量をこなしていないヤツに質を語る権利はない
量をこなしていないヤツに質を語る権利はない。
うろ覚えで恐縮だが… これは本田圭佑氏が何かのインタビューで語った言葉と記憶している。
最近「高品質であることが自社の差別化ポイントだ」という経営者に出会うことが多い。判で押したように同じ言い回しで…
だが、そのほとんどは量をこなしてない人だ。
量をこなしている人はすぐわかる。
なにをもって「品質」とするかの定義を持っている。
挑戦して失敗して挫折してまた挑戦するというプロセスを繰り返した結果として、自分なりの高品質を維持するための方法論を持っている。そしてそれを楽しそうに語る。
一方、量をこなしていない人は語る内容が一般論だ。生成AIが答えそうなことを並べ立てる。自分の中に経験値がないからか、質問されるとどこか不安げだ。
「1万時間の法則」ってのがあるが、ボクはこの考えが好きだ。だから本田圭佑氏の言葉にも共感するんだろう。
「1万時間の法則」とは、ある分野で一流になるためには、1万時間という膨大な時間を練習や研鑽に費やす必要があるという考え方です。これは、マルコム・グラッドウェル氏の著書『天才!成功する人々の法則』で紹介され広まりました。
ただし、なにも考えずに1万時間を費やせばいいわけでもない。
昨今では、効率的に技術を習得するための科学的な方法論がいろいろと編み出されている。またヒトの能力不足をサポートするテクノロジーも進化している。それらを使えば1万時間を費やさずとも「一流」になれるかもしれない(なれないかもしれないけど…)。
つまり「一流」の基準が変わってきているのだ。
そうなると、ボクらは新しい科学的な方法論や新しいテクノロジーを理解/習得することを含めて1万時間を何かに費やすべきだ。そうでなければ同時代のライバルに勝てるはずもない。
「一流」の基準は間違いなく引き上がっている。
大谷翔平や藤井聡太などが出てきたことによって、平均値や中央値も上がっているだろうし、彼らを目指す人、彼らの考え方や訓練方法を真似る人も増えたはずだ。
彼らは、彼らの時代の最先端の科学的な方法論やテクノロジーを使ってきたことだろう。だけど、それに甘んじて訓練に時間を費やしてこなかったとは思えない。ざっくり見積もっても3万時間以上はひとつのことに集中してきたことだろう。彼らはそれができるマインドと環境があったからこそ、その時代において突出した存在になったのだと思っている。
ボクらに与えられた環境には差はあれど、与えられた時間に差は無い。
ボクらも量をこなして質を語ろうじゃないか。
