自分の筋肉に殺されそうになった話
全国のマッチョに告ぐ。
死にたくなければ常にモジモジして歩け。
一昨年の冬、空元気100倍で仕事をしていたら上司から産業医との面談を命じられ、気付けばドクターストップで休職することになっていた。
家に帰って鏡を覗くと、片岡鶴太郎みたいな身体の男が立っていた。
自分としてはまだ世間体を保てているつもりだっだが、本当にポンコツになってしまうと自分のポンコツさを感知することができなくなるのだと、その後半年ぐらいかかって理解した。
有り余る時間と空っぽの活力の間で途方に暮れる私を見かねた友人が、一緒にスポーツジムへ行こうと誘ってくれた。
精神の健康は肉体の健康から。
まずはこの痩せ細った鶴太郎ボディをダイナマイト化せねばならぬ。
夕方まで眠り、夜な夜なジムに足を運んでダンベルに齧り付き、帰り道に特盛の牛丼を食べ、薬を飲んでまた寝る。
筋トレ以外に何もすることがないのでそんな毎日を送っていたら、筋肉も贅肉も物凄い勢いで成長した。
体重は半年で20kg近く増え、着ていた服もほぼ全て入らなくなった。
いつの間にか筋肉で脇が閉じなくなり、両腕を妙に開いたマッチョ歩きをするようになっていた。
そうして多くの人の思い遣りに支えられ、1年ぶりの復職を果たしたのであるが、一つだけ困りごとが増えた。
事務所の通路が狭く感じるのだ。
脇が開いているので、何も考えずに歩くとデスクや椅子に手が当たってしまう。
軽自動車で通っていた道を、トラックで走っているような感覚だった。
肩幅を持て余し、誰かの横を通るときは腕を畳んでモジモジしながら歩くようにした。
しかしついに、事故は起きた。
事務所内を歩いていたらパートのおばちゃんのお尻を手で触ってしまうという、信じられないアクシデントだった。
触った瞬間は何が起きたのか分からなかった。
事務用品にしてはやけに優しい手触りだった、と思って振り返ると、おばちゃんがデスクに向かって腰を折って、書類に何か書き込んでいるところだった。
迂闊だった。
ダイナマイトボディの横幅を見誤ったのだ。
ああ自分は会社で女性のお尻を触ってしまったのだ、と事態を飲み込んだ途端、心因性の迷走神経反射が起きて手足が痺れ始めた。
対応ミスで1000万円の損失を出した時もクビにはならなかったし、1年間休んでも会社は自分を雇い続けてくれた。
しかし今、人生で感じたことがないほど社会的な死が近くにある。
全身の毛穴から脂汗をほとばしらせて、おばちゃんに謝り倒した。
本当に幸いなことに、おばちゃんは寛大な精神で笑い飛ばしてくれた。
あわや大惨事である。
席に戻って自分の手を見ると、爪が青くなっていた。
全国のマッチョに告ぐ。
死にたくなければ常にモジモジして歩け。
