うみのくるしみ
正月は実家で麻雀をやったんだけど、父親が字牌の「南」を捨てた時だけ「南 沙織!」と叫んでたからだれ?って聞いたら「夫は写真家」と返ってきたのでそれ以上突っ込むのをやめた。誰だよ南沙織って。
正月はあっという間に過ぎていき「めでたい」雰囲気から「地に足がついた」雰囲気に戻っていく今日この頃。今回、企画参加させて頂いた「#四日坊主でいいじゃない」も連続投稿がこの記事で4日目となるので目標達成である。やったよ俺。1日坊主から毛が生えた。
普段、絵を描いている私は文章をあまり書くことがないんだけど、今回文章で4日間の記事投稿をして感じた。絵を描くことも文章を書くことも「うみのくるしみ(生み出す苦しみ)」は変わらない。そして文章を書いている方達を改めて尊敬する。なんでそんな書けるんですか?
話は「うみのくるしみ」に入りますが、AIが全面的に出てきてから文章や絵などの「うむ」ことに対して軽視されがちなのをSNSを見てて感じる時がある。というより、そもそもAI以前から「うむ」ことへの配慮が欠けてる奴大杉漣太郎。
「誰かに頼む行為」そのものに軽さを感じる。
「これ作ってみてよーー」「私にも〇〇やってーー」「〇〇さんならやってくれるよーー」と、やってもらえるのが当たり前のように他人事でものいってくる奴、爆発しねーかなとおもってる。
「うみのくるしみ」ってご存知ですか?
相手の時間と自分の時間をねるねるねるねしてません?
自分と相手との距離感バグらせてはしゃいでませんか?大丈夫ですか?救急車呼びますか?
だいたいそういう奴って「注文多い」。
こちら側がやりますよっていったもんなら「こんな感じにして、ここら辺をこうして〜‥」
もう金払え。
やったらやったで、「ありがとうございます✨」で終わり。あーたは何を学んできたんだい?蝶よ花よと育てられ、与えられることが当たり前な空間だったのかい?私も手をパンパンしたらケーキが出てくるとこに住んでみたいわ。
「当たり前じゃねぇからな」と私の中の加藤浩次が叫んでるんだよ。
心狭いと言われようが勝手に言ってろと思うけど、お金が発生しない時は特に作る側が選ぶ側でいいと私は思う。「この人に作ってあげたい」と想える人だったらモヤモヤしないし、むしろ気持ちいい。
例えば手間のかかる手作りお菓子。仲良い友人には作ってあげたいとは思うけど、自分にとってそんなに話さない顔見知り程度の友人にいきなり「私にもお菓子作って」って言われたら気持ちよくつくれるか?
Win-Winな関係性が成り立っているなら良いとはおもうけど、そうでなければ配慮が必要だと思う。
自分の作品に配慮してくれて関わってくれている方達はずっと大切にしていきたい。
色々グタグタと書いたけど、SNSやってて感じることでした。
企画参加投稿記事がどす黒く始まりどす黒く終わりましたが、このような機会を頂けて楽しかったです!彩夏さんありがとうございます。
今年はnoteスタートに良い経験ができました!
彩夏さんの企画noteはこちら↓
1月1日〜1月10日迄の期間、陰ながら応援しています🥸
