【ショートショート】 自分に説明できるなら
彼女は、テーブルの縁に指を置いたまま動かさなかった。
木目の溝に沿って、考えが行ったり来たりしているのが分かる。
彼は、それを指摘しない。昔から、そこは触らない約束だった。
カップの底で、氷がひとつ鳴った。
音は小さかったが、部屋の空気を切り替えるには十分だった。
「……どうするつもり?」
彼は聞かなかった。
何を、とは言わない。
期限も、条件も、持ち出さない。
彼女は、笑いかけようとしてやめた。
代わりに、息を整えた。
「前はね」
そう言ってから、言葉が続かない。
前は、説明が早かった。
正しさも、理由も、準備できていた。
「前は、迷ってるふりをしてただけだった」
彼は頷かなかった。
否定もしない。
ただ、少しだけ姿勢を変えた。
聞く側の姿勢だと、彼女には分かる。
「……まだ迷ってる?」
その問いは、責める調子でも、励ます声でもなかった。
確認にしては柔らかく、決断を促すには弱い。
それでも彼女は、言い訳を出せなかった。
「うん」
短く答えて、間を置く。
「でも、前とは違う迷い方」
彼はそこで、ようやく視線を合わせた。
何かを探る目ではない。
答えを欲しがる目でもない。
「違う?」
「うん。前はね、失敗しない道を探してた」
彼女は、自分の言葉に驚いた。
こんな言い方をするつもりはなかった。
「今は……失敗しても戻ってこられる道を探してる」
彼は、ふっと息を吐いた。
笑ったとも、安堵したとも言えない音だった。
「それなら」
彼は言いかけて、止めた。
続きを足せば、方向が決まってしまう。
彼女は、それを望んでいない。
代わりに彼は、こう言った。
「今の話、前に比べたら、だいぶ具体的だ」
それは評価ではなかった。
褒めてもいない。
ただ、変化をそのまま置いただけ。
彼女は、肩の力が抜けるのを感じた。
頑張らなくていい。
でも、誤魔化せもしない。
「ねえ」
彼女は、彼のカップに手を伸ばして、氷を一つ足した。
「もし、私が途中でやめたら?」
彼はすぐに答えなかった。
昔なら、「それでもいい」と言っただろう。
今日は、違う。
「やめた理由が、自分に説明できるなら」
そう前置きしてから、言った。
「それでいいと思う」
彼女は、目を伏せた。
説明できない理由でやめる自分を、もう想像できない。
沈黙が戻る。
でも、さっきまでの沈黙とは違った。
詰まっていたものが、少しだけ流れ始めた感じ。
「ありがとう」
彼女は言った。
何に対してか、自分でも分からない。
彼は首を振った。
礼を受け取る話ではない。
「決めたら、教えて」
それだけ言って、席を立った。
彼女は一人になり、テーブルを見た。
木目の溝に沿って、指を動かす。
今度は、行き先が一つに定まっている。
まだ決めてはいない。
でも、迷いは嘘じゃない。
そのことだけが、
静かに、確かに、彼女を励ましていた。
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