ミクロとマクロはフラクタル
砂浜に打ち寄せた貝殻は、銀河の星屑のように見えるなぁ…ま、それはいいとして、フラクタル理論をまとめたマンデルブロはフランスの数学者だし、その昔、ギリシャのピタゴラスは、宇宙のすべては数学で表せるといった。こういうひとたちは、大脳前頭葉が発達していて、分析とか理論化が大の得意だから(数)式にできたんだろうね。算数で挫折したわたしとは正反対といいたくなるが、どうもそれだけではないらしい。考えたら答えが出る、というのはそれなりのことで、それこそ、世界で誰も思いつかなかったことを発見するレベルでは、何日もくる日もくる日もあらゆる角度から考え過ぎても答えが出ず、とうとう諦めて帰ろうとして汽車のタラップに足をかけた途端にひらめいた(岡潔先生のエピソード)、まさに瓢箪からコマみたいにポンと出てくるらしい。一方のわたしは、前頭葉はほとんど駆動しなくても、もっぱら〝ポン〟なのだが、その答えが何処からくるのかというと、考える(顕在意識)→潜在意識→阿頼耶識(アカシックレコード)の向こうの、いってみれば超意識みたいなところから。意識や次元はマトリョーシカのように中心から、小から大へ入れ子状に重なっていて、小から大は感知できないし、こちらからは頭では認識できない、理解を超えた無差別智の領域。
赤ん坊の小さな手も紅葉の葉っぱもリアス式海岸のギザギザも同じ様なデザインをしていて、それは、何か理解を超えた法則によって生み出されている。どうしてそうなるのか知らなくても、それらの画像を見ると脳は相関性をすぐに認識する。膨大な数の自然界のデザインを見分けてしまうが、その意味を知らない。
一方、からだの細胞や神経のはたらきを可視化すると、宇宙の(量子)物理法則とそっくりの挙動で制御されているらしい。マクロでもミクロでも共通ならそれが宇宙を統括したフラクタルな法則ということになる。ここ100年くらい、量子のふるまいが少しずつ明らかになり、地球上の科学もずいぶん進歩しているイメージはあるが、どうしてそうなるのかという根源的な問いには何ひとつ答えられない。ピタゴラスの時代からずっと問い続けても、いつまでたっても万能とはほど遠いから、この際、無駄なことはやめて素直に、そのふしぎをありがたがって楽しく暮らしていればどうかと思う。
わたしが、西洋人の考えが苦手なのは、時間と空間の概念は3次元の物質世界にしかなく、制限のない意識の領域で神(ハイアーセルフ)とわたしたちは一体なのだから=自分が自分の世界の創造主だというフレーズ。荘子の万物斉同(ばんぶつせいどう)の意味では近いとして、その先に、無為自然(この場合は、被造物の位置づけ)の謙虚さが感じられない点。だから、人工授精だの遺伝子組み換えだの気象制御などの発想になる。宇宙開発なんていったって、仮に真空に晒されれば、1分半で絶命してしまうくらい脆弱なからだしか装備していないのだから、万能性のバの字もない。ジェームズウェブ宇宙望遠鏡のおかげで、ビックバン理論が怪しいとバレたらしい。いつまで経ってもはじまりも終わりもない根源を知ることなどしょせんできない。
