【読書記録 -157】多文化世界
文化は「違い」ではなく「構造」である
ボクは仕事柄、さまざまな会社を見る機会がある。
すると、同じ業界で同じような規模の会社であっても、微妙に考え方や行動特性に違いがあることに気づく。
新しいことへ積極的に挑戦する会社もあれば、前例を大切にする会社もある。もちろん、どちらが良い悪いという話ではない。しかし、その違いはどこから生まれるのだろう。
そんなことを考えながら、ボクは本書『多文化世界』を手に取った。

本書の著者 ヘールト・ホフステードは、IBMで世界50か国以上の社員を対象とした大規模調査を行い、「文化」を科学的に分析した社会心理学者である。本書は異文化を理解するためのガイドブックではない。国家の文化を構造として捉え、その違いを比較・分析するための理論書である。
そして、本書におけるホフステードの最大の功績は、文化を「国民性」といった曖昧な言葉で語るのではなく、比較可能な指標として整理したことだろう。
人間性・文化・パーソナリティ
ホフステードは人間を三つの層で説明している。
生まれながらに備わっているHuman Nature(人間性)
育った社会の中で学習によって身につけるCulture(文化)
遺伝と経験の両方によって形成されるPersonality(パーソナリティ)
つまり、人間は生まれつきの性質だけで決まるわけでも、文化だけで決まるわけでもなく、その両方が影響しながら一人ひとりの人格が形づくられていくという考え方だ。
本書ではさらに、人格を説明する理論としてOCEAN(ビッグファイブ)との関係にも触れられている。例えば、外向性(Extraversion)は個人主義(IDV)と相関し、神経症傾向(Neuroticism)は不確実性回避(UAI)と相関するのだ。
つまり、文化と人格は無関係ではなく、統計的な関係性を持つのである。
文化は四つの層からできている
ホフステードは文化を「たまねぎ型モデル」で説明している。
最も内側には「価値観(Values)」があり、その外側に「儀礼(Rituals)」「ヒーロー(Heroes)」、そして最も外側に「シンボル(Symbols)」が配置される。ボクたちが普段目にしている言葉遣いや服装、旗やロゴなどは文化の表層に過ぎない。本当に文化を形づくっているのは、その奥にある価値観だと。
さて、ボクはこのモデルは企業文化にも置き換えられるのではないかと思っている。
例えば、企業の価値観とは、コンプライアンスやモラルだけではなく、その会社が何を「正しい」と考え、何を「美しい」と考えるかという判断基準…つまり美意識のようなものだろう。
その価値観を毎日維持する仕組みが、5Sや1on1、朝礼、レビューといった日々の習慣なのではないだろうか。ホフステードの言う「儀礼」を「企業が文化を維持するために行う反復行動」として理解すると、とてもしっくりくる。
また「ヒーロー」は、外部へ文化を伝える人物ではなく「社内で文化を体現する人物」と読み替える方が収まりがいい気がする。なぜなら、そうイメージすれば、「シンボル」が営業マンやカスタマーサービス、採用担当など「企業文化と顧客や社会をつなぐインターフェース」という役割分担で考えることができるからだ。
ボクが考えたこと
本書を読みながら、ボクは「企業文化とは何か」を考えていた。
ホフステードは、国家文化をPDIやIDVなどの文化次元によって分析し、さらに「たまねぎ型モデル」によって文化の構造を説明している。
この二つは別々の理論ではない。
一つは文化を測るためのモデルであり、もう一つは文化がどのように形成・表現されるかを説明するモデルなのである。
この考え方は、企業文化にも応用できるだろう。
ボクはこれまで多くの企業を見てきたが、同じ業界でも保守的な会社もあれば革新的な会社もある。その違いは経営者一人の性格ではなく、企業文化そのものの違いとして整理できるのではないだろうか。
そして今回の対話を通して、また新たなひとつの仮説が見えてきたように思う。
― 文化は本質的に保守的なものである ー
ある意味「文化」とは組織を維持する仕組みだ。
決められたことを決められた通りに遂行しない会社はクライアントから嫌われてしまうだろう。国家も同様で、国際法を無視し続ける国がどういう扱いを受けるかは言うまでもない。だから企業も国家も基本的に保守側へ重心を置く。
しかし、それだけでは環境の変化に適応できないし、イノベーションが起きない。そうすると組織は次第に競争力を失っていくだろう。しかし、その革新性は業界の専門性や競争構造によって異なるし、その会社が業界の中でどのようなポジションにあるかによっても変わってくるだろう。
つまり、企業というものは本質的に保守的だが、その企業ごとに「どの程度革新性を取り込む意思があるか」そして「どの程度革新性を取り込む必然性があるか」が異なるのだ。
すなわち、企業文化とは「その保守性の上にどれだけ革新性を重ねるか」というバランスによって表面化するものではないだろうか…とボクは考えている。
参考リンク
Amazon『多文化社会』
