楽しむこと→面白がること
「歳を取ると楽しいことが減るんだよ」…なんて話を聞くことがある。
「楽しい」というのは、快い感情(充実したり、喜んだり、興奮したりすること)を他者から享受している状態を指す。さらに、そういった行為を得ることによって感情的に満足できていることが「楽しい」の定義だろう。
パーティで「さあ、みんなで楽しもう!」ってのは、みんながお互いを楽しませることが前提の言葉だ。みんながそれぞれスマホをいじっているパーティなんて楽しめるものではないだろう。
音楽を聴くことも映画を観ることも、どちらかというと受動的な楽しみだ。コンテンツに満足できなければ「楽しかった」と言えないからな。
子どもの頃は、親や先生やそれに近いポジションの人たちが、子どもたちを楽しませようと労力(時間やお金)を使ってくれた。だから子どもたちは(そういう環境に生まれ落ちていればだが…)毎日楽しく暮らすことができる。
だけど、いい歳のジジイに誰かがそんなことをしてくれるはずもない。
ジジイを楽しませようと思ったら、子どもたちの何倍もの労力(時間とお金)を掛けなければならないし、それをしたところで将来的にリターンが来る可能性は低い。さらにジジイは偏屈だったりするので、変なところで地雷を踏んだりするリスクもある。
だから、歳を取ると面白いことが減るんだろう。
そうなると、ジジイは楽しむことをあきらめて、面白がるしかない。
「面白がる」とは、対象に対して能動的に関わり、興味や関心を持って、その物事の思わぬ側面(意外性)や変化などを積極的に見つけ出そうとする行為だ。そして、そこにフォーカスするために自分の労力(時間とお金)を使うことによって、快い感情を得るための主導権を自分自身で握ることができる。
さあ、もう楽しむことはあきらめて、面白がって行こうじゃないか。
