日本文化を遊ぶ
茶道家ですが、なにか?
東京八王子で茶苑「獨楽庵」を運営しています。茶苑の維持にご賛同頂いている「友の会」の会員様と日々茶会を楽しみ、毎月の月釜、大寄せ茶会「倶楽茶会」を開催しながら茶道教室を主催し、茶道文化の振興に勤めています。貴方は何者ですか?と尋ねられれば、「茶道家」と答えるのが最も自然かもしれません。
確かに四半世紀以上茶道の稽古を続け、現在は家元直門として家元に直接指導を受けている身で、同時に日々茶の湯を実践しているのですから「茶道家」は悪くないと思います。しかし、自分としては少し複雑です。なぜなら、私の(文化的)ドメインは茶道一つではないのですから。
ドメインその2|小唄
茶道以外で言えば、「小唄」を茶道と同じく四半世紀以上稽古を続けています。小唄というと◯◯小唄。例えば、「お座敷小唄」が頭に浮かぶかもしれません。🎵富士の高嶺に降る雪も京都先斗町に降る雪も・・・ というアレ。しかし、残念ながらこの類ではありません。小唄は時に「江戸小唄」と呼ばれる、端唄、清元、常磐津などの音曲から江戸末期に派生した俗曲の一分野です。「小唄」とういう名前が示す通り、一曲二、三分の小曲が中心です。
小唄を介したお座敷、花柳界へのアプローチ
この「小唄」をどう楽しみむのか。長らく、小唄は四畳半の音曲と呼ばれていました。これが暗示するのは、座敷で芸者の酌で酒を楽しみ、踊りなど芸者の日頃の稽古の成果を鑑賞した後に芸者の三味線で唄うのが「小唄」でした。座敷(宴会)の大小はありますが、概ねこんな感じで楽しまれてきました。最近では舞台で演奏会も珍しくなくなりましたが。
ここからもお分かりの通り、小唄を稽古していると芸者衆と親しくなります。そもそも、小唄を唄おう(日頃の稽古の成果を発揮しよう)にも三味線を弾いてくれるのは師匠が芸者衆しかいないのですから。
加えて、芸者衆自身も芸の一画としてもれなく小唄を稽古しているので、座敷での会話も自ずと小唄の話になります。一般に「お座敷」というと艶っぽかったりするイメージがあるのですが、こと小唄愛好家にとっては芸術論を戦わせる(それほど大袈裟ではありませんが)極めて文化的な時間なのです。それでも、「お座敷」に出入りしていると、花柳界のしきたり、マナーということも自然と身についてきます。
小唄の稽古を長らく続けていて、当然小唄の腕も上がったはずですが、それと同じく花柳界で遊部、それもできるだけ「粋」に。という術は身についたように思います。
小唄と花柳界の関係については、別稿に詳しく書きました。
能嫌いが、シテを舞うに至る
六年前、ひょんなことから能楽の世界に足を踏み込みました。それから「鶴亀」、「橋弁慶」という二曲をシテ(主役)を能舞台で勤めました。実は、今年は11月に観世能楽堂で「猩々」のシテを舞うことになっています。
それまで私が能楽愛好家だったかというと、そんなことは決してありません。むしろ対極にあリました。能楽堂に連れていかかれても、ほぼ九割は睡眠タイム。それが、なぜ能舞台で能を舞うまでになったのかという話は別稿に譲るとして、能の稽古を始めて以来の自分の変化について書いてみたいと思います。
まず、当然ですが、能の曲について知識がつきました。能の一部は、伝説・伝承、縁起に基づいています。都市(京都)に伝わる「都市伝説」は能の題材の一つです。また、寺や神社の縁起(由来)にもどついた曲。それと平家物語もよく能の題材に取り上げられます。重要なのは、これらが真実ではないということです。能では名勝や寺院が舞台になることが多いのですが、かつてそれらは人々を旅に誘うプロモーションとしての役割もあったのではないかと勘繰ってしまうくらいです。物語もよりドラマチックに脚色、時に書き換えられてしまいます。
能の隠れた魅力
史実、原文と異なるから能は歴史を学ためのツールにはなり得ません。だからといって無駄とは言えません。大人になると、それが意味を持ってくるのです(笑)。例えば、茶の湯では能のストーリーを知っていると大いに役立つことがあります。例えば、「高砂」。結婚式で歌われる「高砂やこの裏船に帆を立てて・・・」という歌がフィーチャーされている能です。最初の場面は、「相生」。兵庫県の高砂には高砂神社とともに相生の松という名勝があります。相生は「和合」。夫婦仲を意味します。そして後半の分野は大阪の住吉神社。「高砂」に関連する道具を並べ、能の話をすることで茶席を盛り上げることができます。
素晴らしき出会い
私の“文化的“ドメインは、茶の湯、小唄、能楽で出来上がっています。それぞれに、強い興味があって始めたわけではなく、それこそ「ひょんなキッカケ」からです。しかし、それぞれのドメインでの出会いが楽しすぎて、素晴らしすぎて今でも続いているわけです。特に若手とそんな話をしていると、それぞれに興味を示してくれます。しかし、思い切って「先生を紹介してください」にまで至る方は殆どいません。でも、ここが人生の分かれ道だと思うのです。少しでも興味があれば、その世界に入るまたとない好機です。もしかしたら、そのような好機は二度と現れないかもしれません。まさに「前髪」はしっかり捕まえなければならないのです。そして、逃してしまい二度とチャンスが訪れなかったとしたら、これほど残念なことはないと思います。
稽古に二の足を踏む
しかし、一方でいわゆる「和ごと」のお稽古は、敷居が高く、古いしきたりが生きている、厳しい師弟関係・・・二の足を踏む理由はいくらでもあります。趣味はお稽古だけでは済まない今日、お財布との兼ね合いもあるでしょう。
日本文化を遊ぶ」というタイトルでこのエッセイを書き始めました。それは、日本文化に対して受け身として「楽しむ」だけでなく、自ら主体的に「遊ぶ」という付き合い方があってもいいかな、否、あるべきだという気持ちからです。
日本文化といっても極めて多岐にわたります。「書道」、「舞踊」、「華道」などはその代名詞でしょう。私はその中で、「茶道」、「小唄」、「能楽」だけを“遊んで“います。それでも、それぞれのドメイン同士で共鳴することもありますし、理解を深める機会になることもあります。日常生活、それもビジネスに役に立つこともたくさん学びました。
そんなことを、日本文化を少しでも「遊ぼう」と思う方々と共有できたらとても嬉しく思います。
誘われるうちが花
私が小唄を始めるキッカケは地元の先輩Hさんでした。ある日Hさんから会社に電話があり、「今から遊びに行ってもいいか」ということなので、喜んでお迎えししばし雑談の後、Hさんが「じゃあ、行くか」。私が「どこに行くんですか」と尋ねても「ついてくればわかる」とだけ。着いた先は、小唄の稽古場でした。そこで、いきなり「伽羅の香」の稽古が始まり。今に至っているわけです。お茶も、能もそんなものです。始まりはどうであれ、その後の芳醇な人生は誘ってくれた先輩に感謝するばかりです。
どうやら、日本文化には「引きずりこむ」という習慣が内包されているようです。
そんなこともあり、若い皆様には思い切って「引きずり込まれて」欲しいのです。
獨楽庵は、そんな「沼」でもありたいと望んでいます。
