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【読書記録 -128】世界は経営でできている

トップマネジメントが事業とその現実の姿、そこに働く人、経営環境、顧客、技術を自らの目で見、知り、理解することができなくなり、報告、数字、データなど抽象的なものに依存するようになったとき、組織は複雑になりすぎ、マネジメントできなくなったと考えてよい。

ドラッカーの『マネジメント』の一節だ。

データには説得力がある。
だからこそ人はデータに頼る。
しかし、実際に現場を動かしているのは「人」であって、データはその補助に過ぎない。


その結論に、別の角度から辿り着いた本がある。
岩尾俊兵著 『世界は経営でできている』だ。

著者は本書を「令和冷笑体エッセイ」と自ら呼び、以下の問題意識から書いたと言っている。

①本当は誰もが人生を経営しているのにそれに気付く人は少ない
②誤った経営概念によって人生に不条理と不合理がもたらされ続けている
③誰もが本来の経営概念に立ち返らないと個人も社会も豊かになれない

著者は本書の中で、手段が目的化してはいけないと何度も説いている。

ルールが目的になって組織が壊れる。
節約が目的になって生活が貧しくなる。
恋人を愛するあまり縛りつけることが愛情表現になる…

企業だけの話じゃない。
家庭も、恋愛も、同じ構造だ。

経営の本質である「他者と自分を同時に幸せにする(豊かな共同体を創り上げる)」という目的を見失わないようにするためには、手段の本質・意義・有効性を問い直さなければならないのだ。


著者は別のページで「上手く経営を進めるには『本当に取り組んでいる時間』と『取り組むための準備の時間』が必要だ」と説いている。

データを整理することに満足する。
準備することに満足する…

冒頭のドラッカーの一節を思い返してほしい。
準備すること自体が目的になった瞬間、「そこに働く人、経営環境、顧客、技術を自らの目で見、知り、理解すること」ができなくなってしまうのだ。

要は「三方よし」を目指すべきなんだろう。

270年前に日本でも語られていたことも同じだ。
江戸時代の近江商人が信条にしていた「三方よし」— 売り手よし、買い手よし、世間よし— も、(自分の利益だけでなく)取引先や地域社会のことを忘れてはいけないという戒めだ。


さて、ボクがなんでドラッカーとか近江商人とかを引き合いに出したかというと、著者が「世界」を持ち出したからだ。

1970年代のアメリカでも1750年代の日本でも、経営の根っこは変わっていないんだろう。逆に言うと、人はさほど進歩していないということなのかもしれない。

参考リンク

・Amazon『世界は経営でできている』書籍紹介ページ

・慶應義塾研究者情報データベース(岩尾俊兵)

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