看護師は人間、天使ではない。
続けるために、境界線を未来につなぐ「手すり」にする
「看護師さんって白衣の天使だよね」
看護師をしていると、ときどき言われます。
私はこの言葉が、あまり好きではありません。
褒め言葉として言ってくれているのは分かる。
その褒め言葉のラベルの裏には、
別の期待が隠れていることがあるからです。
「天使なんだから、迷わないで」
「天使なんだから、何でもしてくれるでしょ」
「天使だから、怒らないよね」
現場では、業務の線引きが必ず必要になります。
ここまでは支援できる、
ここから先は自己決定で、
必要なときに声をかけてもらう。
ご病気の種類によっては、嗜好品が身体を痛めつけることがあるので指導という形でお声掛けをさせていただく。
監視はしない。
情報と選択肢を渡して、ご本人が選ぶ。
それが『医療と生活の境界線』であり、
尊厳を守るための線です。
ところが、線を引いた瞬間に言われることがある。
「天使じゃない、冷たい」
私はそのとき、むしろ冷静になります。
天使という言葉は、優しさの仮面をかぶった無限の要求に変わることがあるから。天使という名のラベルが貼られても、私たちは人間です。
人間だから感情があり、
迷うことも、心が揺れることもある。
でも人間だからこそ、
相手の暮らしの現実の中で、
何を守るべきかを一緒に考えることができる。
そして、管理者になると
これは『私の言い方』の問題ではなくなります。
スタッフ全員が燃え尽きず、
同じ線引きを同じ温度で共有できること。
連携させていただく医師や介護、
他の事業所とも「できる/できない」の基準がずれないこと。
誰か一人の優しさに依存すると、
現場はラベルのバランスが保てずに必ず壊れる。
だから私は、境界線を『個人技』ではなく『設計』にします。
説明のかたちを揃える。
記録のかたちを揃える。
困ったときに一人で抱え込まない同線をつくる。
感情を置ける場所を確保する。
ストレスは『気合』では減らないので、発生しにくい形に寄せていく。
届かない場所に貼られたラベルは、誰かが気が付いてあげられる形に見えるようにしていく。
私自身も、いつも冷静な側にいられたわけではありません。
息子の病気が発覚した時、
私は患者家族の立場になって動揺しました。
自分が入院したときは、
慣れていない震える手で関わる新人看護師さんを前に、
未来が続くようにと、できる範囲で言葉を渡したことがあります。
誰かを温め続けている手が、
いつか暖められる瞬間は、
現場にも必要です。
最近は、もう一つラベルが増えました。
談笑のなか、ふとした瞬間に貼られた新時代ラベルとも言えようか。
「AIが看護師の代わりになるから、
看護師さんいらなくなるね。」
私はこう返します。
「未来の医療がどう発展していくのか、
楽しみでもありますね。
それでも私が医療や介護を受けるときは、
人のぬくもりが残っていて欲しいと思います。」
『治療法がない』というラベルを
剥がせる発展を望む気持ちも、どれも本心。
便利になるほど、
・判断が早くなり
・説明が短くなり
・責任の所在が曖昧になりやすい
だからこそ、私が大切にしている仕事のコツは
ラベルを争わず、
境界線を合意として設計すること。
ラベルは、剥がす人もいれば、剥がさない人もいる。
どちらも自己決定でいい。
私はそれを争うためでなく、
現場を続けるための材料として再利用する。
手すりを補強し、未来へ渡る橋をつくるために。
相手の期待を叩き割らない。
けれど曖昧にせず、最初に共有する。
「私は人間なので、できること・できないことがあります。できる範囲で一番良い形を一緒に探します。」
この一言で、期待を共有に変える。
決定する人=主人公は相手である。
そして共有した線は、スタッフと同じ言葉に揃える。
更に事業所の中では、スタッフ同士の看護ケアを大事にする。
温める側が暖められる同線があるから線引きがつづき、
結果として患者さんの安全と尊厳も守れる。
境界線は、誰かを遠ざける線ではなく、関係を続けるための線。
AIが進んでも
便利さが増しても
現場から『人間の心の揺れ』は消えません。
だから私は今日も、境界線を冷たさではなく
安全と尊厳の手すりとして設計し続けます。
続けるために。未来につなぐために。
