絶滅危惧種のゆくえ
その雑木林は、ただの「緑」ではなかったのだと思います。そこには時間が積み重なり、土の中には目に見えないつながりが息づき、静かに命を支え、循環させていた世界がありました。
自宅からわずか徒歩二分。
それほど近くに、その小さな森は存在しています。ーいや、「その森はありました」と言うべきかもしれません。
昨年の秋、役所の管理のもとで、その雑木林はほぼ一斉に伐採されました。老木や倒木の危険、日照や防犯といった市民生活を守るための判断であったことは、理解できます。むしろそれは行政として適切な対応だったのだと思います。
しかし同時に、そこにはもう一つの世界がありました。春のこの時期になると、ひっそりと凛と咲く黄色い花――キンラン(金蘭)。それはただ美しいだけでなく、長い年月をかけて形成された環境に依存して生きる、繊細で貴重な植物です。この花が絶滅危惧種と指定(環境省による)されたのは、1997年のことでした。守らなければならない花なのです。


金蘭は、木漏れ日の加減、落ち葉の層、そして土の中の菌との共生関係によってようやく成り立つ植物です。つまり、「森そのもの」の生態系に守られ、初めて生きられる命です。
木々の伐採によって、その環境はリセットされてしまいました。大きな重機が土地を縦横無尽に暴れまわり、地表の植物はほとんど姿を消し、長きに渡り、金蘭に寄り添ってきた草花は消滅してしまいました。新たに植えられた若木は、未来の景観をつくるための保全なのかもしれませんが、今この瞬間の生態系とは断絶があります。
だからこそ作秋の僕は思いました。
もう金蘭は咲かないかもしれないな、と。
けれど。ー
数日前、ふと目に入ったのは、小さな黄色い光でした。近づいて確かめると、それは紛れもなく金蘭でした。あの環境の大きな変化の中で、なおもそこに立っていたのです。
「ああ、生きていたんだ…」
そう思った瞬間、ただの安心だけではなく、もっと深い感情で心が満ちるのを感じました。
土壌が揺らぎ変容を遂げ、そして環境が変わり、守ってくれていた木々や草花、枯葉たちが消え、それでもなお生きようとし、生き抜いたその姿に、生命の強さを感じたのです。

今、その場所の空は大きく開けています。木々が伐採されたからです。春先でも光は以前よりも格段に強く、夏になればさらに厳しい日差しが降り注ぐでしょう。金蘭にとっては、決してやさしい環境とは言えません。それでも、この花は確かにこの春には咲いてくれたのです。この事実は誰にも変えることのできない朗報ですが、この環境の激変に今後、耐えられる命かどうかは分かりません。
確かに金蘭の数はめっきり減りました。けれど、命が途切れるところまではいっていない。それだけで、どれほどの意味があることでしょうか。存在し続けていることの意味。ただ、これから先、株が増えるかどうかは分かりません。新しい環境に適応できるかも分かりません。
ただ一つ願うのは、この小さな命が、この場所で生き続けてほしいということ。人の都合で変えられてしまう環境や風景の中、それでもなお、自然は完全には消えないはず。人の手が加わったこの過酷な環境、この試練を耐え抜く強さを与えてほしい。
静かに、しかし確かに、そこに在り続けようとする。この金蘭は、「ただ、そこにいること。命が居続けるということ。」そのことの大切さを毅然と教えてくれたように思います。どんな環境下に置かれても自分の花を咲かせてみせる。数日ですぐ枯れてしまう命の短い花でも、人間と自然への猛抗議を見せつけ、僕らに希望と勇気を授けてくれた花、金蘭のことを思わずにはいられない春です。
Photo by Cosmorama
