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正積読と逆積読

最近、数ページで読むのをやめる本が増えた。

それはだいたい、どこの誰だかよくわからない半素人が書いた(だけどなぜか書店の入り口近くに置かれている)自己啓発本だ。そして、それはだいたい、散々擦り倒されたような内容をちょっと目を引く(例えば過去にヒットした書籍をもじった)ようなタイトルに付け替えて出版された本だ。

そういう本が主張したい部分はほんの数十ページだ。
だから、残りの200ページを補うために、まったく関係のない(だけど話題性のある)コンテンツと無理やり結び付けてしまったりする。そして後半には、自分で直接調査したわけでもなさそうな他社の事例だったり、「〇〇診断」的な付録コーナーが付いていたりするが、そんなのはただのページ数稼ぎだと思っている。

多読するようになって、そういう本を買ってしまうことが増えたが、逆に最初の数ページでそういう本を見抜くこともできるようになった。

だが、安心してほしい。
そういう本のことをこのnoteの読書記録に書くことはない。そういう本は、みなさんにバレることなくボクが闇から闇へと(BOOKOFFに持ち込んで)葬るのだ。


もしバレることがあるとするなら、それはみなさんがボクの部屋に来たときだろう。

ボクは、そういった「数ページで読むのをやめた本」を床に直置きして積み上げている。それはBOOKOFFに持って行きやすくするためだ。現在、ボクのデスクの足元にそういう本が15冊積みあがっている…

そういう本のことを、ボクは「逆積読本」と呼んでいる。

買ったけどまだ読めてない本を「積読」と称するが、買ったけどもう読む気のない本だから「逆積読」だ。

でもやっぱりちょっともったいないなと思う。
一年前なら、きっと「せっかく買ったんだから最後まで読めよ」と思ったろう。

だけど今回は、読む代わりにエッセイを書くことにした。これだけ毒を吐けば少しは元が取れるだろう。


一方で、ボクが気に入る本といえば、著者が研究に研究を重ね、書きたいことが1000ページもあったろうに紙面の制約から(泣く泣く)400ページに収めたように感じられる本だ。

そこには、その本を書かずにいられなかった背景と、専門家としての信念がにじみ出ている。だからこそ、著者が自ら立てた問いに対して、自ら調べ、自ら考え、自ら導き出した答えが、一本の筋道として組み立てられている… ボクはそういった著者の思考に触れたいのだ。

そういう本を読み進めているときの集中力は、自分でも驚くくらいだ。そして、本を読みながらボクの頭の中でいろいろなものが接続し始める。その「接続点」を後で見返せるように、自分ルールに則ってミニ付箋を貼っていくので、ボクにとって・・・・・・の「良書」にはびっしりと付箋が貼られることになるのだ。

だから、そういう本はいつまでもボクの書棚の中に居続ける。付箋を剝がすのが面倒なのでなおさらだ。


定期的に逆積読を減らしたい。
だから定期的にBOOKOFFへ本を持ち込む。

すると、店員さんが「いつもきれいな本をお売りいただき、ありがとうございます!」と深々と頭を下げてくれる。嫌味で言ってるわけじゃないと思っているが…

そして待っている間にまた何冊か手に取ってしまう。
逆積読が減ると正積読が増える。

悩ましい問題だ。

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