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藤井風が『風姿花伝』を、幽玄に体現している件

室町時代に能役者・能作家として名をはせた世阿弥が能の奥義・秘伝について書いた『現代語訳 風姿花伝・三道』を読んだ。

時代を越えて演劇や芸術の分野に多大な影響を与えてきた本が、劇作家の岡田利規氏によって現代語に超訳された1冊だ。

能だけでなく、あらゆるエンタメに通ずる内容で、読んでいたら、藤井風のことを連想せずにはいられなかったので、ここにつづりたい。 

■優れているのに、そのパフォーマンスが人に届かない理由とは?

『風姿花伝』には、能役者の世阿弥が、父親の観阿弥の芸を分析し、すぐれた芸とは何か、観客の前に立つ際にはどんな心構えを持つべきかがつづられている。
 
観阿弥のすごみとは、都(みやこ)に住む教養のある「通」をうならせるだけでなく、能についての予備知識が全くない田舎の「素人」をも沸かせる点にあったと世阿弥はつづる。
 
観阿弥は、最上級のテクニックにおごらず、どんなに辺鄙(へんぴ)な土地の舞台でも、その土地の文化や風土をリスペクトして創意工夫をめぐらせ、いつもその場を沸かせる「超絶パフォーマー」だったという。
 
観阿弥が人気者だった理由は、ただ「達人の芸」をもっていたからだけではない。
 
そもそも、達人の優れた芸は、往々にして「素人の目」から見ても全然おもしろくないし、響かない……ということが、よくあるのだと世阿弥はつづる。
 
そこで「素人だから見る目がないのだ」と切り捨てる「達人」について、まだ奥義の体得が出来ていないと批判する。

熟練でも思い上がりのはなはだしい輩が多すぎる。幾多の幸運にたまたま恵まれ、そのおかげで熟練の域に達する機会を得ることができたに過ぎないのに、増長して名声におぼれ、一般観客に喜びと感動をあたえることをおろそかにしている。嘆かわしくてしかたがない

『風姿花伝 現代語訳』

と、「うまい“だけ”」の演者には、めちゃくちゃ手厳しい。まるでハーバード大学のマイケル・サンデル教授みたいなことを600年前に書いている。

■素人も玄人も魅了する「超絶パフォーマー」像から連想した藤井風

世阿弥によれば「超絶パフォーマー」は、一年中の「花」の種を手にしているようなもので、どの「花」を取り出すか、観客の要望や場の空気に応じて、臨機応変に決めることができるという。

人の好みが細分化され、格差が広がった今の時代、たくさんの人を喜ばせることと、玄人をうならせることの両立は、ものすごく難しいのではないかと思いつつも、『風姿花伝 現代語訳』を読み進めていたら、いつのまにか、いろんな藤井風を連想していた。
 
6月中旬に、MUSIC AWARDS JAPANのステージで、音楽の玄人集団で構成された観客を総立ちさせていた藤井風。
 
無名時代、地域の婦人会の余興で全力で歌い、地域の高齢者を沸かせていた藤井風。

海外の野外音楽フェスで、自分のファンではない人たちも喜ばせていた藤井風。
 
大物アーティストがそろったブレイク直前の首都圏のフェスで、その場の空気を完全に掌握していた藤井風(私はそのときに初めて生で見て度肝を抜かれた)。
 
海外ツアーにまでピアノの運指トレーニングの楽譜をどっさりもっていく地道な努力家でありながら、その技術をひけらかすためではなく、聞く人を喜ばせるために音楽が紡がれる。

さらに、『風姿花伝』によれば、素晴らしいパフォーマーになるためには、たゆまぬ努力と創意工夫が必要なのは言うまでもないが、選ばれし者が生まれ持って兼ね備えている、資質もあるという。
 
それが幽玄性だ。
 
今風にいえば、その人が出ると、空気感がガラっと変わり、おとずと視線を集めてしまう、優美な品格のようなものだと思われるが、まさに藤井風は幽玄さを兼ねそろえていると思う。

のみならず、 聞き手の音楽経験を問わず、いろんな文化圏、いろんな年齢、いろんな属性の客を共鳴させる「花」(世阿弥が言う「秘すれば花」の「花」)を秘めていると思うのだ。
 
現代は600年前に書かれた『風姿花伝』の頃と比べると、時代はずいぶん変わっている。
 
地球が金切声のような悲鳴をあげても、国家や企業が、まだ来ぬ平穏で豊かな時代を「外の世界」に追い求めて争いや競争を続けている。
 
太古の時代、豊作を願い、災いが起きないように祈ったことが宗教の誕生につながったと言われるが、シンプルだったヒトの祈りは、数千年かけて、複雑さを極め、神の言葉の解釈をめぐる争いをもたらし、権力者に国家統合の道具として利用され、時に不安や怒りを駆り立てる金儲けの道具としての特性も生じている。
 
こんなふうに混迷を極めた世界で、極東の小さな町で生まれた藤井風は「外の世界」に追い求めているものは、自分の内に存在することを、言葉を変えながら表現し続けている。
 
恋愛の志向や、信じる宗派、伝統と自由をどちらを重視するか、右か左かで、互いに反目し合うこの時代に、多くの人に届く言葉をえらぶのは、困難を極める。
 
藤井風(と彼のチーム)は、技術を磨きつつも、複雑化した世界で「いかに人に届けるか」「どうしたら聞く人・見る人を喜ばせられるか」を常に追求し続けていると思う。

「自分の達人芸を見てほしい」というエゴを手放して、聞く人に寄り添ったパフォーマンスをする藤井風には『風姿花伝』がインストールされているように思うのだ。




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