【高市首相所信表明演説を読み解く】「国家回帰」のB面:岸信介路線の再演と「昭和100年」プロパガンダ
はじめに
高市早苗首相の所信表明演説で4回も繰り返された「国家国民」という言葉。戦後の公の場から姿を消していたこの言葉は、なぜ今、復活したのでしょうか。そして、なぜ一般的な「国民国家」という語順ではないのでしょうか。
本稿は、前編記事『【高市首相所信表明演説を読み解く】4回使われた「国家国民」という、 戦後公から消えたフレーズの登場』の続編です。
前編では、「国家国民」と「国民国家」の 語順が示す意味の違い、
そしてそこから透けて見える現行憲法との乖離、
さらに地政学リス クや社会の「空白」といった「国家回帰」が起こるA面の理由を考察しました。
この後編では、その背後にある、より深い「国家回帰」の意図と、「昭和100年」という祝祭ムードに隠されたプロパガンダ的演出を詳細に読み解いていきます。
「国家国民」が示す " 時代的逆行感 "
「国家国民」という語順は、国家を国民の上位に置くニュアンスを持ち、戦後民主主義の中 では意図的に避けられてきた表現です。戦後日本がその出発点とした価値観は、「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」であり、これらは「国民」が主役である「国民国家」の理念に基づいています。
それにもかかわらず、高市首相が所信表明演説という極めて重要な場で、あえてこの「国家 国民」という言葉を力強く4度も用いたこと。それは、多くの人々に「時代を逆行させるような感覚」を抱かせるに十分なインパクトがありました。この言葉の選択は、単なる偶然では なく、明確な政治的意図の表れと見るべきでしょう。
安倍氏から高市氏へ ― 継承される岸信介の DNA
高市首相の演説には、「咲き誇る」や「戦略的互恵関係」といった、安倍晋三元首相を彷彿とさせる言葉が散見されます。「国家国民」もまた、安倍氏が好んで用いた言葉の一つでし た。高市氏は経済、外交、安全保障の各分野で安倍路線を色濃く継承しており、その思想的源流をたどると、一人の人物に行き着きます。それは、安倍氏の祖父であり、第56・57代内 閣総理大臣を務めた岸信介氏です。
岸信介が目指した「戦前の続き」と戦後日本の断絶
岸信介氏は、戦時中に要職を歴任し、戦後A級戦犯容疑者として逮捕されました。しかし、冷戦の激化に伴うアメリカの対日政策転換(日本を「反共の防波堤」と位置づける方針)によ り、約3年後に釈放されます。彼は、自らが理想とする国家像、すなわち「戦争時代の日本の続き」を実現しようとしましたが、彼が拘留されていた間に日本は激変していました。
吉田茂首相の下、GHQの間接統治によって日本国憲法が制定され、「象徴天皇制」「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」が社会の根幹に据えられました。釈放された岸氏が 「戦後の日本は、まるで別の国になっていた」と語ったとされる逸話は、彼が感じたであろう深い断絶を物語っています。
安保闘争と岸の挑戦
1957年に首相に就任した岸氏は、国家の自立と安全保障強化を掲げ、日米安全保障条約の改定を推し進めます。しかし、この動きは「戦争への回帰」を危惧する国民からの猛烈な反対運動、すなわち「安保闘争」を引き起こしました。彼の政治活動は、戦前の国家観を戦後民主主義の枠組みの中でいかにして再構築するかという挑戦でした。
この歴史的背景は、安倍氏、そして高市氏の政治思想を理解する上で不可欠です。安倍氏は 幼少期に祖父である岸氏の薫陶を受け、高市氏は明治天皇の教えである「教育勅語」で育っ たと公言しています。両者とも現行憲法下で育ちながらも、その思想の根底には、戦後民主主義とは異なる価値観が存在していることが窺えます。
佐藤栄作へ続く血脈
さらに、岸氏の実弟であり、安倍氏の大叔父にあたる佐藤栄作氏もまた、首相として「沖縄返還」や「非核三原則」といった大きな功績を残しました。この一族の系譜から、安倍氏が 戦後保守本流の思想と、現実的な外交手腕の両方を受け継いでいたことが理解できます。高市氏が継承する路線とは、単なる安倍氏個人の思想ではなく、この岸信介から続く一族の悲願とも言える「国家観の再構築」の延長線上にあるのかもしれません。

「昭和100年」に隠されたプロパガンダ
所信表明演説では、「憲法改正」「皇室典範改正」と並列して「昭和100年」が言及されま した。政府はすでに内閣官房に「『昭和100年』関連施策推進室」を設置し、準備を進めてい ます。
「100年」という言葉は、祝祭的なムードを醸成します。各地で昭和レトロをテーマにした イベントが開催され、多くの人々が懐かしさを感じるでしょう。しかし、政府が掲げる「昭和100年」の目的は、単なる文化的な懐古趣味ではありません。
政府のポータルサイトでは、次のように位置づけられています。 「昭和の時代は、未曽有の激動と変革、苦難と復興の時代でした。『昭和100年』を契 機に昭和を顧み、先人の躍動に学び、昭和の記憶を共有することは、平成以降の生まれ の世代にとっても新たな発見のきっかけとなり、幸せや生きがいを実感でき、希望あふ れる未来を切り拓く機会、平和の誓いを継承し、将来にわたる国際社会の安定と繁栄へ の貢献につなげていく機会」
この美辞麗句の裏には、戦争や国家主義が台頭した時代も含めた「昭和」全体をパッケージ化し、「いい時代だった」という肯定的なイメージを国民に植え付けようとする意図が透けて見えます。これは、「古きを訪ねて新しきを知る」のではなく、特定の価値観へ回帰させるための「古きに戻す」装置として機能する危険性をはらんでいます。
高市氏の結論 ― 「戦後レジーム」からの完全なる脱却
安倍元首相は「戦後レジームからの脱却」「美しい国、日本」をスローガンに掲げました。ここでいう「戦後レジーム」とは、戦後日本が抱えてきた以下のような構造的葛藤(ジレンマ)を指します。
民主化 vs 国家の自立
非軍事化 vs 安全保障の必要性
GHQの影響 vs 日本独自の政治再建
戦前の記憶 vs 戦後の価値観
安倍氏は、このジレンマの中で苦しみながらも、現実的な政治運営を行っていた側面がありました。しかし、高市氏の演説やこれまでの言動からは、彼女がすでにこの葛藤に対して明確な「結論」を出していることがわかります。
民主化よりも、 国家の自立 を優先する。
安全保障の必要性から、軍事化 を積極的に進める。
GHQの影響を排し、日本独自の 政治再建 (=戦前回帰)を目指す。
戦後の価値観よりも、戦前の教え (教育勅語など )の 再現 を志向する。
高市氏にとって、タイムスリップしてやり直したい歴史の分岐点は、おそらく祖父・岸信介 が挫折した地点、すなわち1957年の首相就任時や、その原点である1945年の終戦直後、GHQ介入前なのかもしれません。
わたしたちが慣れ親しんだ民主化が進んだ現代において、再び国家主導の体制に回帰しようとするならば、「昭和100年」といった歴史の節目を振り返るイベントは、強力なプロパガンダとなり得るのです。
首相・国会議員は国民の「公僕」である
「国家国民」という語順を首相が公の場で語ることは、国民主権の原則に対する根本的な挑戦です。国会議員や首相は、国民の信託を受け、国民が望む社会を実現するために 働く「代行者」であり「公僕」です。決して、国民を支配する「支配者」として選ばれ たのではありません。
国家は誰のために存在するのでしょうか。それは、言うまでもなく「国民のため」です。しかし、その言葉をただ唱えるだけでは意味がありません。「国民が国家のためにある」かのような価値観が語られることに、私たちは強い違和感と警戒心を抱くべきで す。
主権者である私たち国民は、国家の「上司」です。そのことを、決して忘れてはなりません。
さいごに
あなたには、高市政権がどのように映っていますか。「日本初の女性首相だから」という理由 だけで、その政策や思想を無条件に支持してよいのでしょうか。今一度、冷静に考える時が来ています。
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【高市首相所信表明演説を読み解く】前後編合わせて解説動画(9:14)

