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小唄ってなんだろう

三十年近く稽古を続けてきていながら、「小唄(あるいは江戸小唄)」を簡明に説明することができません。断片を表す言葉を拾ってみると・・・ 邦楽の一ジャンルです。三味線を伴って唄います。短いです。割と色っぽい歌詞が多いです。幕末から明治にかけて広まりました。などになります。これでは伝わりませんよね(苦笑) その得体のしれない邦楽を四半世紀も続けているのですから、どこかに魅力があるのでしょう。その魅力とは・・・ これも簡単に伝えられません(笑)

小唄とは・・・説明しても伝わらないですよね💦

小唄は、江戸の末期から明治にかけて「端唄(はうた)」から派生した音曲と言われています。では、「端唄」って何なの?ということになります。簡単に言ってしまうと、端唄とはお座敷唄です。お座敷で踊りをつけるのにちょうど良い長さで、季節感もあり、男女の情もあり、お座敷で芸者衆が踊りを披露する(「お座敷をつける」と言います)のによく用いられます。皆さんも耳にしたことがあるであろう「🎵梅は咲いたか桜はまだかいな・・・」とか「🎵夜桜や浮かれカラスまいまいと・・・」などは端唄です。曲調は割と明るくおおらかなので、お座敷映えします。

端唄に対して小唄は、もっと短く、曲調もしっとり、ゆったりしている曲が多いと思います(かと言って、ゆっくりだけではなく、時に早い間が入ったりする)。他の邦楽、たとえば清元や新内などの節が入っていることも多く、江戸の音曲の集大成という感じです。舞台の名場面を取り込んだ歌詞もあったりします。そうは言っても、小唄はどこで唄われているので しょうか。これが小唄がわかりにくい、説明しにくい最大の問題です。

男社会に支えられた小唄


私は、ほかに茶道を嗜み、能楽も楽しんでいますが、これらは言わずもがな。誰でも知っています。しかし、小唄は聞いた事がないのが普通です。昭和の時代には、「さんゴ」と呼ばれ、囲碁・ゴルフとともにサラリーマンの三代嗜みと言われていたそうですが・・・。確かに、私が入門した頃にはその面影が残っており、会社ぐるみで小唄の師匠をバックアップしていました。重役が◯◯さんという師匠について小唄を稽古しているとなると、その重役に連なる部下一同、その師匠に入門するとか。
ある意味、小唄は昭和の企業文化の一部だったのかもしれません。

私が最初に入門した派は、誰でも知っている日本を代表する総合電気メーカーが支えていました。それに関しては面白いエピソードがあります。それまで、邦楽は師匠からの口伝えが基本で、テープに録音して家で稽古するなど御法度でした。ですから、稽古といえばもっぱら見台を間に挟み師匠と相対が常識でした。ところが、その総合電気メーカーの重役さんは、その派を支えるにあたり「テープレコーダーに録音して弟子がいつでも稽古できるように」と条件を出したそうです。テープレコーダーは、当時最先端の技術だったのでしょう。それを小唄に取り入れたのです。家元は他の小唄の師匠から随分と小言を言われたそうですが、今となってはテープレコーダーならぬICレコーダーは必需品です。

個の時代の小唄

昭和の高度成長が終焉し、企業文化も集団から個に変化するとともに、小唄も変化したようです。それまでは多かれ少なかれ、企業に代表される男の集団が担っていた小唄ですが、個の時代の到来とともに個が担うようになり、女性の社会進出が進むとともに女性にも浸透するようになります。
この変化は、小唄にとっては地殻変動ほどのインパクトだったかもしれません。それまでは企業というか男性の集団が担っていた小唄。披露の場は、会社の宴会、接待などたくさんありました。そもそも、小唄は座敷でないと映えないのです。その頃の宴会は間違いなく座敷でした。
接待が遺棄されると同時に景気も後退。座敷での宴会は縮小の一途です。料亭割烹も徐々に暖簾を下ろすよになり、小唄の「場」も減少。
それと並行して、個人の習い事として小唄が選択肢の一つになり始めます。同時に、女性も小唄を愛好するようになります。習い事としての小唄文化は団体から個へ、男一色から男女へ、「近代化」されたように見えます。ところが、その「近代化」は、芸としての小唄の世界を狭めてしまったように思えるのです。

小唄は何処で唄われていたのか

小唄の師匠には怒られるかもしれませんが、小唄は座敷の文化だと思います。やはり、座敷での宴会の中でこそ生きるのだと思います。さらに、小唄には三味線が必要です。よく、「小唄を一節」などど気軽にリクエストされるのですが、小唄は三味線無しでアカペラでは唄えないのです。理由はたくさんありますが、ともかく唄えないのです。座敷の宴会で三味線を弾くとなると、それは「芸者」の技です。つまり、座敷+宴会+芸者が小唄には必要なのです。そういう場で唄われるのが最も小唄らしく、今風でいえばバエるのです。

唄を諦めずに

それはそれ、いつまでも「お江戸」を懐かしんでばかりはいられないので、今を生きる我々小唄愛好家は今ある小唄を一人でも多くの人に知ってもらい、稽古を始めてもらいたいのです。
小唄には、唄と三味線があります。小"唄"というからには唄が本分だとは思うのですが、三味線もなかなかやり甲斐があります。世の中には、カラオケが氾濫する一方で、歌うのが苦手という人は一定数存在します。そんな方々を小唄に誘ってみるとほとんど条件反射で「俺は(私は)音痴だから・・・」と断られます。
しかしちょっと待ってください。人間は生まれながらに「音痴」ではないのです。歌うことが苦手で自分は「音痴」だと信じている方々は、実はキー(邦楽では調子といいます)が合ってないだけなのです。誰しもが生まれ持ったキーを持っています。そのキーで歌えなければ、結果「音痴」になってしまうのです。
幸にして小唄(他の邦楽も同じく)は、自分のキーで唄えるのです。私は本調子だったら、「8本」という男性としては低めのキーで歌いますが、体調によっては「8本でちょっと低め」とか「7.8本でお願いします」とかリクエストしてしまいます。宗することで、自信を持って唄えるようになるのです。

それでも唄がダメなら、三味線を

小唄の稽古では、三味線もあります。男性は、三味線より唄を好む傾向があるので唄に専念する人が殆どですが、中には三味線の方が好きという人もいます。女性はほぼもれなく三味線が好きです。
小唄だからといって「唄」にとらわれずに、三味線から入るのも手だと思います。
小唄は短く1分もかからない曲から長くて4分です。しかし、その中に三味線のエッセンスがこれでもかと詰まっています。小唄の三味線の稽古を始めると、他の邦楽の三味線を技術的に鑑賞できるようになります。それは、小唄の三味線が邦楽の集大成だからでもあります。しかも短いから、次々に「上げる」、つまり完全に身につけることが可能です。


小唄の稽古では、三味線もあります。男性は、三味線より唄を好む傾向があるので唄に専念する人が殆どですが、中には三味線の方が好きという人もいます。女性はほぼもれなく三味線が好きです。
小唄だからといって「唄」にとらわれずに、三味線から入るのも手だと思います。
小唄は短く1分もかからない曲から長くて4分です。しかし、その中に三味線のエッセンスがこれでもかと詰まっています。小唄の三味線の稽古を始めると、他の邦楽の三味線を技術的に鑑賞できるようになります。それは、小唄の三味線が邦楽の集大成だからでもあります。しかも短いから、次々に「上げる」、つまり完全に身につけることが可能です。

邦楽に興味がある方、ぜひ小唄の三味線を始めては如何でしょうか。



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