ノーパンしゃぶしゃぶについて私なりに精一杯考えた話
テレビ番組『ごっつええかんじ』でやっていた「世紀末戦隊ゴレンジャイ」は、人生で一番笑ったコントだ。
特に第5回、板尾さんの青レンジャイは20世紀日本のお笑いの金字塔として博物館に保存されてもいいレベルだと思っている。
毎回爆笑を届けてくれたゴレンジャイだったが、唯一、東野さんがミニスカートを穿いて「ノーパンしゃぶしゃぶ!」と言って登場したのだけは、言葉の意味が分からず笑うことができなかった。
ノーパンしゃぶしゃぶとは何か?
気にはなるが調べる程ではないという絶妙なラインにその語彙が引っかかったまま、私は大人になってしまった。
今でも意味が分からない。
日常生活の中で、ノーパンしゃぶしゃぶは折に触れて脳裏をよぎった。
パンツを脱ぐ、ノーパンしゃぶしゃぶ。
パンツを穿く、ノーパンしゃぶしゃぶ。
豚肉を食べる、ノーパンしゃぶしゃぶ。
何もしない、ノーパンしゃぶしゃぶ。
長い年月をかけて身体を蝕む病のように、ゆっくりとしかし確実に、ノーパンしゃぶしゃぶは私の意識を侵食するようになってきた。
ノーパンしゃぶしゃぶが何なのか、最近は気になって仕方がない。
しかし今日まで寝かせてきたノーパンしゃぶしゃぶの意味を今更調べたら負けだと思った。
安易に調べることはせず、私なりにノーパンしゃぶしゃぶについて納得がいくまで考え、自分の中で定義される水準まで昇華させる。
私はノーパンしゃぶしゃぶと真剣に向き合うことを決めた。
そうしてノーパンしゃぶしゃぶ思索に耽る日々が始まった訳であるが、闇雲に独り相撲を取るつもりはない。
相手の土俵の際を掴み、そこからよじ登り、独り相撲ではなく独壇場を演じるのだ。
人からノーパンしゃぶしゃぶについて話を振られることがあれば、私独自の鋭い洞察を切り込み、相手のノーパンしゃぶしゃぶ観をひっくり返す。
そういう者に、私はなりたい。
つまり、いくら察しの良さに定評がある私でも、理論武装のために最小限の手がかりが必要ということだ。
ネットで検索したらいきなり答えが出てしまうので、恥を忍んで人に聞くことにした。
会社の昼休み、パートのおばちゃんに
「ノーパンしゃぶしゃぶについて考えたい。ヒントを下さい」
と頭を下げた。
おばちゃんは
「床が鏡張りなのよ」
と教えてくれた。
さて難解なヒントである。
推理が進むどころか謎が増えた。
人間でも料理でもなく建物の話が出てきたので、一向にパンツに手が届かない。
誰が、いつ、何のためにノーパンになるのか。
いっそ私がパンツを脱いでやろうか。
だが焦りは禁物だ。
世界的イケオジであるStingがこう歌っていた。
"A gentleman will walk but never run"
「紳士は決して走らず、歩くのさ」
いきなりパンツを脱ぐのは野暮というものだ。
見えてきた。
ノーパンしゃぶしゃぶとは、上流階級のスポーツなのだ。
一点の曇りもなく磨き上げられた鏡張りの床。
部屋にはテーブルセットと鍋だけが置かれている。
ミニスカートを穿いたキャディさんがうやうやしく給仕する。
一滴でも床に汁をこぼしたら即、退場だ。
テーブルを挟む紳士の顔には余裕すら見える。
舌鼓を打ちながら、二人はウィットに富んだ会話を交わす。
床には一滴の汁も落ちない。
テーブルマナーによる殴り合いだ。
しかし二人はただの紳士ではない。
変態という名の紳士なのである。
しゃぶしゃぶを食べながら実に自然な素振りで、テーブルの下でするりするりとズボンを脱いでいく。
もちろんズボンだけでは終わらない。
流れるようにパンツを脱ぎ捨てる。
オリンピック選手のような美しい所作だ。
本当の戦いはこれからだ。
パンツを脱いだところまではただの半裸しゃぶしゃぶであり、真の変態紳士ではない。
そこから再びズボンを穿くという高等技能が試されるのだ。
ナチュラルに、ジェントルに。
涼しい顔でズボンを穿き終わったとき、変態紳士が完成する。
何事もなくしゃぶしゃぶを完食したように見える二人の紳士はその実、ノーパンであった。
見た目に悟らせないのが変態であり、紳士なのだ。
完璧な佇まいで二人は席を立つ。
この試合、ドローか。
いや、違う。
一滴の汁も落ちていない鏡張りの床に残されたパンツに目をやると、一方は無造作に置かれ、もう一方は丁寧に畳まれていた。
磨き抜かれたノーパンマナーが勝敗を分かった。
Stingが歌っていた。
"It takes a man to suffer ignorance and smile"
「無理解に苦しんでも笑ってみせるのが男というものさ」
強く生きていきたい。
