セルフケア♯1071【休まない人は怠惰である】(佐藤優さんより)
🍃はじめに
私は、
作家・佐藤優さんの著書や記事をよく手に取ります。
複雑な世界情勢や哲学的な思想を、
非常にわかりやすい表現で説いてくれる彼の言葉には、
いつも新しい気づきがあるからです。
先日、
佐藤さんが書籍『残された時間の使い方』の中で語っていた
「休まない人は怠惰である」という言葉が、
私の心に深く刺さりました。
今回は、
この言葉をきっかけに考えた「休養」と「教養」の真意、
そして
私自身の働き方の変化について
綴ってみたいと思います。
🍃「休まない」という逃げ
私自身、振り返ってみると
「休むこと」に罪悪感を抱きがちなタイプでした。
やらされ仕事のときは一向にやる気が出ず、
隙あらば休もうとするのですが、
自分で思いついた仕事やプロジェクトになると、
まるでワーカーホリックのように
没頭してしまいます。
「休んでいる時間があるなら、
少しでも成果に近づかなければならない」
「仕事を止めてしまうと、目標が遠のいてしまう」
そんな強迫観念に似た思いから、
休日もパソコンを開き、
常に何かを動かしていないと落ち着かない日々を
過ごしてきました。
時折、
「果たしてこの作業に意味があるのだろうか」
と疑問がよぎることもありましたが、
「信じる者は救われる」と自分に言い聞かせ、
立ち止まることを避けてきたのです。
しかし、
佐藤さんの記事を読み、
私はある盲点に気づかされました。
それは、
「ただ忙しく働き続けることは、一種の逃げであり、怠惰である」
という指摘です。
🍃2つの「養」:休養と教養
佐藤さんは、
人生の成果を最大化するカギとして
「休養」と「教養」という2つの「養」を挙げています。
私たちは往々にして、
調子が良いときほど「作業」そのものが目的化してしまい、
本来の目的から逸れてしまうことがあります。
また、
うまくいかないときほど、
力技で解決しようと
さらに自分を追い込んでしまいます。
かつて私は、
「早く成果が出たものや、早く身についたものは、
すぐに役に立たなくなる」
という言葉を聞いたことがありました。
それにもかかわらず、
成果が出ない焦りから、
ただ闇雲に作業を続けることで
「頑張っている自分」を正当化し、
安心を得ようとしていたのです。
しかし、
真に価値のある「教養」とは、
身につけるまでに時間がかかる分、
一生使い続けられるものです。
そして、
その教養を深め、
人生の目的を見失わないようにするためには、
適切な「休養」が不可欠なのです。
🍃休養こそがパフォーマンスを向上させる
かつての私にとって、
休養とは単なる「時間の消費」でした。
会社員時代や事業を始めたばかりの頃は、
自分の時間を誰かに切り売りしている感覚が強く、
休日の使い方も、
リフレッシュと称して
体力や集中力をさらに消耗させるような過ごし方ばかりでした。
しかし、
本来の休養とは、
パフォーマンスを向上させるための「投資」であるべきです。
ドイツの哲学者ヨゼフ・ピーパーは、
時間に切れ目がないと人は「見直し」をしなくなる
と、説きました。
天地創造の神が7日目に休んだように、
区切りがあるからこそ、
私たちは自分の仕事を振り返り、
意味づけし、
価値を見出すことができます。
「何のために生きているのか?」
「単に成果が欲しいだけなのか?」
そんな本質的な問いに向き合うためには、
日常の雑多な作業から離れた
「内面的な時間」が必要です。
成果の先にある
「何者かとしての自分」を見つけるための「教養」。
そして、
その教養を育むための土壌としての「休養」。
この2つは
セットで考えなければならないものだったのです。
🍃日曜日を「空白」にする決意
佐藤さんの言葉に触れ、
私は現時点での自分のあり方を考え直しました。
いつかまた考えが変わる日は来るかもしれませんが、
今は「休まない怠惰」から
脱却したいと考えています。
その第一歩として、
私は週に一度、
日曜日の予定項目をバッサリと消去してみました。
あえて何もしない、
何も計画しない「空白の時間」を作る。
それは、
動物のように生存のために時間を費やすのではなく、
人間として
本質的な「観想」の時間を取り戻すための
挑戦です。
休むことは、怠けることではありません。
より良く生き、
より質の高い成果を出すための、
最も主体的な決断なのです。
🔗引用記事
休まない人は怠惰である
佐藤優が説く、人生の成果を最大化する2つの「養」
(佐藤優氏は、書籍『残された時間の使い方』にて、
余暇は休息以上の意味を持つ「重要な時間」だと説く)
「休むのは時間がもったいない」「仕事をしていないと落ち着かない」ーー休むことに対して罪悪感を抱いたり、「怠けている」とネガティブなイメージを持つ人も少なくないのではないだろうか。しかし、古代ギリシャや神学の思想をひも解けば、余暇こそが真理に近づき、人間にとって本質的で重要な時間なのだという。
なぜ、一流の仕事ほど「区切り」が必要なのか。知の巨人・佐藤優氏が、人生を豊かにする「休養」の価値を解き明かす。
振り返りがあってこそ、働いた時間に意味づけできる
本稿では、人生の残りの時間を有意義に使うためのポイントをお話ししていきましょう。結論から言うと、「休養」と「教養」の2つの「養」がカギを握るという話になります。
とはいえ、いきなり2つの「養」と言われてもピンとこないかもしれません。時間を有効に使うといいながら「休養」していては本末転倒ではないか。さらに、「教養」を身につけるには時間がかかるし、それが果たして有意義な時間の使い方と言えるのか...。
この忙しい時代に、どちらもかえって時間をムダにするだけだ。そう考える人も多いのではないでしょうか。
とくに「休養」については、休みをたくさん取るのは怠惰だと考える人が少なからずいます。何もしないで休んでいると落ち着かない、いわゆるワーカーホリックのような人もいるでしょう。
実を言うと、私自身その兆候があります。休みは重要だと考えますが、実際はほとんど休んだことがありません。 ただ、私の仕事は日々刻々と変化する世界情勢に対応しなければならず、物書きとして1日でも筆を取らないと、明らかに次の日にはその感覚が鈍ってしまうという特殊な事情があります。
いずれにしても、私は「休養」と「教養」の2つが、時間をうまく活用し、成果を上げる上でポイントになると考えます。
では、「休養」の意味と大切さから説明していきましょう。
ユダヤ教とキリスト教の経典である旧約聖書(あくまでもキリスト教からの呼称であり、ユダヤ教自体は「聖書」と称する)の「創成記」では、神が7日間でこの世界を作ったと記されています。
正確に言うと、初日に光を生み出して昼夜を分け、2日目に天を創り、3日目に地上と海を創り、植物を茂らせた。 4日目に太陽と月とその他の天体を創り、5日目に海や空の生物である魚や鳥を創り、6日目に地上の生物である動物や人間を創造したとされます。 そして最後の7日目に自分の仕事に満足し、休息したと記されています。
このことから7日目を「安息日」として、ユダヤ教では土曜日、キリスト教では日曜日は働いてはいけない日ということになっています。
この最後の休息こそが、大きな意味を持っているのです。
ちなみに旧約聖書を読むと、神は1日ごとに自分の仕事の成果に対して、「良しと言われた」とされています。
1日ごとに自分の仕事を振り返り、満足しているわけです。
その上で、最後の7日目にはしっかりと休んでいます。聖書にはとくに書かれていませんが、おそらく神は休むことで自らの仕事全体を振り返り、天地創造という仕事に大きな満足を感じ、納得したに違いありません。
振り返りの時間があってこそ、初めて働いた時間を意味づけし、価値づけすることができるといえるのではないでしょうか。
休みとは、単に体を休めたり、レジャーを楽しむためのものではありません。 1週間の仕事を振り返り、納得し、満足するためにある時間だということです。
働くことが「逃げ」になっていないか
ドイツの哲学者、カトリック思想家のヨゼフ・ピーパーという人が、第二次大戦直後、『余暇と祝祭』という本を書いています。戦後復興で休みなく働くドイツの人たちに向けて、休むことの意義と重要性を説きました。
休むことによってリフレッシュができ、新たにエネルギーを蓄えるという意味もありますが、ピーパー曰く、要するに時間に切れ目がないと見直しをしなくなるというのです。 天地創造で、神が7日目に休んだ話と同じです。
区切りがあるからこそ、私たちは様々なことを振り返り、整理することができます。反省点や改善点が浮かび上がり、新たな課題が見えてくる。それが次の仕事のヒントやエネルギーになるのです。
今でも私たちは1年の終わりの大みそかに、1年を振り返り、年が明けると初詣や書初めなどをして新年への新たな心構えや目標などを意識します。それによって新たなスタートの力の源にするのです。
ピーパーが言うのは、無目的に仕事に没入してしまうことの弊害です 。問題意識もなく、目標や課題もなく、ただ与えられた仕事をこなすことで終わってしまう。ピーパーに言わせると、そういう人こそある意味「怠惰」なのだと指摘します。
本来は自分自身の人生の目的を明確にし、自分にとっての仕事の意義を明らかにすべきでしょう。
ところがそれをしないまま、ただ仕事を続けている。つまり、働くことが一種の逃げとなっており、その意味で怠惰であるというわけです。
ピーパーは同書の中で、観想(contemplatio:コンテンプラチオ)の大切さを説いています。
観想とは、日常の雑多な事柄から離れ、あるがままにこの世界を眺め、創造主の存在や創造されたものの美しさや価値を知り、それらを味わうことです。
もともとは古代ギリシャの哲学者アリストテレスが提唱した概念で、人間の幸福は知性と理性を働かせて物事の本質をつかむこと=観想であり、それが他の動物とは違う人間だけが持つ力だと言います。
アリストテレスはそれによって真理に近づくことが、「最高善」であるとしました。
そのためには、日常の雑然とした時間とは異なった、一定の特別な「時間」が必要になるわけです。 最高善を感じる時間は、ひたすら内面的な時間です。 目の前の仕事に追われ、日々の生活に追い立てられる日常の時間では、それを自覚することはできません 。自分の好きなことや熱中していることを計画的に実行する時間や、目的や目標を達成するための準備や研鑽を積む時間、自主的で主体的な時間こそ「究極の自分時間」ではないでしょうか。
このような内面的な時間を持たず、ただひたすら目の前の仕事に追われる生き方というのは、アリストテレスやピーパーから見たら、本来の人間の生き方ではないということです。
生存のためにただ時間を費やすのであれば、それは動物と変わらないということなのです。
近代以降、とくに資本主義の世の中は、働くことが善であり、必要不可欠なものだと考えます。
余暇はあくまでもその字のごとく、余った時間とか暇な時間であり、副次的なものにすぎません。
しかし、はるか昔の古代ギリシャ、および中世の神学の世界においては、余暇こそが真理に近づく時間であり、人間にとって本質的で重要な時間なのです。
このように考えると、私たちが普段何気なく使っている「余暇」という言葉が、全く違った価値を持つものとして認識できるのではないでしょうか。
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