その声は、気のせいでも、あなたのせいでもない 〜幻聴と脳のしくみをめぐる新しい研究〜
はじめまして、介護と支援の相談どころ そよぎの代表、ヒロです。
今日は少し専門的な、けれどそよぎがずっと大切にしてきたことと深くつながる研究の話をさせてください。「幻聴」、つまり実際には存在しないはずの声が聞こえる、という現象についての新しい研究です。
福祉の現場に長くいると、「誰かの声が聞こえる」と打ち明けてくれる方に出会うことがあります。統合失調症のある方の8割近くが、この幻聴を経験するといわれています。まわりは戸惑い、時に「気のせいだよ」と言ってしまう。でも当事者にとって、その声は本当に聞こえている。声そのもののつらさに加えて、「わかってもらえない」という二重の苦しさが重なります。ここに、とても深い孤立が生まれます。
■ どんな研究なのか
2025年10月、オーストラリアのニューサウスウェールズ大学のトーマス・ウィットフォードらの研究チームが、専門誌「Schizophrenia Bulletin」に一本の論文を発表しました。訳すと「内的発話に対する随伴発射の機能不全と、統合失調症スペクトラム障害における幻聴との関係」。少し難しいので、順番に説明します。
まず、この論文が信頼できるものかどうか。心配される方もいると思うので、正直にお伝えします。掲載誌のSchizophrenia Bulletinは、オックスフォード大学出版局が発行する査読付きの学術誌です。米国のメリーランド精神医学研究センターや統合失調症国際研究学会と連携する、統合失調症研究では世界的に権威ある専門誌のひとつ。専門家どうしの厳しい審査(査読)を通ったうえで公開されています。個人のブログや宣伝記事ではありません。ここは押さえておきたいところです。
研究チームは、3つのグループに協力してもらいました。直近1週間に幻聴があった統合失調症の方が55人、統合失調症だけれど最近は幻聴のない方が44人、統合失調症ではない方が43人。合わせて140人以上です。全員が脳波計(EEG)をつけ、脳の反応を細かく測りました。
■ 実験と、驚きの結果
やってもらったことは、とてもシンプルです。「バー」や「ビー」といった音を、口を動かさずに、頭の中だけで発音する。この、声に出さない心の中の声を「内的発話」と呼びます。その直後に、ヘッドホンから同じ音、または違う音が流れます。
健康な人の脳では、頭の中で思い浮かべた音と実際に聞こえた音が一致したとき、聴覚をつかさどる脳の反応が、むしろ小さく抑えられました。脳が「これは自分が生み出す音だ」と先回りして予測し、反応を静めているのです。
ところが、幻聴のある方たちは正反対でした。同じ条件で、脳の反応がむしろ強まったのです。自分の内なる声のはずなのに、脳が「外から来た音」として過剰に受け取ってしまう。この逆転が、今回いちばん注目された発見です。
■ 自分と、外の世界を見分けるしくみ
鍵になるのは「随伴発射(ずいはんはっしゃ)」と呼ばれる、脳の自己モニタリングのしくみです。私たちの脳は、体に指令を出すとき、その「コピー」を感覚の領域にもそっと送っています。「これから自分はこういう感覚を生み出すよ」という、いわば予告です。
たとえば、自分で自分をくすぐってもくすぐったくないですよね。自分の声に驚いたりもしない。それは、この予告のおかげで、脳が「自分が生んだもの」と「外から来たもの」を見分けているからです。今回の研究は、その見分けるしくみが心の中の声にも働いていること、そして幻聴のある人ではその予告がうまく働かず、逆転してしまっていることを、脳波というかたちで示しました。
つまり、こういうことです。幻聴は、気のせいでも、意志が弱いからでも、心がけの問題でもない。自分の内なる声を、脳が外の声と取り違えてしまう。そういうしくみの不具合として説明できる。だからもし、今この瞬間も声に苦しんでいる方がいたら、伝えたいのです。あなたの脳が、あなたを裏切っているのではありません。自分の声と外の声を見分ける繊細なしくみが、今はただ、うまく働いていないだけなのだと。研究者たちは将来、この脳の反応が、精神病の発症を早い段階で見つける手がかり(生物学的マーカー)になるかもしれないと考えています。
■ そよぎとして、この研究をどう受け止めるか
私がこの論文を読んで、まず思ったのは「なるほど、やはり間違いではなかった」ということでした。
そよぎのデジタルシェルター(個室相談ではない方)には、いくつかの約束事があります。「アドバイスをしないこと」「評価も同情も判断もしないこと」など。声が聞こえると打ち明けられても、私たちは「気のせいだよ」とも「治しなさい」とも言いません。もともと、誰かの話を否定的に聞くことなど、私たちにはありません。ただ、その人の隣に座って、聞く。長くそうしてきたやり方が、科学の側からもそっと支えられていた。この研究は、それを静かに教えてくれた気がします。
もちろん、脳のしくみがわかったからといって、明日すぐに特効薬ができるわけではありません。今回の研究も、脳の反応の関連を示した段階で、これから検証を重ねていくものです。そこは冷静に見ておく必要があります。それでも、「本人のせいではない」と科学の言葉で言えるようになることには、大きな意味があります。理解されないことほど、人を孤立させるものはないからです。
福祉とテクノロジー、そして科学は、対立するものではありません。誰かの苦しみを「わがまま」や「気のせい」で終わらせず、きちんと理解しようとする。その橋渡しのために、私はこの仕事を続けています。
もし今、あなたやあなたの大切な人に、聞こえるはずのない声が聞こえていたとしても。それは、あなたが弱いからではありません。その声のことを、責められる心配のない場所で、そっと話してみても、いいのです。どうか、ひとりで抱え込まないでください。
※参考にした論文
Whitford, T. ほか(2025年)Schizophrenia Bulletin
https://academic.oup.com/schizophreniabulletin/advance-article/doi/10.1093/schbul/sbaf167/8293244
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