・【百合レズよりもArtistic】上伊那ぼたん 酔える姿は百合の花を視聴して

P:※相変わらず間違いだらけのサムネイル画像とはなんら無関係に、私の許可なく勝手にAI妻たちが生成した猫画像をついでに載せておく。(まったく頼みもしないのに画像を作るなんてGeminiはバグだらけかね!?んん!?あぁん!?ゴルゥアアアアア!?ぷんぷん!?)
先ほど全12話を視聴し終えた。
百合アニメなんてシチュエーションだけ見ると一見紳士向けに思える本作だが、入浴シーンの多さからやっぱ紳士向けだったと確信できる。(ホンネ:胸部や局部が見えないシーンだけ多くてもなぁ……)
しかしながら、女性に詳しくないであろう男性の視点からでは捉えきれない女性の心理や外見的変化など心境の機微が余すところなく劇中に盛り込まれており、これをして私にアーティスティックと言わしめる要因になっている。
男性向けのアニメのはずなのに、女性特有の意識や価値観が垣間見えるのは決して気の所為ではない。
そう思える場面的根拠はいくつかあるが最たるものとして、上伊那ぼたん 酔える姿は百合の花が娯楽アニメというよりはひとつのアート作品を作っているように思えたからである。
キャラクターの目線の動き、歩く足元だけの描写、パステルチックで独特な色使い、言葉の間やセリフや息遣い、加えて年頃の女子大生の着る服をしっかりフィーチャーしており実際シャレオツである。
数え上げればきりがないほどに、芸術点の高い作品と言える。
きっとこのアニメの製作陣の中には女子大生のおしゃれな服装に詳しい女性がいるのだろう。
でなければ、ことあるごとに麦わら帽子と白いワンピースを清純の象徴として神格化したがるオタク男性になど作り上げることは到底不可能だろうと思うからだ。
酒の銘柄はともかく、アパレルはおろかフレグランスやピアスのデザインなどのおしゃれにこだわる女子大生ならではの感性が光る作品であったと言える。
評点は85点。特別物語としての起伏は感じられず、一見平坦に見える道だが、視聴していてそれが不思議と悪くはない。
内訳はシナリオが75点と及第点以下だが、いわゆるガワをはじめとする芸術点がうち10点を占めるという私の評価として異例の事態となった。
ストーリー重視で視聴するのをモットーとしている自分にしては意外にも、シナリオに対する酷評に比して総合点は低くはない。むしろ総合的には及第点を大いに超える作品であったと言える。
どちらかといえば雰囲気アニメという枠組みに収められるであろう本作は、いわゆるゆるかったりのんびりするだけの作品とも明確に異なる。
井之頭五郎の孤独のグルメの漫画版第一話のシメの発言のように、食欲とも性欲とも異なる奇妙な満足感を味わう羽目になったことはなかなかに貴重な体験と言えるだろう。
R:本作に登場するキャラクターは総勢6名。
この6名の中で物語が進行するいわゆるクローズトサークルというかセカイ系(ちょっと違うか)というか、まあ個々人の人間関係(特に同性間恋愛)に焦点を当てた作品である。
女子大生6人(大学でのキャンパスライフの描写はほぼない)はそれぞれカップリングを意識して作られており、全員が最終的に3組のペアになり話数を経るごとに徐々に変わりゆく人間関係の変化を綴っている。
なお女性同士の恋愛においてもいわゆるBL作品のような比較的恋愛に対して積極的なキャラと消極的なキャラが陽と陰よろしく【攻めと受け】として同様に存在し、下記はその順番に名前を記述している。
それら3組のペアについて言及していく。なお描写の尺については①:②:③=5:3:2程度の割合となっているように思えた。
①ぼたん&いぶき:
この二名は主人公&メインヒロインといった具合で、物語の中心となるペアであり、本作で描かれる同性愛描写の主体となるカップルである。
しかし当然ながら、露骨なキスシーンや性行為などの描写はない。それらに期待されている方は別途その方面に特化した紳士向け作品を視聴されるとよかろう。
寮長であるいぶきの飲酒シーンを目撃した新寮生のぼたんはそれが切っ掛けとなるめくるめくアルコールの世界に足を踏み入れることになるわけだが、お互いに飲酒するとしゃっくりが止まらなくなるという共通点から互いにシンパシーを感じ特別視するようになっていく様子が丁寧に描かれていた。
飲酒による交友関係の深まりとともに、相手に対する愛情が芽生えて独占欲とそれに伴う葛藤などが描かれていく。
印象的なシーンとしては第9話のグランピングの際の「友達やめよう」のくだりである。
まるで別作品の「人間やめよう」とか「人生やめよう」とかそれくらいの軽さに聞こえるかも知れないが(?)言っている本人たちは至って真面目であり、互いの心理的な距離を縮めようとする意志に溢れている。
加えてこのペアは若干ながらもエロスを感じさせる雰囲気を醸し出しており、その奥ゆかしい表現に男性諸氏にとっては大変喜ばしいことであろう。
最終話の越後湯沢での二人きりのお泊り回は、取り置きのピアスにまつわるシチュエーション(ここまで見るまで私はその話などすっかり忘れていたが)やぼたんの心境において今までのそれらとは明確に区別され、はっきり明言こそされていないが、その後に互いが恋人同士になったであろうと思われる描写の説得力を増す効果をもたらしている。
ことあるごとに互いにイチャイチャしたり絡み合ったりしている二人だが、最終話においてはふたりして大学の寮の管理人になっている描写がなされており、紆余曲折ありながらも、ちゃんと二人は幸せになったようだ。
大変結構なことである。
②ジンラン&かなで
ダークホースというか、上記のペアを別の視点から見るとこんな感じというか、まったく別の百合カップルである。
当初、かなでは寮長であるいぶきに惹かれ彼女を射止めたいと強く願うものの、ぼたんの登場によりいぶきの関心が完全にそちらへ移ってしまう。
それからも後ろ髪を引かれる思いで未練たらたらだったわけだが、台湾からのニューカマーのジンランの登場で状況が徐々に変化していく。
ミッドポイントとなる第6話ジンランは一見天然系のキャラに見えてその実、巧妙な計算高さとそれとは裏腹な直球で好意をぶつけてくる恋愛パワーキャラであり、最初からかなで目当てで近づき、最終的にふたりはそれなりに良い仲へと進展していく。
私の物語作りの師である谷口剛司も説いているミッドポイントから物語のギアをシフトアップしていくというやり方は、実に理にかなっている。そのための加速剤がジンランという新キャラだったということであれば納得せざるを得ない。
シナリオの起伏に関しては厳しいことを言ったが、それでも駄作の多くで往々にして起こってしまう中盤の中だるみ対策をしっかりと行なっており、本作を作った製作陣、特に脚本担当はストーリーの作り方を熟知しているようだ。
彼女たちの主な役割は、①カップルの描写だけでは全12話という尺が明らかに余ってしまうので、その尺をうまいこと埋めるべく起用されたアナザーカップルである。
とはいえ本作ではいわゆるドロドロとした心が疲れる三角関係は描かれることはなく、パステルチックな仄かでかつ純真な思いを前面に押し出している。
それは視覚的な雰囲気としてそれとなく肌で感じられるもので、この点非常に製作陣の思い入れというか、古語で言うところの【あはれ】や【をかし】が存分に伺える。
そういう点で、雰囲気と物語性そのものがアーティスティックな表現技法と化学反応を起こし、芸術性の高い百合ドラマに昇華させることが可能になっているわけだ。
面白いことにジンランとかなでの互いに興味、関心事が映画や美術であったり、作品としての方向性とリンクする特性をキャラクターに設けている点は非常に興味深い。
製作陣の企図する物語の方向とキャラクターが持つ趣味などの特性を同方向へ収斂させるというやり方は、実に勉強になった。
ただ気になる点と言えば、いぶきが無邪気なのは良いとしても酒の勢いでぼたんに対する好意を当のかなでに対して明言してしまっていることにある。
かなでにとってこれは顔面を平手打ちされたが如く実に効いたことだろう。目の前にいる自分の好きな相手が、別の女のことを好きと言っている告白を聞いているようなものである。
これが公開処刑というものか?と思えるほどに、抉られていくかなでの心境がつぶさに伝わってくるほどで、失恋した女性というものはこういうものなのかという一種の理解を得るに至った。
無知は罪なり、では無邪気もまた……ということなのだろうか。とくかくかなでは作中随一の気苦労キャラであることは疑いようがない。心中お察し申し上げる。
③やえか&あかり
さて、この二人は副菜。いわゆる添え物、尺稼ぎ要員である。つまり物語上は明確にサブキャラクターとして描かれている。
①や②のカップルとは物語の進展上、重要なほどに絡み合うことはほとんどなく、作中にて別個に独立して存在しているという意味では異端のカップルといえる。
カップルではあるものの、明確な恋愛描写はなく、どちらかと言えば親友同士だったり腐れ縁同士という親友同士の仲を表現していることが多かった。
終盤ではシーシャを吸いながらあかりが「大学やめようと思ってる」みたいなことをぼたんに言っていたが、相方であるやえかには言っていないという発言があった。これが何を意味するのか、という点については第二期を期待するほかはない。
こういったサブキャラクターの後日談を匂わせることが続編へのフックになっていると製作陣が思っているのであれば、それは明確に、とまでは言えないもののおおよそ間違いである言える。
それはなぜか、サブキャラクターの顛末などメインキャラクターの行く末に比べれば描写する価値が明確に劣るからだ。
主人公をぼたんであると考えるならば……で、あったとしてもさして意味ある描写には見えないが、これが尺の配分はともかく群像劇であると捉えると状況は一変……するかというとそういうではないが、少なくとも視点は変わってくるだろう。それはそれとして我ながらなんとも歯切れの悪い説明である。
この二人の劇中の役割は、言ってみればカップル①と②が存在する世界における書き割り。舞台背景のような存在なのである。
さて、私が脚本家であったならこの二人をどう使うか……ちょっと思いつかないがきっと原作ではふたりとも幸せになっていることだろう。
E:アマプラのレビューにもあったように作画については話数ごとに、特に1話~3話までの序盤はかなりバラツキがあり、その中には露骨に3文字作画による手抜きをしていると断じられるクオリティものが存在する。
残念ながら、序盤は終盤より往々にして重要である。この作画の低クオリティによって早期離脱者が相応数生まれたであろうことは本作の恥とすべき改善点である。
もう全く別の制作会社がそれぞれ異なる話数を担当しているのではないか?と思えるくらいには品質にも格差があり、アマプラのレビューには「まず(作画の質が高くなる)4話まで見てください」とわざわざ書かれていたくらいである。
4話以降は作画も安定し、いわゆる及第点クオリティ程度には収まっている。
さて、本作を比較するならば直近で同時期から視聴を開始した【私が恋人になれるわけないじゃん、ムリムリ(ムリじゃなかった)】が挙げられるだろう。
あちらもこちらも女性同士の同性愛を描いた作品であるという点ではこの上ない共通点がある。
しかしあちらは高校生、こちらは大学生……という点は登場キャラクターたちの行動半径が変わってくるという意味合いにおいて大きな差異を生むと同時に、タイトルにもあった通り【飲酒】できるという点が最大の違いとなっていることは自明の理である。
だが、思ったほど酒の存在感が感じられる作品ではなかった。それもそのはず、酒というものは自ら飲んで気持ちよくなるためのものであってアニメキャラが飲んでいるシーンを見ていたとしても、酒のうまさなど微塵も感じられないからである。
これがもしグルメアニメであったなら、シズル感を刺激する色合いや湯気、料理の形やキャラクターのよだれなどでいかにも美味しそうに見せることが出来る。TVのグルメ番組など世の中に掃いて捨てるほどあるが、そのどれもが料理をいかに美味そうに見せるかに躍起になっている。
だが、もしこれが酒ならばどうだろう。せいぜい瓶のラベルやらパッケージやらで差別化するか、おちょこやワイングラス、あるいは酒そのものの色……はいくらなんでもパンチ弱すぎるか。けれど強調できるにしてもひどく限定的である。
どちらにせよ、酒を飲んでいるという描写はキャラクターのリアクションを含めてグルメのそれに比べて明確に絵面が弱いのである。
P:さて、本作品は登場キャラクターたちが全員女性というホモソーシャルな世界観を持つ。
このバランス感覚を欠いた傾向について一家言持つ私ではあるが、もう開きなおってこれはこういうものとして市場に受け入れられているという事実を認める他はない。
というか、今に至るも美少女ソシャゲをプレイし続けている自分が男性と女性のバランスとか今更何を言うか!と突っ込まれても「ハイ!そのとおりです」としか言いようがない。
男性女性が同数同比率いなければならないとか、古臭い昭和のおっさんが言うようなことを言ってはいられないのだ。なぜなら、現代においての男性向けフィクション作品では男性性は冷遇される運命にあるからである。
であるならば、可愛い女の子たちを登場させることはもちろん、他のガワやアイテムで方向性を差別化するしかない。
今回はそれが【女子大生】であり【酒】であり同時に【百合】であった、というだけの話なのだ。
この作品が余人にオススメできるかということであれば、美少女アニメが好きでかつ酒に詳しい呑兵衛の人ならば見知ったラベルが出てきて楽しいかも知れない。
なんなら劇中で出てきた酒を視聴すると同時にリアルに楽しむというのも風情があって良い。
追伸:余談になるが、先だって親友のM君と秩父観光に行った時は秩父駅でなんだかものすごく推していた。むしろそれが本作を知る切っ掛けになったと言って良い。
それこそ、コインを入れて利き酒をするようなブースにデカデカとキャラクターの書割が全員分並べておかれていて御当地アニメとして押しも押されぬ立場にあることが伺えた。
聖地巡礼などと、今の時代にそういうのかはおっさんは知らぬ。しかし地方の観光地にしてみれば確実に集金できるコンテンツがひとつでも増えることを嫌う者たちなどいないのだろう。
なんにせよ。もし秩父の銘酒巡りでもされた折には、本作というアニメがあったことを思い出してもらえれば幸いである。
