『ファイト・クラブ』チャック・パラニューク 聴了
あらためて『ファイト・クラブ』と向き合いしときがきた
今月のaudibleの読書テーマは『ベストセレクション』
人生に影響を与えた本をもう一度聴いて、今の自分はどう感じるのか。
年明け早々この作品と向き合うのは相当重い、この作品の感想を書くことにかなりビビってる。
逆に毎年恒例の行事にしてその時々での『ファイト・クラブ』と自分との向き合い方を記録に残しておくべきなのかもしれない。
映画も原作も二桁は繰り返しているけど、媒体を変えるとまた新たな視点を得られるというか、何回も繰り返したシーンや文章でも音声で聴くと「ここはこんな言い回しだったのか」という新たな発見がある。
パラニュークはノイズみたいな情報量が多い文体だから無意識に読み飛ばしてしまう部分が多いせいだろうな。
『サバイバー』や『ララバイ』に出てくるような汚れの落とし方のコツとか踏み付けた模型の建築様式とかいちいち覚えてないからね。
『ファイト・クラブ』から逃げるな、向き合え。
果たして『ファイト・クラブ』に恥じることのない自分になれているだろうか?
『ファイト・クラブ』から影響を受けたと言っておきながら、お前は常に安定を求めている。
極力頭を使わずに過ごせるルーチンワークのような繰り返しの日々を望んでいる。
自分の頭で考え、自分で選択することから逃げている。
お前の本質は怠惰と惰性だ。
ドン底まで落ちなければ救済は訪れない。
そうは言うけどさ!捨てれないじゃん!
快適な実家の暮らし、親、SNSやソシャゲのアカウント。
いまぱっと浮かんだ捨てられないもの挙げたけど、こんなもんか。
逆に言えばこれ以外はいらない何も捨ててしまおうってことでしょ。
思ってたより少ないな。
今後親が衰えてきたら快適な実家の暮らしがどんどん快適じゃなくなっていくので、そんときに捨てればいいか。
誰も自分のことを知らない土地で誰とも関わらずにひっそり死にたい。
それはエゴだよ。
そもそも意思の力でエゴを手放すなんて出来るのか?
それ自体がエゴじゃないか。
全部を捨てた先にあるものは本当に救済なのだろうか、お金も家も捨てて路上生活者になったとしてもその行為に達成感を覚えてしまったらそれもエゴだよな。
だから自分の頭で考えるんだ、自分にとって全てを失うとはどういうことか、救済はどのような状態なのか。
執着はあらゆるものに存在するんだから、それと向き合う機会も常に存在する。
