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砥石変態の話

私は包丁研ぎを趣味としているのだが、自分では包丁を使うことがほとんどない。

元々料理らしい料理をしてこなかったところに、いつの頃からか食材を腕力で引き千切るという横着をするようになった。
そして最近は食事という行為自体が億劫になり、ついにはサトウのごはんに卓上塩を振って夕食を済ますようになった。
「せめてノリタマでもかけろ」と人から言われたときは目からウロコであった。


我が家の食卓が文化を置き去りにして久しいが、食への執着が薄れる一方で、包丁研ぎへの欲求は留まるところを知らない。
研ぐべき包丁に飢えた私は、人様のお宅へお邪魔する機会があれば砥石を持参し、こちらから頼んで包丁を研がせてもらうという活動を始めた。
初めの内はこれは名案だと思っていたのだが、鍋の季節にしかイベントが発生せず、気付けば私はやたらと人の家に行きたがる系砥石オジサンと化していた。

気安く人様の台所に押しかけようとするのは宜しくないと反省した私は、やはり銃刀法をクリアして包丁を受け渡しするしかないと考えるようになった。
調べてみると、「公共交通機関への刃物持ち込み時のガイドライン」が国土交通省から発布されていた。
お上の書類を武器に「包丁研ぎます」と友人知人に宣伝して回り、口コミやリピートに恵まれ、ついには包丁提供の常連を獲得するに至った。
そして今では包丁に限らずナタにノミ、更にはツルハシやタケノコ掘り用の棒まで研ぐようになった。


さて、趣味が高じて人様の役に立てるようになったことは喜ばしい限りなのだが、意識高い系砥石オジサンとして日々マインドの背伸びを重ねた結果、ありがちなことに私は道具沼に陥ってしまった。
形から入りたい質の私は、包丁研ぎの腕前が上がらない内に、次から次へと新たな砥石を買い集めるようになった。
出張研ぎ用にアルミのアタッシュケースまで購入した。
最早包丁の切れ味云々ではなく、砥石の蒐集自体が趣味になっていた。
使うかどうかに無関なく、砥石を手に入れることに喜びを感じるようになってしまったのだ。


そして先日、ついに禁断の扉を開いてしまった。
天然砥石である。

世の中には何でもかんでも「天然=高級」と信奉する人が一定数いるが、多くの物においてそうであるのと同様、砥石もライトユースに当たっては基本的に人造物の方が優れるのだという。
特にスレンレス製の包丁を研ぐ用途では、名門ブランドのセラミック製人造砥石は、品質と性能、使い勝手と価格の全てにおいて、天然の石材を切り出した砥石を上回ることがほとんどらしい。
天然砥石は主に和包丁向けで、人造砥石と比べて扱いが難しく、石の癖と刃物との相性を見極めながら研ぎ方を最適化しなければならないそうだ。

腕のない俺にはまだ早いか、などと思いながらAmazonで天然砥石の商品紹介を覗いていたところ、
「競技的、修練的要素含む 前衛的な方向け」
という極めて硬派な文言が目に飛び込んで来た。
痺れた。

私は一瞬の内に気を失い、意識を取り戻したときには購入完了のページがスマホの画面に光っていた。
かくして届いたのがこちらである。

表:水に濡らすと実に艶めかしい
裏:「昭和四十年代以前乃閉建全鋼丸錐𢭪」と読めるが、識者の見解を待ちたい

たまらん。
この砥石を手に入れたのは1年半ほど前になるが、月に一度は眺めて楽しんでいる。
年輪のような模様はどれほどの圧力の下で、どれほどの歳月をかけて作られたものなのだろうか。
水の底にゆっくりと泥が沈み、重なり、埋もれ、石になっていく様を想像すると愛おしさすら湧いてくる。
それも、この面、この形で切り出されたからこの模様になった訳で、少しでも角度が違えば別の模様になっていたのだ。
そして刃物研ぎに使って削れていくにつれ、また表情が変わっていくのである。

とは言え、銘が消えてしまうのが惜しくてこの砥石は使う気にならない。
そもそも裏側の面が整っていないので、このままでは座りが悪くて使えない。
シリコン系の肉厚な接着剤で木の板などに貼り付けるのが天然砥石の一般的なお作法なのだそうだ。


ことろで、砥石蒐集界隈には「砥石ガチャ」なる言葉があるらしい。
中身の指定不可で、天然砥石の端材(単品あるいは詰め合わせ)を通販で購入することを指す。

カケラ程度の砥石を手に入れてどうするのかと疑問に思い商品レビューを見てみると、
「私は砥石が小指の爪ほどまでチビても指先に乗せて最後まで舐め回すように使うので、今回引いたものには満足しています」
という書き込みがあった。
震えた。

私などただのニワカ砥石小僧である。
変態砥石オジサンへの道は長く険しい。

#創作大賞2026 #エッセイ部門

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