AIは問いを代行できない ― ある学部長の実践記録を読んで
教育DX礼賛でも、AI悲観論でもない。
それでいて、どちらよりも誠実な現場の記録だった。
読み進めるうちに、苦笑と共感が同時に立ち上がる。
それは論の巧みさではなく、
毎年同じ季節に、同じ質問を受け続けてきた人の
身体感覚が、文章の奥に沈んでいたからだと思う。
AIを導入すれば、教育は合理化される。
その期待は、どこかで半分は正しい。
引用の形式、構成の型、参考文献の整え方――
定型化できるものは、確かにAIが肩代わりできる。
だが、この実践はそこで終わらなかった。
むしろ、AIという鏡を通して、
これまで見えにくかったものが露出した。
「そもそも、何を相談すればいいのか分からない」
問いの欠如。
それは怠慢でも、依存でもない。
自分が今どこで止まっているのかを
言語化できない状態だ。
AIは命令には応える。
発注も処理する。
しかし、
「自分は今、何につまずいているのか」
という違和感だけは、人間の側にしか生まれない。
皮肉なことに、
思考を加速させるはずのAIが、
思考の種火の不在を、はっきり照らしてしまった。
印象的だったのは、
学部の舵を取る立場にありながら、
なお毎年、同じ初歩的な質問に
答え続けているという事実だ。
それは合理化の成功ではない。
制度が引き受けきれなくなった部分を、
個人の覚悟で支えている姿に近い。
しかし同時に、
この人は学生を「大学の中」ではなく、
「社会に放り出された後」まで見ている。
AIを使えないまま卒業することの危うさ。
それを直視し、
禁止ではなく、実践で向き合おうとした点に、
教育者としての視線の深さがある。
AIは、思考のアウトプットを加速させる。
だが、思考の種火を代行することはできない。
便利さの先で、
人が立ち止まらざるを得ない地点がある。
そこを一緒に悩む時間の価値は、
どれほど技術が進んでも消えない。
AI時代の教育とは、
AIにできない「面倒くささ」を、
学生と共に引き受け続けることなのだろう。
この記録は、
その面倒くささを、逃げずに書き残した
一つの静かな証言である。
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