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🍀手紙に宿る温もり



学生の頃から、私は手紙を書くことが大好きだった。

今でも文具店へ行くと、色とりどりのレターセットが並ぶ棚の前で、つい足を止めてしまう。



便箋の手触り、
封筒を閉じる瞬間の小さな緊張感、
切手を貼るひと手間。


どれも私にとっては、
言葉を届けるための大切な時間だった。



けれど今は、
手紙を書く人もずいぶん少なくなった。


古の人々は、文字をしたためることは、ごく普通に当たり前の日常だったと思う。

誰かを想い、季節を綴り、心を筆先から紙に託す。
一文字一文字に、その人の温もりが宿っていただろう。



今は、
伝えたいことは、スマホを開けば数秒で届く。
便利な時代。




年賀状さえ出さない人が増え、手書きの文字に触れる機会は、いつの間にか特別なものになってしまった。



だからこそ、少しだけ寂しさを覚える。



学生時代、私は車が大好きで、車の雑誌に車のイラストを描き投稿したことがある。


それが誌面に掲載された日の喜びと驚きは、今でも忘れられない。



その雑誌には文通コーナーがあった。


今では考えられないことだけれど、当時は住所や名前が掲載されていて、私は同じ車種が好きな人へ思い切って手紙を書いた。



しばらくして届いた一通の返事。



封筒を開く瞬間の胸の高鳴りは、今でも鮮明に思い出せる。


相手は大学生の男性で大阪に住んでいる人だった。



それから何年もの間、私たちは手紙を交わした。
十代の私の拙い文章にちゃんと返事を書いてくれる誠実な人だった。


手紙の内容は、
特別な出来事ばかりではない。


季節のこと、
近況のこと、
嬉しかったこと、
少し落ち込んだこと。

そんな何気ない日々を便箋に綴り、お互いの暮らしを少しずつ知っていった。



一度も会ったことはない。



それでも、ポストに手紙が届くたび、その人の温もりが遠くから届いたようで嬉しかった。


私はいつも、返事を書くのが待ち遠しかった。



振り返れば、あの文通が私に教えてくれたのは、文章の書き方だけではなかった気がする。



相手を思いながら
言葉を選ぶこと。
自分の気持ちを丁寧に
見つめること。


文字にも温度が宿ること。



そんなことを、一枚一枚の便箋が静かに教えてくれた。



何年も続いた文通も、
いつしか少しずつ間隔が空き、


理由も思い出せないまま自然と終わっていた。



終わりはあまりにも静かだった。



それでも、あの時間は今も私の中で色褪せることなく息づいている。



だから私は今でもレターセットに目を奪われる。



もう手紙を書く機会は少なくなった。
それでも、便箋を手にするだけで、あの頃の自分がそっと微笑みかけてくる。



言葉は、
携帯の画面の向こうへもすぐに届けられる。



けれど、
返事を待つ、もどかしい日々や
人の温もりまで包んで届けられるのは、


やっぱり手紙しかないのだと思う私がいる。




薔薇🌹SONO🍀

あとがき🍀
懐かしい記憶をエッセイにしてみました☺️



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