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片目で立体を観る少年との闘病成長冒険記。母は知っている…。

「失礼だ。食べろ。」

視覚、嗅覚からも全てを受け付けない私に怒鳴る男の声。

義母は少しでも精が出るようにと、愛情たくさんの料理を常に振る舞った。

常に匂ってくる、
常に食べ物を連想させる食器の音、
強制的に座らせられるリビング。

テーブルいっぱいの食事を前に、
バケツに嘔吐する。

そんな妊娠は、怒鳴られるのだ。

神棚で念仏を唱える義父と、お腹の子だけは何も言わなかった。

不思議と仕事に着くと、なんとかやり過ごせる身体。行くまではバケツを必要としたが、小児病院で働く私は病気や怪我と闘う子どもたちと過ごすことができていた。
お腹の子どもと一緒に子どもを看る、少し心強く、母親目線という新たな気持ちで向き合うことができた。

しかし重症妊娠悪阻、

いわゆるツワリの酷い状態で

仕事もしていた身体には

限界があった。

何やらお腹と腰が痛い違和感は、
一瞬で違和感ではなくなる。
右脚が動かない、
熱が下がらない…
すぐに一番近いクリニックで検査をすると採血結果を見た医師は緊迫した表情をした。

「白血病の可能性があるから、すぐに入院しないとだめだ。」
白血病…
小児科の血液腫瘍内科で勤務していた私は『白血病』という単語だけが鳴り響いた。吐き気すら忘れてしまう空虚な時間が流れていた。

すぐに病院に連絡をとって、入院枠を確保した医師の声掛けにやっと目覚める。

「このまま、入院できるから。誰か付き添いの人は?」

自分で運転して、お腹の子と二人で来たクリニック。
付き添いと言われても、
お腹の子が付き添っている。
期待はせずに男に連絡する。
「どうせ、なんともないだろ。そんなことで仕事抜けられない。」

そんなこと…ですか。

こんな個人的な事情をクリニックで話す必要もないと、行けますと応えて病院へ向かった。
病院に着くなりあらゆる検査に回される。

血液内科

腎臓内科

消化器内科

消化器外科

産婦人科

NICU(未熟児)科

医師がざっと見ても十人は私とお腹の子を取り囲む。一人ずつ診察して、会議が繰り広げられる。

産婦人科「妊娠五ヶ月、切迫でお産になる可能性が….」

NICU科「リスクがあるため保育器の空きを…」

血液内科「血液芽球(未熟な血液)が目立ちます。ただ炎症による血球の破壊かも…」

腎臓内科「腎臓に炎症があります。点滴で…」

消化器外科「妊婦に合併しやすい盲腸の可能性も。手術はベビーにもリスクが…」

消化器内科「抗生剤投与が母子ともに…」

産婦人科「出産にならないよう、絶対安静で…」

NICU「一日でも長く妊娠継続を…」

私「………」
周りが混乱している時ほど、冷静になるものだ。

『まずい。

入院の可能性で最低限は持ってきた。

一番は、車で来てしまった。

駐車料金いくらになる。

白血病は?』

連日、医師の会議が絶対安静の私の元で行われる。

友人からメールが届く。
『妊娠中に大変だった人は、
出産が楽なんだってよ。』


心も切迫していた私には、ホッとする内容だった。確信もなく、崩れ去るのに。

点滴で楽になっていく身体、
不思議と食べていないのに
太っていく身体、
大きくなっていくお腹。

いざ出産となっても生存率が高くなった統計まで満たして、通院に切り替わることになった。

『おっと、お腹はこんなにも重くなっていたのか。体力が落ちたのか。さぁ、大きくなった子よ、帰りましょう。』

お腹に手を当てて、

車のハンドルをギュッと握り

帰宅した。

が、具合が悪い…食欲も出ない。
男は嫌な顔をして言う。
「おふくろが折角作ってくれてるのに、失礼だ。大袈裟だ。」

聞く耳を持つだけで吐いてしまいそうだ。目も耳も鼻も口も押さえ込んだ。

そんな中、くしゃみと共に足元に生暖かい感覚を感じる。

『破水してしまったかもしれない』

一応、男を起こして産婦人科へ行く。

結果は尿漏れ。

私は安心したが、
「また大袈裟だった」
男は不機嫌。

出産予定日の二ヶ月前、なんとか乗り越えたとお腹をさすり声をかける。

便秘かな、お腹が痛いけど今日は定期受診日。いつも通り、点滴をして帰るつもりで産婦人科へ行くも陣痛がきていると告知され、入院。

『またやってしまった、

車だよ』

メールで男と友人に陣痛らしいと報告。友人からの返信。
『妊娠中、大変だったから楽だよ』
そうだった。
難なく乗り越えられそうな気がした。

現実は、
そんなに甘くなかった。

お腹に巻かれた陣痛の波形と、まだ見ぬ子どもの心拍数が部屋に響く。
その音と重ね合わせるように、
痛みに耐える唸り声と
男のゲームの音。

一分おきの痛みが半日も経過すると弱音を吐きたくなる。
「もう、切って欲しい。」
ゲームに夢中になっている男は、画面から目を離さず応える。
「大袈裟だな」
言う相手を間違えた、なんでこの人はここにいるのだろう…

私は下手に医療知識があるものだから、子どもの心拍数の異変が気になった。

陣痛の波とともに音が弱まる。

定期的に様子を見にくる看護師に伝えるも、大丈夫との返答。
大丈夫と言われると、それ以上答えようもない。


朦朧とする意識と陣痛で目を覚すを繰り返していた私に、
一人の医師が診察に来る。

「長いですね、少し広げましょう」

『何を言っているのだ』

もはや意識を保つ事に精一杯な私は…言葉も出ない。
ベビーの出口を強制的に広げる。

これはかなり痛い。

私を抑える人がいるべきであったと、今でも思う。

あまりの痛さに悪意もなく、
医師を蹴り飛ばしてしまった。

この医師は二度と顔を出さなかった。

分娩台へ移動するなり、不穏な空気を感じた。

酸素マスクを装着され
点滴の追加
コソコソと
あーでもない
こーでもない
会話が聴こえてくる。

覚えていて損はない。

人は声を出せない程に

苦痛を感じている際、

周りの音や声が

鮮明に聴こえる。

特に出産の時の声は

呪いのように

記憶から消されない。

言動に注意を。


「ベビーの心音が変だ」

そう、言っているよ何度も何度も。
「赤ちゃん苦しいから、お腹切って出してあげる準備するね」
あっという間に、その場が手術室に代わり帝王切開に切り替わる。

同時に
ベビーの心音が平坦になった。

空気は一変。

「何してる、間に合わない!切っている時間ない、取り出せ。」

おそらく一瞬の出来事…
しかしおよそ八ヶ月間、
共に過ごした子と別れを告げないといけない覚悟も感じた。

ギュコギュコギュコ、

バキバキ、

『ヌァ〜!』

…はいここは、グロい。

両手を突っ込まれ、三人がかりのカブ取りならぬ赤ちゃん抜き。

軽く、二人の助産師を蹴り飛ばした。

私の恥骨は呆気なく折れ、
出てきた赤ちゃんは臍の緒が二重に巻かれ泣き声を出さない紫色

赤いから赤ちゃんの概念は消えた。

紫ちゃんは叩かれ刺激を受ける、機械で蘇生を繰り返した。

「へ、へ、へや〜」

泣いた?
泣き声にしてはか細いが泣いた。

初めて息子が、

空気を得た瞬間だった。

私の脇元にそっと置かれる息子。
「顔パンパンじゃん、傷だらけだし、頑張ってきたね〜」
感動する余韻などなく、骨折した私の処置が容赦なく激痛として襲う。

限界を超えて意識は飛んだ。

目を覚すと、ゲームの音が響く。
「よく、こんな状況で寝られるな。」
いや、寝ていたのではない、
意識が飛んでいたのだ。
そんなことより、私と闘ってきてくれた息子はどうした?
下半身をグルグルに固定され、点滴と酸素で身動きが制限された身体。
ナースコールを押し『息子に会いたい』と伝えた。
母子同室の予定だったが、例外で私は安静を余儀無くされた。

連れてこられた息子。

「息子よ、赤くなったじゃないか。顔はパンパン、よくここまで頑張ってくれた」

杖をついて息子と退院。
だいぶ顔のパンパンが引いてきて、時折目を開けるようになるが片目はしばらく開かなかった。

携帯が光る。友人からのメール。
『出産が大変だった人は、子育てが楽なんだって』
ずっと見ていても飽きない息子を前にその言葉を信じた。

『目に入れても痛くない』
この言葉の本当の意味がわかった気がした。
痛いに決まっているから、
目に入れることはしなかったが、
見つめ続けることはした。


片目が少し方向が違う。
ここまでの道のりに比べたら斜視の手術は日帰りでできる。斜視の治療を知っているからこそ見過ごした。

妊娠、出産、楽ではなかった。

そして始まった育児…

楽ではなかった。

どんな対策をしても吐き戻して、
下痢をする。
噴水のように吐き戻し、
わたしは常に息子の吐物で濡れていた。常に溢れる下痢は、
お尻の皮を無くしていく。

それでもお腹は減る、痛くて泣く。
多くの医師に相談しても、オムツかぶれの塗り薬を貰うしかない。

「赤ちゃんは吐くし泣くものだよ、心配しすぎだよお母さん。」

そんな言葉は聞き飽きるほど聞いた、
ダメな母親ラベルを顔面に貼り付けられて、それ以上話すなと言われているかのように私を黙らせる。

過ぎていく時間とは無情で、
悪い直感は当たらないでほしい気持ちを置いていく。

言葉が出ない、
歩かない、
目が合わない。

弱音を吐く場を失っていた母親に、風邪を引いた二歳を前にした息子を診て一人の医師が声をかける。

「検査した方が良いから、

子ども専門の病院に行こう」

悪い予告なのに、その言葉を発した医師のメガネに差す光はまるで御幸のように光る。

やっと救われたと感じた。

そこから闘病は何年も続く。
息子は赤ちゃんの時期から小学校までは、病院で過ごすことが多かった。

命に直結する病ではないが、生活に支障をきたす病が
何個も
何個も積み重なれていた。

耳が聞こえていない。
視力がない、見えていない。
乳糖不耐症。
重度のアレルギー。
喉の奇形。

病院で一段ずつ解いていくと、わかる人にしか分からない言葉が出始める。
何年もかけてお腹を直し、
聞こえない耳をできるだけ聞こえるようにし、見えない視界を片方維持した。

ここで分かったこと

『片方の目は治す方法がない、いずれもう片方も見えなくなる可能性がある』

ということだ。

混乱するが、冷静に家族へ報告する。
「大丈夫、治るから。」と根拠のない義母の声援。

「おふくろが大丈夫って言ってるから大丈夫だろ」と片手にゲームを持った男。

「にゃむにゃむにゃむ〜」神棚に念仏を唱えて神頼みする義父。


私以外、皆が泣いていた。
元々冷静を保っていたが、ただ泣いている親族を前にして冷酷になるものだ。

『もう、期待するのはやめよう。』

決別という名の、
私と少年の
闘病成長の冒険
が始まった。
私は少年の絶望で泣くことはしない、
感動で泣くことだけを赦すことにした。

本当に泣きたいのは、

少年なのだから。

正直、もうこの時点では家族という形は崩れていた。
根本的に形成さえされていなかった。

もしかしたら、変わってくれるかも…
協力的になってくれるかも…

期待する期間は、髪の毛の逆立ちを抑え込むような時間だった。

母になったこと、
自分の勤務先で息子の闘病をさせてもらい安堵したこと、
仕事をしながら息子の闘病に付き添えること。

少し強くなったと思う。

ゲーム課金料も払わなくて済む、
勝手に購入してくる車の支払いをしなくて済む。

離婚することで楽になった。

ここからは、

私と息子の闘いの冒険。

喉を治すための手術は痛みに泣き、
空腹に泣き、
見事なまでに聴き取りにくい炭水化物の言葉を連ねて、
「食べたい」と泣き喚いた。

病院から仕事へ、
仕事から病院の生活も麻痺しているかのように慣れてきていた。
炭水化物を連ねる、
下手な言葉が嬉しくもあった。

息子は聴こえるようになっている、

声を出せるようになっている、

闘病の成果を感じた。


小学校に入る前を目標に、療育センターで言葉のリハビリを始める。

あ い う え お

口の動きと舌の動きを練習する。
本気に呑気にお題をつけるとしたら、

『初めまして日本語講座!』


宇宙人が日本語を話し始める。産まれてから自然と聴いて覚える筈の母国語が、他国の勉強のようにゼロから練習をするのだ。
週に五回の言葉の教室と、週に一回の通院。職場には通用しない言い訳になる私事。
「子どものいない人と、働いている条件は変わらない。」
と、上司に一喝される。
苛立ちよりも『確かに正論でもある』
と納得と共に闘志が湧いた私が、ライフバランスを重視した会社を設立したキッカケの言葉でもある。

息子には練習の自己評価ができないため、親子の自主訓練という宿題を渡される。宿題は完璧な教育でなくて良いと言われるような内容。

お皿を舐め回す。

舐め回せるように、軽くて大きい食器に食事を盛る。時にはアスイクリームを、時には生クリームを大袈裟にお皿に塗る。
彼は顔より大きいお皿を舐め回す。
正面から見たら、いつ『いないいないばあ!』と顔を出すのか、待っていたくなる光景だ。
一向に顔を出さない息子。
横から覗き込んでみる。

口だけでなく、おでこや鼻にもヌメっと食事がくっついて、見るに耐えられない光景だ。
『あ、この服、新品だった...』

それでいい。
言い聞かせるように心で呟く。

眼科の医師は電話をこまめにくれた。病状が進行していないか、体調が乱高下する幼少期の息子の病に気を遣ってくれていたのだろう。

唯一、治せない目。

ふと、片目の世界とは?

眼帯で片目を覆って数日過ごしてみる。物が取れない、
コップにお茶を注げない、
段差が分からず躓く。
階段は恐怖そのもの。

これはかなり

厳しい視界だと体感した。

息子が信号の車線を慎重に確認しながら歩いていた理由が分かる。
2Dの視界を生き、
3Dの世界を見ることができないのだと体感して分かった。

眼帯をしながら食器を洗う私は、2Dの疲れと今後の息子の事を考える。ため息混じりに、台所から眼帯をした私は息子の笑い声に目を向ける。

視界の先に見えた息子は、

ソファで豪快に

ジャンプをしている

ではないか。


なんという危険行動。
職業柄、転倒転落リスクや事故後の光景が私をヒヤッとさせる。
床を綿で敷き詰めないといけない、
角という角を保護しなければいけない衝動に駆られる。

慌てて眼帯をつけた私は駆けつけるが、2Dの世界初心者の私の方が椅子に突進して大転倒するのだ。

「大丈夫?」

心配して息子の元へ駆けつけた私は、息子に心配されるのだった。

ハンデという障害のラベルには、大きい小さいで物差しを当てることがある。
実際に命の現場にいるのだから、優先順位や重症度という物差しは持ち運んでいたはず。

冷酷かもしれないが、家族になるとその物差しは、仕事の道具だったのだと気がついてしまう。

ハンデというラベルは、

小学校入学前健診でも

指を刺されるのであった。

療育センターでの言葉の教室、通院、仕事、育児。『よくやってきたよ、私』と鼓舞しつつ、病状の進行に怯える。

隣の芝生は青い現象で、ハンデもなく過ごす家庭や友人と距離を取るようになった。いつしか、少年との闘病成長記録を特等席で見守る観客になっていた。

お皿を舐めまわし、顔のみならず服も家具もヌメヌメと練習の痕跡を残す少年。

ヌメヌメをゴシゴシと洗い流す私。

苦痛やストレスは感じない。
少年は言葉を覚え、発音も良くなってきた。産まれながらのハンデは、彼にとって当たり前の視界となり段差も覚え始めた。
2Dで大転倒した私は、少年の闘病成長記録が更新される度に幸せを感じた。

ハンデを口に出さなければ、ただのよく転ぶ子。聞こえにくい子。

ホッと一息もついて...いないうちに就学前健診が待ち受ける。
予め『視力がない、言葉の練習をしていたが書くことはできない』と伝える。
健診が終わり、すぐさま養護教諭、先生方々から声がかかる。
「息子さん、視力の検査ができません。見えていないようです!」

『…おぃ、聞いてたかな〜?』

心の中で囁く。
ひらがなとカタカナが書けない、数字が書けない、1+1が解けない。
「これから学ぶ場所ですよね?」
私は学校で学ぶために、最低限まで闘病と成長を乗り越えてきた。

「盲学校や支援学級を進めます、低学年のうちはなんとか過ごせると思いますが...高学年になると辛い思いをするのは彼です。」

言い切られた。

私の胸の奥がキューと締め付けられる。少年の努力と、私にはできなかった2D生活への適応能力を毎日チラっと、じっくりと、ヌメっと見てきた。

そこで違和感を感じたのだ。
幼少教育…休日が増え、学校は学びに行く場所ではなくなっていた。習い事をして、学校へ復習しに行き、交流を得る。
入学してから『あ、い、う、え、お』を覚えていく時代ではなくなっていた。

沈黙が流れる…

少年は新しく出会う言葉や音に、楽しみ始めている。
ハンデを持った少年が、通常学級で困るかもしれない。

盲学校支援学級で安心して過ごせるかもしれない。

究極の選択を私に委ねられる圧、
掌が汗で湿るのを感じる。


気持ちも思考も追いついていない中。圧に対して何か言わなければと、錆びついたロボットのように、ぎこちなく私は頭を下げていた。
精一杯の言葉は、少年並み。
「この障害でご迷惑を掛けてしまうかもしれない。それでも挑戦させてみたかった」

現場で、命が僅かだと宣告されても勉強をする子。
命が僅かだと宣告されても、生きてさえいてくれればいいと懇願する親御さん。

比べるのも失礼だが、気持ちがわかるような気がした。

私にはできない2Dジャンプ、階段の登り降り、これまで2Dの視界で3Dの世界を生きてきた少年に、通常学級と呼ばれる世界を体感してもらいたかった。

沈黙…頭を上げることも怖い…

沈黙を破ったのは、少年の明るい声。

「ここに毎日来るんだよね!」

この沈黙の暗さの中であまりにも眩しい声。そのキラキラした瞳が眩しすぎる。
眩しさは部屋の空気を一変させた。

「試してみましょうか。職員間で共有して通学をしてみましょう。」

少年以外の大人が深刻な顔をしていたのに、少年の一言で大人は皆笑っていた。

入院生活と言葉の教室で『すごいね、偉いね、頑張ってるね、かっこいい!』と言われ続けた少年は、まだ知らない。

ここからは闘病生活でなく、ハンデと共に通常学級と呼ばれる学校へ行くことのハードルの高さを。

少なくとも、少年はハンデを持っていることを理解している。
少年は『この学校に通いたい』とラベルを作成して貼り付けた。少年のラベルを見た大人は、勝手に剥がしてはいけないと判断して大切にしてくれた。

尊い。

某自宅で楽しく学べるタブレット教材を取り寄せて、毎日時間を決めて学び始める。毎日学習にタブレットは、ご褒美に実験をくれた。いつもなら喜ぶはずの実験をする背中が少し違う。

私は食器を洗う蛇口を絞り、聞き耳を立てた。
『両目を開けて左右の指をくっつけよう→次は片目を隠してやってみよう→そしたら反対の目を隠してやってみよう。』
結果は知っている。


少年は何度も繰り返した。少年は泣きついてくるか、怒り出すか。私は想像をしながら朗読の本を選んでいた。
少年は一時間ほど苦戦して、汗だくになって振り返る。

「これ、すっごく難しい実験だよ」

思わず笑った。
そうだ、すっごく難しい。
まずやってみようの両目の正解がないのだから、結果は同じ。反対の目でやってみようは、指どころか何も見えない。

こういうタイミングで、ハンデのことをゆっくり話す。
「あ、そうだよね。見えるようになったらまたやってみる。」
そうだね、見えるようになったら...
希望は捨ててない。けれど、この病気の研究はストップ状態。でも未来を夢見るのは自由だと背中を押される。

2Dしか知らない少年が想像する3Dの世界。むしろ少年の想像する3Dを観てみたいと思う。
パッと見、ハンデがある少年であるとはわからない。
2Dを生きる小学生少年は、挫折と回復を繰り返す。

更なる試練は、
しっかり待っている。

挫折と回復の反復は、どんな3D映像よりも立体的な感情の波打ちの日々。

眼鏡は意味があるのか不明瞭だが、斜視予防に眼鏡度数-10.0。あまりにも分厚いレンズは、柔らかな頬に窓ガラスの破片を置いているようなものだ。最大限に薄く加工し、縁の太いフレームを選ぶもレンズは隠れ切らない。
少年は二歳から眼鏡を装着している。

私は知っている。
眼鏡一本が十万円程する、壊れるのは一瞬である。特注のため、作成に一週間以上かかり、サイズも変わっていく。成長している証拠でもあるから綺麗に受け入れる。

しかし…

大半、眼鏡にトドメを刺すのは少年だ。
他人より言語が少ないためムシャクシャする。他者や他人の物に当たらずに自分の物=眼鏡を壊す。私は褒める事は出来ないが、怒る事なのかも悩む。

先生は謝罪の連絡をくださる。
『いや壊したのは少年だ、なぜ先生が謝るのか。謝罪させてしまったことに謝罪を返す。』
その側で自己破壊した少年は嘆く。
「お気に入りだったのに〜」

目鼻口から被害者のように

液体として悲しみを流す。

そんな少年は、友達と同じことに挑戦を始める。

野球→球が見えない。玉拾いも転ぶ。顔の穴という穴から挫折の液体を流す。

サッカー→エアーキックで尻餅。もう一歩前に出ていれば…時既に遅し、挫折が流れる。

バスケットボール→フワっとボールのキャッチに挑戦。前に出過ぎて手を伸ばしたまま、顔面キャッチ。眼鏡の落下と共に挫折を流す。

自転車→補助輪があれば進むが段差に弱い。全身傷だらけ。それでも、補助輪を無くしたいと練習を重ねる。気がつくと自転車は壁に飾られ、自転車に乗るお友達を自分の足で追いかけていた。

空手→容赦ない礼儀作法と、喝。挫折を流しても「大丈夫?」とは誰も聞かない。やるか、やらないか本人次第。親がいると甘えるからと退散させられる。『すぐに挫折を流すだろう』と慣れていた。迎えに行き、見えない場所から覗いてみる。
私は舐めていた。
少年は自ら眼鏡を外して全身で転がり、70年は離れている男性に突進していた。


天晴れ、「むしろごめん」と私が液体を流していた。3Dの感情の波打ちは、しっかりと経験と出会いで積まれていた。

「富士山を近くで見たい」

富士五号目にて少年はグズる。
「富士山はいつ着くの」
目的地や土俵とは、近すぎると気が付かないものだと教えてくれる少年。これからも3Dを夢見て駆け抜けるその背中に手を当て、時には押して見つめていよう。

言葉の練習からの延長で始めた習慣、

一日一冊の朗読。

本との出会いと別れを、図書館拠点にしてくり返す日々。難易度は言葉の成長に合わせていく。少年が読み飽きない為に、紙を捲ると共に読み手をバトンタッチする。
楽しくなったのは少年だけではなく、一緒に読み上げる私。
絵本の奥深さ、文庫の言葉の比喩、年代に向けたエッセイやメッセージは私の胸をざわつかせた。
子どもに向けた、ひらがなやカタカナ、ふりがなの丁寧な構成。
飽きさせない為にと、偉そうに言っていた私は、一冊一冊の丁寧な構成に感服した。
時には言葉から映像を創り出し泣きながら、時に笑いながら声を震わせて朗読の足を止めてしまう。
先を冒険したい少年は
「順番だよ。」
シラけるように細めた目が、私を急かす。


少年は

『子どもと大人の間』

自称『コドナ』へと

豪快に駆け抜ける。

諦めた自転車を乗りこなし、見えなかった野球ボールを感覚で打ち返す。ドヤ顔で「次の試合はピッチャーだから」と、背番号の縫い直しを祖母に頼む...え?

病状は進行しているのに、コドナは逞しくなっていく。そして壮大な物語を書きたくなった私に、コドナは読ませて欲しいと隣に座る。
あの頃の朗読を思い出し、ホワッと胸が温まる。私は自作の朗読を始めるが、肩に重みを感じる。

ほぼ寝ているではないか!

ドヤ顔で朗読していた私は、修正が必要だと自己反省して声をかける。
「もう、抱っこしてベッドに運べないよ。おねんねしたら?」

思春期とは憎めない程に、憎ったらしい。

コドナはニヤっとして目を閉じて応える。
「きいてるよ、あと15分でお母さん誕生日だから起きてるよ。」
何か込み上げてしまう、
君はまた急かすのか。

コドナの言葉は自然と、私の朗読を進めさせる。あと15分から30分経過していたが、寝ていてもいいと思った。

「お誕生日おめでとう。この作品、すごくいいよ。もっと観ていたい、観てもらいたい。」
起きていた、更に聴いていた。聴いていただけなのに『観ていたい』と言ったのだ。
私はこの物語を、読む人が自然と映像化してしまう...そんな言葉を探して構成していた。2Dの世界を生きるコドナの中で、確かに言葉が3Dを生み出した。

どんな誕生日プレゼントやお祝いの言葉より、真っ直ぐに贈り物をくれるコドナ。

富士山を早く見たいと泣いた少年に
「もう富士山の中だよ」
と声をかけたあの日。

「え、そうなの?」

とぼけた声を出した少年のように

「え、ありがとう。」

母親はとぼけた声を出す。

私は知っている。

野球ボールを、常にドヤ顔で握るコドナ。
球がどのような地盤で、どのくらいの速度で当たると、どんな角度で跳ね返ってくるのか。
大人の目を盗んで、体感として自分に叩き込んでいることを。
目を閉じているふりをして、ニヤッと横目で観ていよう。

コドナがオトナになる、

その間の時間と

その先をーー。

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