ガードナーの「自己革新」について学ぼう - ⑥人生の意義と目的と献身
さあ、土曜日だ。
土曜日は、ガードナーの「自己革新」を読み解いていこうと思っている。
先週の記事の冒頭にも書いたが、これから書く一連の記事には、ボク自身のバイアスがかなりかかるだろうと思っていて、ガードナーが本来書いていたものと若干乖離するかもしれないことを予めお伝えしておく。
今日は「人生の意義と目的と献身」というお話にお付き合いいただきたい。
人間の幸福とは
多くの人は、幸福を「欲求がすべて満たされること」と考える。
もちろん、どんな人であっても、良い暮らしをして快適さや喜びを味わう機会を与えられるべきである。
しかし、ガードナーは「真の幸福とは、自分の人生という文脈の中に遠く大きな目的を置いて、その目的と現在の自分を結び付けるための目標を、ひとつずつ達成するために努力することだ」と定義している。ただし、自己革新能力の優れた人は、永遠に「目的をに到達した」と感じることはない。その人にとって意義のある目的や目標は、前進していくにつれてどんどん大きくなり遠のいていくからだ。
ガードナーの定義する幸福は「その人にとって意義のある、大きな目的に向かって努力して進む」ことであって、目的を達成する必要はない。例えば「理想の政府をつくる」とか「人類を何かの疾病から救う」などという活動に生涯をささげる人は(時折小さな勝利を収めることはできるかもしれないが)最終的な目的を達成することがないまま終わることがほとんどだ。
人の脳の認知プロセスによって起きること
人間とは複雑で矛盾した生き物だ。
ボクたちは、自己中心的でありながら、場合によっては素晴らしく献身的になる。お金を稼ぐことに一所懸命になりながら、どこかで災害が起きたときには熱心に寄付をしたりする。人は目先の欲求よりも、もっと高次の何かに自分を関連付けないと、人生に意義を見出すことができないのだ。
過去を遡ってみると、世界中で個人の力ではどうにもならないような壮大なことが無数に起きている。ボクたちは、そういった既知のことがらを一貫したパターンに整理しようと努力する。それは人間の特徴である認知プロセス(脳内で起こる一連の化学的および電気的な信号を処理する工程のことを指し、外界や自らの身体的、心理的状態について知る機能を果たす過程。感覚・知覚・記憶・思考などの過程が含まれる。)によるもので、後付けのものでも場当たり的なものでもない。そして、そういったことがらを一貫したパターンに整理しようとした結果、それが伝説や哲学、スピリチュアル、陰謀論、占い、科学、心理学、経済学、統計学…などにまとめられてきたのだ。
どれが正しくて、どれが間違っているということではない。
人は誰でも、ものごとの壮大な(もしくは自分の周囲の人たちなどの小さな)枠組みの中に、自分がどう位置づけられているのか知りたいと思っている。客観的な世界の偉大な事実が、自分とどのように関連付けられ、それが自分の行動にどのような示唆をもたらすのか理解したいと思っている。それは人間として正しい行動なのだ。
幸いなことに、現代社会では、誰でもこの追求を自分のやり方で自由に行うことができ、(運が良ければ)自分にあった答えを見つけることができる。
意義と目的と献身
一旦、「意義」と「目的」について整理しよう。
(ああ、ボクもガードナーの言う「認知プロセス」の工程を進めようとしているんだな…)
「目的」とは、最終的に成し遂げたい事柄のことを指し、「意義」とは、物事の実行などにおける価値や重要性を指す。例を挙げるなら、読書の目的は、読みたい本を決めてその本を読み終えることだが、読書の意義は、その本を読むことで教養や知識を得ることだ。そして「今日は〇〇ページ目まで読み進めよう」と決めることが「目標」だ。
さて、どんな人生であっても、目的を目指すための意義はひとつではない(もちろん目的もひとつではないが)。その意義は、感情に根差したものもあれば、科学的な思考によるものもある。場合によっては社会的な観点から生まれるものもあるだろう。それらは同一人物の中に混在するのだ。そして、早く見つかるものもあれば、ずっと後になって見つかるものもあり、人生の中で変化していくものでもある。
そういったカオスの中から自己のアイデンティティを見つけることに成功した人は「自分が何者であるのか」という答えを導くことができる。しかしその人は、同時に「自分は何を目指して生きるべきなのか」「自分はどんな義務を果たさなければならないのか」「私は何に身を捧げるべきか?」というような様々な問いに対する答えも見つけることになる。それが「献身」だ。
それは誰かに強制されるものではない
前述したとおり、そういった意義は世の中の体系と深く関連するものとなる。つまり社会的な活動だ。その社会的な活動をもって目的に向かって意義を推し進める人は報酬(心理的なものも含めて)を得ることになる。そして報酬には義務が伴う。よって、ボクたちは人生の中で「意義、目的、献身」を切り離すことはできない。
ただし、人によって目的や意義は異なるもので、献身のあり方も人によって違うということは理解しておきたい。あくまでも、ボクたちが共通認識として持っている道徳的観点からはみ出さなければOKであり、誰かがその人の意義や目的や献身のあり方や視点の高さを強制するものではない。
(続きはまた来週)
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