見出し画像

大人になってからでも幼馴染はできるぞ! という話

大学に入ってできた女友達が、ノスタルジーを強く刺激するタイプの人だった。
こういう幼馴染と一緒に夏祭りへ行きたかったんだよ! という私のツボに正面から突き刺さる感じで、浴衣と夕闇が似合う雰囲気の持ち主だった。

聞けば現実の幼馴染というのは特にキラキラしたものではなく、何なら腐れ縁的な身内臭が染みついた存在らしい。
しかし転勤族の子だった私は10歳までに4回の引っ越しを経験し、幼馴染というものに縁が無かった。
私にとって幼馴染とは空想上の憧れであった。



「あなたと幼馴染になりたい」
と女友達に言ってみたところ、
「大学生になってから知り合ったのだから、今から仲良くなっても『大人馴染』だよ」
と諭された。
あまりにも真っ当な話だったのでぐうの音も出なかった。
自分の気持ちが、願望に過ぎないものだったことを思い知った。



ところで、私は小中高と部活をやってこなかったので、大学で体育会の部活に入って様々な事を教わることになった。

情熱を持って物事に取り組むこと。
昨日の自分より強くなろうとすること。
願望ではなく意志を持つこと。

「意志あるところに道は開ける」
主将が口にしていたこの言葉は特に刺さった。
大谷翔平選手の「憧れるのをやめましょう」も、これに近い言葉だと思っている。
言い換えれば、意志のない願望の前に道は開けないのである。
これは精神論ではなく、言動とその結果についての話だ。
つまる所、我々は何を思ったかではなく何をしたかで戦っているのだ。



張り切った割に大した結果も出せずに部活は引退したが、それでもあの3年間で自分は少しだけ強くなったように思う。
その甲斐あってか、光栄なことに卒業してからもコーチとして部活に呼んでもらうことになった。
そして情熱を持ってコーチ業に取り組んで4年が経ち、時は満ちた。

こういう幼馴染と一緒に庭で花火をしたかったんだよ! というタイプの後輩が入部した。
女友達に諭されたほろ苦い敗北から7年、ついに道が開けつつあると思った。



「幼馴染になってくれ」
私は言い切った。
後輩は不審者を見るような目で、と言うか端的に不審者として私を見ているようだった。

「いや、この歳になって幼馴染になれるものではないですし……」
予想通りの正論が返ってきたので、
「理屈はいいんだ」
と食い下がった。

「えぇ……」
ドン引きされていても、情熱で押し切る。
「なろう!」
だって私はあの時の自分より強くなっているのだから。

「はぁ……」
哀れみを含んだトーンだが、意志を持って同情を跳ね返す。
「よし!」
やや間があって、後輩は言ってくれた。

「分かりました」

やった!!
幼馴染できた!!!



その幼馴染とは、今では全くやりとりがない。
できた時はあれほど嬉しかったが、哀しいかな幼馴染とは多くの場合、疎遠になってしまうものなのだ。

そういう意味では、我々はただの憧れとは一線を画したリアルな関係にあるとも言える。
会わないということが私を強くする。
自己暗示を重ね、いつか虚構と現実の境界が分からなくなった時、私の意志は成就する。

初代・幼馴染候補だった女友達とも長らく会っていない。
このままずっと会わなければこちらも道が開けてしまうのではないかというところなのだが、意志が揺らいで久しぶりに会いたいと思ってしまう自分がいる。

幼馴染への道は長く険しい。

いいなと思ったら応援しよう!