たい空気が押し寄せる。川沿いに道は幾度もアップダウンを繰り返しながら、標高を下げていく。
ルクラに近づくにつれて物資の豊富さがよく分かる。ロッジもカフェも規模は大きくなり、最先端のマシンが見える。おかげで食の誘惑に乗ってしまったお腹と口はずっと何かに飢えていた。私はそれをノド飴でごまかしながら、次の目的地ナプチンを目指す。
ナプチンについたのはもう13時近くだった。小雨も降り始めていた。地図にも細い黒文字でしか書かれていない村の端っこのバッディが目的地だった。ここはすぐこの間まで日本で働いていたというガイドのカミュが住んでいる。彼は序盤に私を励ましてくれ、ここでの再会を約束した。
彼のバッディを見つけるとその勢いで入口を開けて、声をかけた。すると娘さんが出てきたので私はシンプルな英語でカミュの所在を訪ねた。彼女はすぐに奥に入っていって彼を呼んできてくれた。
彼はおそらく昼寝をしていたようだ(ネパール人の男性はよく昼寝をしている)少し寝ぼけながらも私の顔を見て、思い出してくれたようで中に案内してくれた。
彼女は熱々のチヤを小さいポットで持ってきてくれた。シェルパ族らしいザラメたっぷりだ。私はまだランチを食べていないことを告げると、娘さんがチョウメンを作ってくれると言ってくれた。まだ中学生だという彼女。シェルパ族の女性は幼い時からキッチンに立っているため、立派なシェフだ。
彼女のチョウメンには、彼らの畑で採ったばかりのトマトが乗っていてとても美味しかった。彼らの畑は家の周囲をぐるっと囲んでいて、その見晴らしもまた素敵だった。彼はスマホを持ち出し日本人の彼女とテレビ電話を始めた。私は彼らの会話に参加した。
近年になって多くのネパール人が日本に出稼ぎにやってきている。少し前までは農業や山小屋ばかりだったが、近年では介護などの現場でも多く見られる。
ほとんどの男性がネパールには職がないと嘆く。出稼ぎに来るのは間違いなく男性で、彼らはインドや中国、韓国、日本などに仕事を求めて渡ってくる。そのためカトマンズの国際空港の税関では男性のレーンはいつも混雑しているくらいだ。これはもう数十年も続いていることなのになぜか空港ではその対策がなされていない。これもまたネパールらしいが。
彼は日本に仕事がないかと訪ねてくる。これもまた仲良くなったネパール人がよく聞いてくる話題でもある。彼らにとってネパールで仕事をするよりも海外で仕事をする方が何倍も稼げるし、そのお金で家を建て替え、ロッジの経営やトレッキング会社の運営のための資金になる。






しばらくすると彼のお父さんが姿を見せる。私が日本人であることを知ると彼はなんと流暢な日本語で話しかけてくる。年齢を聞くと彼は70歳だというからさらに驚いた。彼もまたこの地でガイドとして、ロッジ経営者として多くの日本人と関わってきたようだ。もちろん、彼は日本語も英語も読み書きできないが、会話をすることができるという。
彼の話では日本人ハイカーが多かった時期もあったという。おそらくそれはエベレストトレッキングブームが起きた1960年~80年代だろう。この時期、日本は高度経済成長を迎え、日本国内でも登山ブームが起きていた。そのため一部のハイカーがエベレストに向かって歩いていたとしても不思議ではない。
さらにその世代の話を聞いた子供達が大きくなった80~90年代にはバブル経済を迎え、多くの人がネパールとヒマラヤに足を運んでいるに違いない。
それでもやはり不思議だ。日本語は世界的に見ても稀有な言語で、似ている言語はない。(世界的には韓国語に似ていると言われているが日本人からすると全然似ていない)にも関わらず、多くのネパール人が日本語を話せるし、日本に訪れている。ネパール人特にヒマラヤに住む民族は日本人が好きなような気がする。
この理由について、私はこの旅の中でいくつか仮説を立てた。一つはやはり顔が似ていることだろう。私を含め、多くの日本人は日焼けすればネパール人に似る。しかし、それなら中国人や韓国人でも同じことが言える。
もう一つの大きな理由は宗教である。そう仏教だ。おそらくチベット仏教と日本仏教では細かいところでは全然違うだろう。しかし「縁」を大切にしている点はとてもよく似ていると思う。
チベット系民族は顔をよく覚えているし、出会いや再会、人からの紹介をとても大切にしているように思える。私がロッジを紹介で決めて訪れると、特別待遇とは言わないまでも、特別な心遣いをしてくれていると感じる。
ロッジに泊まったときに子供や家族と話をする欧米のハイカーは少ない。私の目には「スタッフとゲスト」とはっきりと分かれて交流しているように思えるのだ。それはもしかしたら顔や見た目のせいかもしれないし、そういう欧米文化のせいかもしれない。
おじいちゃんは娘さんに日本語を教えながら、私との会話を楽しんでくれた。娘さんも少しだけだが日本語を覚えていく。私はそれが本当に嬉しかった。私はその代わりにいくつかのネパール語を披露した。それを聞いておじいちゃんは微笑み、娘さんはキャッキャっと笑った。
外では幾度か強い通り雨が過ぎていく。私はおじいちゃんにこの時期にこんな天気があるのかと訪ねた。するとおじいちゃんは顔を曇らせ、窓の外に目をやった。彼はシンプルな日本語で言う。「人が多く死ぬとこういう天気になると」。
彼はダイニングの端にある仏壇の引き出しから数珠を取り出し、仏壇に向かって読経をする。私たちはみなそれぞれにその姿を見守る。天気は強い雨、ヒョウ、曇り、一瞬の晴れ間を繰り返していく。私が信じる世界ではこういう変わった天気は「何かが大きく変わる前触れ」だ。私はそれを受け入れ覚悟をする。
起きることはすべて必然だというが、すべて偶然にも思える。
起きることはすべて意味があるというが、すべて無意味にも思える。
ただはっきりしていることは点と点を、人と人をつなげるきっかけになるということ。
私たちにはそんな力がある。地球にはそんな場がある。宇宙にはそんな真理がある。それだけで十分だ。
何かをしようとして力まずに、余白のなか、受け入れる準備をすること。
うまくやろうとして力まずに、人間らしく、失敗しながら磨くこと。
あとは自然勝手になるようになるから。それだけがすべてだ。
読経を終えたあとに私たちは熱々のチヤを片手におしゃべりした。そのあとも幾度かの強い通り雨が過ぎて、太陽が見えてきたのを確認すると私は再出発することにした。彼らともまたペリヴィタムライと声をかけ合う。
ナプチンからルクラまでは1時間も歩けば着く距離だが、少しばかりの登りである。雨に濡れた道を歩きながら進んでいく。途中には泊まったロッジがあり、その子供とも再会のハイタッチを交わし、ココナッツビスケットを購入する。お母さんには今日も泊まる?と聞かれるが、今回は遠慮させてもらった。
ルクラに到着するとハイカーがあまり居ないことに気がついた。どうやら天気が悪くて飛行機の半分しか到着していないようだ。朝早く到着したハイカーはすでにこの村から出発した様子だ。
私はすぐに今日泊まる予定のロッジに入った。お父さんと娘さんはすぐに私に気がつくと部屋に案内してくれた。このロッジは行きにランチを食べに寄ったところで、そのときに私は帰りはここに泊まる予定だと告げていたのだ。決め手は美味しいスープモモとお父さんがサービスしてくれたタルカリがうまかったからだ。
荷物を部屋に置き、身体をケアし終えると私はおみやげ屋さんに向かった。日本人のますみさんが経営するお店だ。ここで私は日本でサポートしてくれた仲間たちへのお土産をたくさん買い込んだ。荷物の心配はいらない。なぜなら日本からたくさん持ち込んだ日本食はすべてここまでの間に食べ終わったので、そのスペースが空いているからだ。こうして私のバックパックも新陳代謝をして生まれ変わる。
ますみさんに無事に3パストレイルを終えたことを告げ、この旅で気になったことをいくつか聞いた。その中で一番面白かった話はイエティグッズだ。この地域には未確認生物イエティの伝説があり、クムジュンのゴンパにはその頭皮が飾られているにも限らず、なぜかイエティのグッズがお土産屋さんに置いていない。私はそれを滞在した村すべてで探したのだが、一つも見つけられず、ますみさんのお土産屋さんにもなかったのだ。
ますみさんの答えは面白かった。シェルパ族の職人(女性)たちは実際に見たものしか作れないと。だからお土産屋さんにあるのはヤクのぬいぐるみばかりなのだと。もし、早くからシェルパ族の女性が山を歩いて仕事やガイドをしていたら、イエティグッズは誕生していたかもしれない。もちろんイエティを見ていたら、の話だが
たくさんのお土産を抱えてロッジに帰る。チヤとお菓子を頼んで、夕食までの時間をダイニングでノートを取りながら待つ。夕食はお父さんが腕を振る舞うダルバートで決まりだ。この標高ではチキンとバフ(水牛)の値段が同じなので、もちろんバフを頼む。彼の料理の腕前と量はこの地域で最上級クラスだ。働く男性が好むような
味付けとコスパはやはり日本人と共通性がある。ここに戻ってきて泊まれてよかった。
口約束を大切にしたい。いつもそう思う。科学が発達し、文明が発展したという現代社会では口約束はたいてい蔑ろにされる。契約書が一番価値を持ち、録音機が証拠となる。その前では口約束はなんて無力なんだろうか。
それでも私は口約束を一番大切にする。言っていることとやっていることが違ってくると不幸になるし、生きづらくなる。
だから、私はお世辞や社交辞令のような表面的な言葉を言わないようにしている。本当に思ったときだけ、口約束を交わす。また会いたいと強く思った人とだけ再会を約束する。つまり大切な人だからこそ口約束を交わす。そして、それを果たすために生きていく。
口約束には契約社会にはない物語がある。描けない道がある。熱い想いがある。私はその口約束がある社会で生きていきたい。そのために私は今日もまた口約束を果たしながらいきていく。






