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日本の空輸の歴史をざっくり書く

さあ、月曜日だ。
月曜日はボクの得意分野の物流について書く日だ。
これまで、日本の陸運と海運の歴史について書いてきたが、今日は空輸の歴史について書いていこうと思う。

陸運や海運の歴史に比べると空輸の歴史は浅い。

そりゃそうだ。
そもそも飛行機自体の歴史が圧倒的に浅い。


航空力学の発祥

航空機に関する考察が初めて記録に残っているのは1509年のイタリアだ。「鳥の飛翔について」という論文が発表され、その中で鳥が空を飛べるのは数学的な法則に従っているからであり、人間にも同じ法則に基づいた空を飛ぶための機械を作ることが可能だとの主張が記載されていた。書いた人物はみなさんもご存じのレオナルド・ダビンチだ。

しかし、航空力学の理論は考察されても、当時の技術で飛行機を飛ばすことは至難のことであり、すぐには実用に至ることはなかった。先に実用化されたのは気球だった。

気球の発明

フランスのモンゴルフィエ兄弟は、洗濯物を乾燥させるために火を焚いたときに上昇気流で衣類がポケットのように膨らむことに気づき、そこから熱気球を思いついた。モンゴルフィエ兄弟は、まずはヒツジとアヒルとニワトリを乗せて実験を行い、彼らの気球は8分間の滞空時間で高度460mまで上昇し、無事着陸したそうだ。この実験は1783年にフランスのベルサイユ宮殿で行われ、ルイ16世とマリー・アントワネットも見学したという。

同年には気球による有人飛行も行われている。
2人の侯爵を乗せた気球は、パリ上空を高度910mまで上昇し、およそ9kmを移動、25分間の飛行を行い、当時のフランスに一大センセーションを巻き起こした。その後、イギリスの科学者 ヘンリー・キャヴェンディッシュが金属と硫酸の化学反応で水素ガスが発生することを発見し、ジャン・ピエール・ブランシャールとジョン・ジェフリーズは、その水素ガスを使い、また機体をコントロールする羽と舵を付けた気球で、世界初の海峡横断飛行(ドーバーからカレーへの飛行)に成功する。※ただし水素ガス気球は事故が多く、めちゃめちゃ危険だったようだ。

一方、日本では、平賀源内が1780年代に飛行船の模型を作っていたと言われているが、実際に日本で気球が制作されたのは明治10年(1877年)のことだ。当時勃発した西南戦争を有利に進めるため、政府が海軍に命じて制作させた。同年5月21日、築地の海軍省の敷地で実験が行われ、6回の飛翔実験で最高200mほどまで上昇したようである。しかし西南戦争で気球を使用することはなかった。

日本初の飛行機による輸送

人類最初の飛行機による飛行を行ったのは、みなさんもよく知るライト兄弟だ。彼らは1903年アメリカのキティホークというところで飛行実験を行っている。しかしその後、飛行機の開発に最も熱心に取り組んだのはフランスだった。

日本は、最初の飛行機をそのフランスから購入している。
明治43年(1910年)に、日本陸軍がその飛行機を使って代々木の練兵場で日本初の公開飛行が行われた。飛行機は高度40mまで達し、3.2kmほどの飛行が行われ、実験は大成功であった。

その後、何度かアメリカから飛行家が飛行機を持参して、飛行機を飛ばしてお金を稼いでいたようだ。その中で、明治45年(1912年)にアメリカ人のアットウォーターが、水上飛行機で東京~横浜間を飛行したが、当時の東京市長であった尾崎行雄のメッセージや記念絵葉書などを横浜に運んだ。これが記録に残る日本初の飛行機による輸送である。

国産航空機の制作

日本で航空機製造のプロジェクトが発足したのは、大正5年(1916年)のことだ。海軍機関大尉であった中島知久平は、それまでにアメリカやフランスにて飛行術や飛行機の製造技術を学んでいた人物だが、中島は自身の工場で複葉の水上飛行機を完成させ、これが軍用機として採用された。

彼は海軍を退役し、中島飛行機株式会社を設立したが、それが後の富士重工となっている。

航空輸送の開始

大正11年(1922年)、徳島県出身の井上長一は、自身の経営するタクシー会社の傍ら、日本航空輸送研究所を設立する。井上は水上機を使って、大阪~徳島、大阪~高松間の航空輸送を開始した。これが日本人による初の航空輸送である。この日本航空輸送研究所は後の全日本空輸(ANA)につながっていく。また、同年神戸川西財閥によって日本航空株式会社も設立され、こちらは大阪~別府間の定期運航を行った。この日本航空株式会社は後に日本エアシステム(JAS)となり、最終的に日本航空(JAL)に経営統合されて消滅している。

当時の航空輸送は旅客よりも貨物が中心だったそうだ。
2つの航空会社により、四国からは新鮮な魚介を、九州からは果物や野菜を大阪に空輸することができるようになったことから、日本の食生活に変化をもたらした。

航空郵便の開始と航空会社の統廃合

大正14年(1924年)には航空郵便が開始される。
航空郵便に大きな需要があったわけではない。当時の逓信省(後に郵政省と電気通信省に別れ、現在の日本郵便株式会社と総務省につながっている)が国策として民間航空の充実を図るための助成策として2つの会社に業務を委託したものだ。その甲斐もあって、当時3,000通程度だった航空郵便は、3年後の昭和2年(1927年)には10,000通を超えるようになっている。

しかし、それでも当時の航空会社の業績は決して良いものではなかった。見かねた逓信省は、渋沢栄一や井上準之助などの協力を得て、日本の民間航空輸送事業を統括する大規模航空会社を設立することにした。その会社が日本航空輸送株式会社であるが、この会社は現在の日本航空(JAL)とは関係がない。

戦争と飛行機

昭和6年(1931年)に満州事変が勃発した。
当時の日本が軍国に向かって突き進んでいたことから、航空関係は軍事に結び付けて考えられることが多くなっていった。軍は満州に向けた航空路線を優先させるため、国内の航空路線に就航していた飛行機を軍用に徴用していく。そして昭和20年(1945年)8月15日に終戦を迎え、一切の日本国籍の航空機の飛行が禁止されたが、GHQには日本のすべての飛行場に手を付けず、良好な状態で保存するよう指示が出ていたそうだ。

しかし、昭和25年(1950年)に朝鮮戦争が勃発したことによって、まだ日本を占領していたGHQは方針転換をする。昭和26年に国内航空運送事業法が改正され、日本航空株式会社(現在のJAL)が設立されることになる。

ここから先は、空輸から離れてしまう内容となるので、詳細はJALのホームページに譲ろうと思う。

https://www.jal.com/ja/outline/history.html


さて、日本の空輸の歴史についてざっくりまとめてみた。
来週以降も毎週月曜日に物流に関する記事を書いていくつもりだ。
引き続きご覧いただけるとありがたい。

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最後まで読んでくださってありがとうございます。

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