「いただきます」の、その前に。 303号室の住人
とある街にある、三日月ハウス。
リビングの窓を開けたら……
おいしそうな会話が聞こえてきました🥢

第一話 新じゃが
リビングの窓を少し開ける。
風はまだ冷たい。
でも、
まな板の上は春だ。
「このじゃがいも、小さくてかわいいね」
「春のエースだからね」
「エースなのに、こんなに小さいんだ」
「小さいからおいしいんだよ」
新じゃがをボウルに入れ、
水を張る。
たわしで軽くこすると、
土が落ちていく。
皮はむかない。
新じゃがだから。
「皆さん、きれいになりましたね」
「誰が?」
「じゃがいもの皆さん」
「皆さんなんだ」
「そう、皆さん」
お鍋のお湯が沸いた。
せいろに新じゃがを並べ、
ふたをする。
しばらくすると、
竹のすき間から
白い湯気がのぼった。
「蒸されてるね、春のエース」
「見えない努力でおいしくしてるところ」
「エースも大変だね」
「ふふふっ」
火を止めて、
竹串を新じゃがに刺してみる。
「よし、いい感じ」
「誰が?」
「じゃがいもたち」
「じゃがいも、返事した?」
「うん、竹串で」
蒸し立ての新じゃがに、
包丁で十字に切れ目を入れる。
中から白い湯気が、
ふわっと立ちのぼった。
そこへすかさず、
バターをのせる。
みるみる溶けて、
黄色くツヤツヤになった。
「お醤油を一滴」
「なんで一滴なの?」
「四滴は血圧あがるから」
「なんで?」
「新じゃが、三個食べたいから」

第二話 麦茶
リビングの窓を少し開ける。
風はなく、
むっとした暑さだけが入り込んでくる。
「あれ、やかん? なにするの?」
「むぎ茶を作るの」
「確か……もうパックないよ」
「いらない」
ざらざらざら。
「え、そんなのあったんだ」
「夏だから」
やかんに水を張り、
買ってきたばかりの麦も入れて、
火にかける。
沸騰したら火を弱め、
キッチンタイマーを七分に合わせる。
「なんで七分?」
「八分以上置くと、麦が悩むから」
キッチンタイマーが鳴った。
やかんからは、
夏の香りが立っている。
「ピッチャー出して」
「どこの野球チーム?」
「ガラスのピッチャー」
「夏だもんね」
「冷蔵庫の中だけどね」
粗熱が取れたら、
麦を漉し、
冷蔵庫で冷やす。
「いやー、暑かったね、外」
「夏だからね」
「そろそろ冷えたかな」
冷蔵庫から
ピッチャーを取り出し、
ガラスのコップに
むぎ茶を注ぐ。
氷に当たって、
カランと涼しげな音が鳴った。
ひと口飲む。
「ぷはー」
「ぷはー」
「夏はむぎ茶だね」
「そうだね」
「もう一杯飲む?」
「飲む!」
空いた二つのコップに、
むぎ茶を注ぐ。
ごくごく飲む。
「ぷはー」
「うまい。もう一杯」
「また? 一体何杯飲むの?」
「夏のむぎ茶は数えない」

第三話 コーヒー
リビングの窓を少し開ける。
近くの小学校から
チャイムの音が聞こえる。
「あれ、ミル?」
「コーヒー豆から淹れる」
「おお、本格的だね」
「秋だから」
「秋、便利だね」
「季節はだいたい便利です」
コーヒー豆を量る。
二人分の二十グラム。
「へえ、きっちり量るんだ」
「雑にすると苦くなる」
昨日買った浅煎り豆をミルに入れる。
ふたをして、ハンドルを回す。
ごりごり。
ごりごり。
「音、案外大きいんだね」
「豆、真面目に働いている証拠」
「豆も働くの?」
「そう、秋は特に働く」
ごりごり。
ごりごり。
挽いた粉を
ペーパーフィルターに入れる。
お湯が沸いた。
でも、
少しだけ待つ。
「ん? コーヒー入れないの?」
「うん、熱すぎると、豆がびっくりする」
「さっきから豆に気を使いすぎじゃない?」
「おいしく飲みたいから」
粉の真ん中に、湯を少し注ぐ。
茶色い粉がふわっとふくらむ。
そのまま少し待ち、
もう一度、ゆっくり湯を注ぐ。
ぽたぽた。
ポットに落ちていく。
キッチンに、
コーヒーの香りが漂う。
カップを二つ出し、
コーヒーを注ぐ。
「どう? おいしい?」
「おいしい!豆、出世したね」
「砂糖いる?」
「いらない」
「大人だね」
「秋だから」
「秋、責任重いな」

第四話 おでん
リビングの窓を少し開ける。
部屋が暖かいから、
冷たい風が気持ちいい。
「今日は、なに作るの?」
「おでん」
大根を厚めに輪切り。
角の面取りをして、
十字の切れ目を入れる。
「大根の角、取るの?」
「取る」
「なんで?」
「煮崩れ防止。
大根って、
崩れると根に持つから」
こんにゃくは、
三角に切ってから
飾り包丁を入れる。
「それ、なにしてんの?」
「だしがよく入るように。
こんにゃく、
なかなか心を開かないタイプだから」
だしを張ったお鍋に、
大根とこんにゃくを入れる。
ゆで卵。
ちくわぶ。
結び昆布。
ちくわ。
さつま揚げ。
お鍋の中に、
少しずつ冬が増えていく。
ふたをして、
弱火にかける。
ぐつぐつさせない。
急がせない。
「もう食べられるんじゃない?」
「まだです。
食べられると、おいしいは違います」
しばらく煮込む。
そろそろかなと、
ふたを開ける。
白い湯気と一緒に、
だしのいい匂いが広がる。
大根を器に取り、
箸を入れる。
「どう?」
「うん、しみてる」
「こんにゃくは?」
「うん、心開いた」

第五話 たんじょうび
リビングの窓を少し開ける。
星空の代わりに、
スカイツリーの青い光が
くっきり浮かんでいる。
「よし、ケーキができた」
「ろうそく、何本立てる?」
「全部」
「全部?」
「いちごの隙間、空いてるでしょ」
「そこに全部?」
「そう」
「火をつけたら火災報知器、鳴るよ」
「鳴るか」
「うん、鳴る」
「じゃあやめよう」
「ろうそく何本だっけ」
「一本でいいんじゃない?」
いちごのショートケーキに、
ろうそくを立てる。
火をつける。
部屋の灯りを消す。
二人で、
いつもの歌を歌う。
「では、願いごとをどうぞ」
「え? 願いごと……」
少し考えてから、
ふっと吹き消す。
「おめでとう」
「ありがとう」
ケーキを切り分ける。
「どれにする?」
「チョコレートプレートのところ」
「やっぱり」
「なにが?」
「毎年、それ選ぶから」
「誕生日の人の特権だもん」
「いやいや、
私の誕生日のとき、
あなた、私のプレートも食べてたじゃん」

番外編 すてられないもの
リビングの窓を少し開ける。
風が入り、
キッチンの引き出しが
カタッと鳴った。
引き出しを開けると、
奥のほうに、
曲がったスプーンがあった。
「これ、まだ取ってあるの?」
「取ってある」
「曲がってるよ」
「知ってる」
冷蔵庫から
ジャムの瓶を取り出す。
瓶の丸みに沿わせて、
くるりとスプーンを回す。
ジャムが、
きれいに取れる。
「おお」
「便利でしょ」
「これ専用?」
「だいたい」
食パンに、
ジャムを塗る。
「捨てなくてよかったね」
「捨てないよ」
「ほかには何に使えるの?」
「人生の底に落ちた人」
「それ、スプーンですくえるの?」
「すくえるでしょ、たぶん……」

