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社会の変化はゆっくりになっている(3) あの頃の「すごい未来」は実現したか?


3.あの頃の「すごい未来」は実現したか?


前回(第2回)では「現代において技術革新は、じつは減速している」ということを、経済学者ゴードンの著作(『アメリカ経済  成長の終焉』)などに基づいて述べました。「1870年頃からの100年間にくらべ、1970年頃以降の革新・発展は、期待外れ」ということを、アメリカにおける住宅を中心とする生活関連の変化を通して論じています。

今回(第3回)では、そのほかの技術についてもみていきます。情報分野の大きな変化の陰に隠れてしまうところがありますが、意識して見渡せば、技術革新の減速が、さまざまな領域でみられることに気がつくはずです。中高年の私が子どもの頃に触れた「すごい未来」のビジョンは、あまり実現していないのでは?



*サムネイルの写真は、国立代々木競技場 第一体育館(1964年、意匠設計:丹下健三)。このような、今みてもモダンで「未来」をも感じさせる建築が60年余り前につくられていたのです。1964年の60年前というと1904年(明治時代、日露戦争の頃)です。そこからの60年にくらべ、この建築以後の60年の変化はゆっくりだったのでは?


アポロ計画と超音速旅客機


コーエンやゴードンのような、近年における「技術革新の減速」についての主張を知ると、それを示す事例に、ほかにも気がつくのではないでしょうか。

とくに、1970年代に子どもだった私は、あの頃に見聞きした「すごい未来」のビジョンが、どれだけ実現したのかということが気になります。そして、かなりのことが実現していないと思うのです。

たとえば、宇宙旅行。1969年のアポロ11号以来、1972年まで月への有人飛行が行われてきましたが、その後は(2025年現在)途絶えています。1968年公開の映画『2001年宇宙の旅』で描かれたような大規模な宇宙ステーションや月面の宇宙基地は、いまだ実現していません(こうした宇宙開発の減速のことは、コーエンも取り上げています)。

あるいは、旅客機の速度。史上最速のジェット旅客機は、1969年に初飛行し1976年に旅客輸送を開始(初就航)したコンコルドで、その巡航速度はマッハ2.0でした(最大速度はマッハ2.2、イギリスとフランスの共同開発による)。しかし、同機は採算性や「ソニックブーム」という超音速に伴う衝撃波などの問題があり、あまり普及しないまま、2003年に退役しています。

なお、コンコルドよりも2か月早く(1968年に)ソ連のツポレフTu-144という超音速旅客機も初飛行し、1977年に旅客輸送を開始しましたが、運航は数か月で終わっています。

1970年頃には、「これからは超音速の時代」というのが一般的な見解でした。しかし、コンコルドの退役以降、商業運航を行う超音速旅客機はあらわれていません。それはつまり、「最速の交通機関」が1970年代以降更新されなかった、ということです。

近年において、新たな超音速旅客機を開発する動きもありますが、2025年現在はまだ実用化に至っていません。そして、もしもそれが実現したとしても、速度については1970年代のコンコルドを大きく超えるものではありません。新たな超音速旅客機の有力候補とされる、アメリカのスタートアップ企業による「オーバーチュア」にしても、最大速度はマッハ1.7でコンコルドよりも遅く、機体のサイズもコンコルドより小型です(『週刊エコノミスト』2025年3月11日号、特集記事「航空産業サバイバル」などによる)。

また、軍用機も含めた「実用ジェット機」の最高速度では、1976年にSR-71(通称ブラックバード)というアメリカ軍の偵察機が出したマッハ3.3という記録が、現代においても更新されていません(CNN.co.jp style「米偵察機「SR-71ブラックバード」かつても今も世界最速」2020年1月12日付など)。

そして、超音速ではない、主流のジェット旅客機の速度も、1950年代末からほぼ変わっていません。1958年に初就航したボーイング707の巡航速度はマッハ0.8でしたが、それは現在の最新型で2011年に初就航したボーイング787のマッハ0.85に近いレベル(時速900キロメートル前後)なのです(以上、歴代のジェット旅客機の速度などの情報は、浜田一穂『ジェット旅客機進化論』イカロス出版、2021年による)。

たしかに、2020年代現在、民間の宇宙船による宇宙飛行が、ごく限られたかたちで行われるようになっています。そこで、宇宙開発はそれなりに進歩しており、その意味で「最速の交通機関」の記録も更新された、といえるのかもしれません。しかし、現在の民間の宇宙飛行は、本格的な交通機関というには程遠い、初期的な段階にあると言わざるを得ないでしょう。

アポロ11号もコンコルドも、1970年頃(1960年代末~1970年代前半)の技術的成果ですが、それから50年余り経った2020年代になっても、まだそのような状況なのです。

これに対し、1970年頃以前の数十年における航空・宇宙技術の進歩は、はるかに急激でした。ライト兄弟による、初の有人動力飛行(初日は十数秒から59秒のフライト)は1903年で、ボーイング707はその50数年後、コンコルドは約70年後です。

そして、「近代ロケットの父」といわれるロバート・ゴダードが、1926年に小さな液体燃料ロケットを30数メートルの高さまで打ち上げてから40数年後には、人類は月に降り立っていたのです。こうした航空技術の発達の減速については、あとで引用するシュミルやドーリングといった著者も取り上げています。


史上最大の破壊力の爆弾・水爆


また、おぞましい例ですが、「最大の爆弾の破壊力」も、この数十年間更新されていません。1950年代前半にアメリカとソ連で開発された、水爆を超える破壊力を持つ爆弾の技術は、現在も存在しないのです。

史上最大の威力を持つ水爆は、ソ連が1961年に核実験を行った、「ツァーリ・ボンバ(“爆弾の皇帝”)」と名付けられたもので、その威力は広島型原爆(1945年開発)の3300倍の50メガトンです。これを超えるものは、その後つくられていません(Business Insider Japan「広島・長崎の〔合計の:筆者補足〕1500倍…ロシアが史上最大の核爆発の映像を公開」 2020年4月25日付)。

こうした「爆弾の技術革新の減速」の背景には、米ソの核軍拡競争が沈静化していったことや、そもそも「あまりに大きな破壊力の爆弾は、“実用的”ではない」ということがあるでしょう。

しかしその一方で、水爆(核融合を用いる)を大きく超える強いエネルギーを発生させ得る基本技術が生まれていない、ということもあるはずです。もしもそんな新エネルギーを開発していたら、人類はきっと水爆以上の強力な爆弾を(実際には使わないとしても)つくったでしょう。ツァーリ・ボンバのような代物をつくったのですから。

アポロ計画、コンコルド、水爆……これらの1950~70年代の技術的な産物をふりかえると、その後の技術革新の「減速」をイメージする手がかりになると思います。1970年代の時点において、人類はすでに月へ飛行士を送り込み、超音速旅客機を運行し、史上最強(最凶)の破壊兵器を保有していたのです。


期待されたさまざまなものが実現していない(技術史研究者シュミル)

 
そして、「数十年前に描いた未来像にくらべてはるかに“期待外れ”の状態にある技術」は、ほかにもいろいろとあります。

エネルギーや環境の問題、技術史などを研究するバーツラフ・シュミルは、著書『Invention and Innovation:歴史に学ぶ「未来」のつくり方』(河出書房新社、2024年、栗木さつき訳、原著2023年)で、近現代におけるさまざまな「期待外れに終わった発明」「期待されながらいまだ実現しない発明」などの技術革新の失敗事例について述べています。

たとえば、先ほどのコンコルド(超音速旅客機)は、「主流になるはずだったのに当てがはずれた事例」のひとつとして、同書では取り上げられています。

また、「核分裂を利用した原子力発電」も、同書では「当てが外れた」技術のひとつとされています。原子力発電は、1950年代に始まった当初は「未来のエネルギーの主力」と期待されました。しかし、一定の普及はあったものの、現在も主力にはなっていません。

シュミルによれば、原子力発電は、2021年において、全世界の設備容量(発電所の発電能力)の5%、商業用発電の10%を供給するにとどまっています。 その「失敗」の根底には、この数十年のあいだ、安全性などのさまざまな技術的問題を十分には(原発推進の社会的コンセンサスを形成するレベルでは)解決できなかった、ということがあるのではないでしょうか。

また、「制御核融合」は、「期待されながらいまだ実現しない発明」としてシュミルの同書ではとりあげられています(なお、水爆は「制御されない核融合」です)。核融合は、長いあいだ原子力発電を超える「究極のエネルギー」として期待されながら、いまだに短期的には実現のめどが立ちません。

核融合についてシュミルは、《1950年代から続く「30年後には成功する」という予測》がくり返されている《蜃気楼であり、その姿はつねに遠ざかっている》と述べています。

そして、「ハイパーループ」などと呼ばれる「真空(に近い)パイプ状の空間を超高速で移動する輸送システム」も同様の事例として、同書で取り上げられています。ハイパーループのコンセプトじたいは、1800年代にはあったのに、今もまったく実現できていないではないかと。

そして、この手の高速輸送では、シュミルは言及していませんが、リニアモーターカーによる超高速の鉄道網も、長いあいだ「未来の構想」のままです。

たしかに、2002年には、中国(上海エリア)で30㎞ほどの区間をリニアの路線が最高時速300㎞台で営業運行を開始し、今もその運行が(路線の拡大はないまま)続いています。また、日本では「2034年以降」に品川~名古屋間でリニア新幹線が開業予定ではあります。しかし、「東京~大阪間を1時間で結ぶ」などの、鉄道輸送を刷新する1960年代以来のビジョンの実現までは、まだかなりの道のりのようです。

また、やや専門的ですが、「窒素固定作物」という、マメ科作物にしかみられない「窒素肥料が不要となる性質」を、ムギのような主要穀物にもあたえる技術も、なかなか実現しないと、シュミルは指摘します。この技術は、実用化されれば化学肥料の発明(1800年代半ばに最初に作られ、1900年代初頭に大きく発展)にも匹敵する農業の革新だといわれます。そして、この数十年間、「バイオテクノロジーによって実現できるのでは」と期待されてきましたが、今も実現の見通しが立たないとのことです。

なお、シュミルもまた「加速するイノベーション」という見方に異をとなえる1人です。「加速するイノベーションがまったく新しい世界をきりひらく」という見通しは、それに反対の立場からは「テクノロジー楽観主義」などとも呼ばれますが、シュミルはこの「楽観主義」を強く批判しています。

そして、「1970年代以降の技術革新の減速」について、つぎのように述べているのです。その見解は、コーエンやゴードンと共通しています。

《1970年代以降の電子回路設計と電子機器の性能の向上がどれほど賞賛されようと、私たちの日常生活のほぼすべての場面において、このようなスピードで進展を遂げたテクノロジーはいっさいない。〔その〕急速な指数関数的成長は、現代文明の存続に関わる基本的な経済活動の進歩に寄与していないのだ。穀物の収穫量、エネルギー効率、輸送の速度、大規模な工学プロジェクトの完遂、また新薬開発の成功確率や長寿の実現など、健康や生活の質を左右する重要な要因については、いっさい貢献していないし、こうした現実を示す例をあげれば切りがない》

『Invention and Innovation:歴史に学ぶ「未来」のつくり方』栗木さつき訳、229ページ


「減速」の事例としての、ジェット旅客機


ただし、減速しているといっても、1970年頃以降もさまざまな技術革新は、やはりあったわけです。これまで引用した減速論者たちも認めているように、とくに情報技術(IT)の分野では著しい進歩があり、それは私たちの生活や文化に大きな影響を与えました。さまざまな領域での改良や、量的拡大・普及もすすみました。

しかし、それでも1970年頃以降の技術革新は、1970年頃以前の100年間の革新にくらべ、社会や文明の根幹にあたえるインパクトという点では弱いと、私は考えます。これまで技術革新について「減速」と呼んできた現象は、そのような「インパクトの低下」をおもにさしています。

たとえば、ジェット旅客機の近年の状況は、1970年代以降における技術革新の「インパクトの低下」を典型的にあらわしている事例だと、私は思います。

前に述べたように、ジェット旅客機の巡航速度は1950年代末から現在まで時速900㎞程度であり、あまり変わっていません。ただし、その速度を根本から既定するジェットエンジンの革新が明らかに減速したのは、1970年代以降のことです。じつは、速度があまり変わらないとしても、「推力」という指標で示されたジェットエンジンのパワー(重さの単位「t」「kg」などであらわす)は、1950年頃から1970年頃にかけて急速に大きくなっています。

1949年に最初の実用的なジェット旅客機「コメット」(イギリスで開発)が初飛行したときのエンジンの推力は、2.3tです。当時のコメットはこのエンジンを4基搭載していました(初就航は1952年)。また、1940年頃の初期段階にさかのぼると、最先端のジェットエンジンの推力は、0.4~0.5トンでした。

これに対し、1969年の初飛行時におけるボーイング747(ジャンボジェット)のエンジンの推力は、20tでした(4基搭載、初就航は1970年)。これは、当時の最高レベルの推力です。

つまり、1950年頃からの20年ほどで旅客機のエンジンの推力は約9倍に向上したのです。1940年頃との比較だと、30年ほどで40~50倍です。

1970年頃までに推力などのエンジンの性能が大きく向上したことで、ジャンボジェットという超大型機が可能になったのです。なお、これに対し、説明は省きますが、推力の向上と巡行速度の向上は必ずしも結びつきません(歴代の旅客機に関する基礎情報、搭載エンジンの推力については、浜田前掲書、石澤和彦『ジェットエンジン史の徹底研究』グランプリ出版、2013年、谷川一巳『ボーイングvsエアバス』交通新聞社新書、2016年による)。

しかし、現在のジェット旅客機における最強のエンジンである、GE社のGE90-115Bが2002年に記録した推力は58tであり、1970年頃からの30年余りで2.9倍の向上にとどまっています。なお、このような大型旅客機用のエンジンは、軍用機向けも含めたジェットエンジン全体のなかで、最も大きな部類に属します。

推力だけがジェットエンジンの性能をはかる指標ではなく、効率性にかかわる指標なども重要ですが、やはり推力はごく基本的な要素です。その推力という視点でみると、ジェットエンジンの技術革新は、近年においてたしかに減速傾向にあるのです。

そこで、航空評論家の浜田一穂氏のように《1960年代末に〔現在主流の〕高バイパス比ターボファン〔のエンジン〕が出現して以降は、ジェットエンジンに画期的な技術改良はない》と述べる識者もいます(『ジェット旅客機進化論』14ページ、〔〕は筆者・秋田による。“高バイパス比ターボファン”についてはここでは立ち入らない)。

これは、さまざまな改良・向上があったことは承知のうえで、「大きな視点でみれば、画期的・根本的な革新はない」とまとめているのです。


旅客機の進歩は「高速化・大型化」以外が軸に


機体の大型化も、1970年代のボーイング747(ジャンボジェット)以降、それほど大きくは進んでいません。ボーイング747の座席数が最大500ほどであったのに対し、2007年に就航した、現在最大の旅客機であるエアバスA380の座席数は、最大860ほどで、実際の運用では400~600余りです。つまり、1970年代のボーイング747の座席数をはるかに凌ぐものの、2倍にまでは増えていません。これに対し、1950年頃のコメットは40数席で、その20年後のボーイング747はその約10倍です。

1970年代以降、ジェット旅客機の進歩・技術革新は、エンジンの燃費向上や低騒音化、新素材(炭素繊維複合素材など)を用いた機体、コンピュータ化などの改良や洗練が主軸となります。その結果、経済性や安全性はたしかに向上しました。

また、コンピュータ化によって、一定の省力化も実現しています。ジェット旅客機の初期の時代には、パイロット、機関士といった操縦に関わる乗員が計3名必要でした(ソ連など共産圏では4名の場合もあった)。しかし、現代では、エアバスA380(前述の最大の旅客機)でも正副のパイロット2名で飛行するようになっています。そのような省力化は、おもに1980年代以降にすすみました(浜田前掲書など)。

なお、旅客機の生産台数や利用者は、この20~30年もかなり勢いよく増えています。2000年から2019年までの間に、世界の航空旅客数(国内線・国際線合計)は2.7倍に増えました(国土交通省「世界の航空旅客数の推移」)。

しかし、「高速化・大型化」のような、とくにインパクトの強い変化をもたらす革新は、1970年代以降あまり進まなかったのです。とくに高速化は、ほとんど進みませんでした。

航空機産業は、先端的なハイテク分野であり、一般には「日進月歩」といわれています。たしかにそのとおりなのですが、その「日進月歩」の中身や速度は、1970年頃までとそれ以後では、かなりちがうということです。

なお、航空機産業の状況について知識のある人は、「旅客機の高速化や大型化がすすまないのは、そのニーズが無いからだ」と思うかもしれません。たしかに、近年の航空業界は、使い勝手の良いサイズである中小型機(従来と同じ巡行速度)に力を入れる傾向があります。そして、多くの中小型機の運用によって拡大する航空需要に対応しているのです。

しかし、じつはこれは「既存の技術の枠組みのなかで可能な対応をしている」のだと、私は考えます。

もしも「マッハ3で飛ぶ、2000人乗りの“超”ジャンボジェット」が、実用性や採算を満たすかたちで可能であるなら、そのような旅客機がつくられないはずはないでしょう。しかし、それを可能にする、さまざまな「壁」を克服する技術革新がなかなかすすまないのです。そこで、航空機業界では、既存の枠組みのなかで改良を重ねているということです。

(第4回に続く)
第4回は、「技術革新の減速」についてのまとめです。1970年代以降もさまざまな革新や変化はあったのですが、革新のあり方は変わっていきました。それは「根本的な革新から、応用的な改良へ」という変化だったと、まとめることができるでしょう。


おもな参考文献


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