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かすり傷でも、痛いと言える場所はありますか?

「死ぬこと以外はかすり傷」
この言葉を、否定はしない。
この言葉で背中を押された人もいる。時代も少し変えた、いっ時の流行り言葉。

ただ私は、

順番が逆だと思っている。


かすり傷を負えるのは、

生きている人間だけだ。

かすり傷は痛い。
痛いのは、まだ生きている証拠だ。


だとしたら、かすり傷は
死の後に置く軽いものじゃない。

生きているから、痛い。

生きているから、何度も痛い。

かすり傷は、軽くはない。


「そんなの、かすり傷だよ」
そう言える人は、決まっている。
傷を負った側ではない。
負わせた側か、見ていた側だ。


痛いと感じる人は、自分の傷を「手当が必要な傷」とは呼ばない。

呼べないようにされている。

外から見える面積と、中で進む深さは、比例しないから。

だからかすり傷は、

傷の話のようで、

傷の話をしていない。


では何の話なのか?
これは距離の話じゃないだろうか。

「私はあなたほど痛くない」

言う側の、
立っている場所の告白だろう。

世にきく正論も、

よく似ている。


荒波を立てるな。
気にしすぎだ。
みんな大変なんだから。

どれも間違えではない。
間違っていないから、反論できない。
反論できないから、

言われた側は黙る。


黙ること。


それを軽く見ない方がいい。

人が黙るとき、

納得して黙るとは限らない。


言葉を奪われて黙ることがある。


正しさの主張で塞がれ、

息ができなくなって

黙ることがある。


黙らせることは、


ときに息を止める。


かすり傷だと言われた傷は、
手当てされない。

「これくらい平気」と本人にまで言わせて、放置するようにさせる。

手当てされないかすり傷は、更に重なり深い傷となる。

重なった先で何が起きるかを、
軽く言った人は見ていない。

見ていないから、軽く言えた。


かすり傷が、

命を奪うことがある。


生きていることは、
当たり前ではない。

死を目前とする傷は、
かすり傷とは呼ばない。

今も涙を流す人がいる。

これは、比喩ではない。



生きにくい?
なら、この投稿を参考に
するか、しないか、
選んでいい。
生き抜くために。


痛い時は痛いと言っていい。

言葉は他者を傷つけるために、
得たものではない。

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