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#113 サイレントマジョリティから10年ーー欅は櫻の根にある

今日、SNSのタイムラインには欅坂46の話題が溢れています。

2016年4月6日。「サイレントマジョリティー」がリリースされ、欅坂46がこの世界に産声を上げた日から、ちょうど10年が経ちました。

私はその日のことを知りません。

正確に言えば、欅坂46の存在は知っていました。でも、リアルタイムで追っていたわけではなかった。私がファンになったのは櫻坂への改名後のことで、ファン歴はまだ4年しかない。欅坂時代を語れるほどの記憶も、文脈も、私の中にはない。

だから今日、欅坂46について書こうとは思っていませんでした。

でも、書きたいことがあります。

それは欅坂でも櫻坂でもなく、「このグループ」という10年の構造について。なぜ人が変わっても組織は続くのか。何が受け継がれ、何が変わるのか。そして、リアルタイムで欅坂を知らなかった私が、なぜ今こうして深く櫻坂に惹かれているのか。

組織に関わる仕事をしている立場から、少し遠回りな話をしようと思います。



組織は、3年で消える

私は組織づくりに関わる仕事をしています。チームをどう作るか、文化をどう育てるか、人が変わっても組織を続けるにはどうすればいいか。そういったことを日々考えています。

組織は、3年で消える。

少し物騒な言葉ですが、起業から3年以内に倒産する企業は約70%、10年後には93%が倒産してしまいます。S&P500に名を連ねる企業の平均寿命は、1958年には61年だったのが、現在では18年まで短くなったという研究もある。組織を続けることは、本質的に難しい。

そう考えると、10年続いている櫻坂46というグループの希少性が際立って見えます。でも今の櫻坂を見ていると、その希少性に必然性も感じます。

女性アイドルグループと企業との間には、決定的な違いが一つあります。

会社であれば、10年後も同じメンバーが残っているケースは珍しくない。でもアイドルグループというのは、はるかに極端な「人の流動性」を持っています。欅坂46のデビュー当時のメンバーで今も在籍している人は、櫻坂46にはいない。坂道グループで見ても、乃木坂46の三期生が2016年9月加入で、まだ10年には達していません。

10年で、メンバーはほぼ入れ替わる。

それでも組織が続くとき、何が残るのか。

私が組織論を通じて辿り着いた答えは、一つでした。根です。

植物は茎を折っても、枝を切っても、根が残っていればまた花が咲く。組織も同じで、根が残っていれば生きている。根の細い組織は、少し風が吹けば倒れる。太い根がある組織は、幹が折れても、また芽を出す。

根とは、カルチャー(文化)のようなものだと私は考えています。目には見えないけれど、その組織から感じるアイデンティティのようなもの。

彼女達が10年続いたのは偶然ではない。
それはこの「根=カルチャー=アイデンティティ」の存在があるから。

では、このグループの根とは何か。文化とは何か。アイデンティティとは何か。

それを考えるために、欅坂と櫻坂にとって大事な3曲の話をしたいと思います。


"サイレントマジョリティー" 無垢な強さ

2016年4月6日。今日から10年前、欅坂46はこの曲とともにデビューした。

何度も言うが、私はこの日のことを知らない。存在は知っていたが、当時の私はそこまで興味を惹かれていなかった。でも今、この曲を改めて聴くと、ある確信を持って言える。

この一曲は、櫻坂の今を語る上でも欠かせない曲だと。

「サイレントマジョリティー」は、若者の革命の曲だ。

社会をまだ十分に知らないからこそ、社会に対して真正面から反発できる。大人になるにつれて人は「社会とはそういうものだ」と学んでいく。理不尽を受け入れることを覚え、声を上げることのコストを知り、少しずつ丸くなっていく。

「君は君らしくしていればいい」という言葉は、シンプルだ。しかし、だからこそ強い。正しいかどうかではなく、無垢に正しいと信じて言い切れること。傷ついていないからこその声。社会の怖さを知らない若者の特権かもしれない。

それが多くの人の心を打ったのは、視聴者の中にも、特に若者の中にもそういう感情があったからではないか。もちろんかつて若者だった人たちにも。

「言いたかったけど言えなかった」その言葉を、10代の少女たちが代わりに叫んだ。

無垢な強さは、いつか失われる。
それが成長だとも言える。でも失われた後にそれを見ると、眩しくて、少し切ない。

あのデビュー曲には、そういう種類の美しさがある。


"誰がその鐘を鳴らすのか?"絶望と覚悟の間で

2020年、欅坂はその5年に渡る活動に終止符を打った。最後の楽曲が「誰がその鐘を鳴らすのか?」だった。

私はまだ欅坂46のファンと呼べる人間ではなかった。でも楽曲のカッコよさには惹かれていて、ダウンロードして聴いていた。「もの凄い歌詞だ」「心にズンッと刺さる」と感じていた記憶が、今もよみがえる。そしてパフォーマンスの映像を見て、さらに心が揺さぶられた。迫力に圧倒された。動き以上の、心の奥底からほとばしる何とも言えない感情がそこにあった。

その理由を、当時の私は知らなかった。

「誰がその鐘を鳴らすのか?」は、重い曲だ。

サイレントマジョリティーの無垢さと比べると、そこには明らかに「傷ついた後」の感覚がある。社会に出て、人と人が争い、理想と現実の乖離を知り、虚無と絶望を経験した先にある言葉。まるで彼女たちの当時の環境と重なるように。

「この世の中に神様はいるのかい?」

この歌詞が重たい。信じていたものが崩れていく感覚。救いを求めても応答がない感覚。それでも立ち上がれというのか、という問いがそこにある。

でもこの曲が単なる絶望の曲でないのは、タイトルにある「誰が」という問いにある。

誰かがやるのを待つのか。それとも自分たちがやるのか。絶望の中に覚悟を置く問い。苦しい、大変だ、でも誰かがやらなければならないなら、自分たちがやる。その宣言が、曲の底に流れている。

この曲の後、欅坂46は終止符を打った。

その背景には、外からの声もあっただろうし、内部での崩壊もあったかもしれない。どちらがどれだけ影響したかは、外からは分からない。でも組織論的に言えば、解散や改名は「失敗」ではない。腐りながら続けるより、根が残っているなら一度幕を下ろす方が、その木を残せることがある。それはある種の誠実さだ。


"何歳の頃に戻りたいのか?"過去を美化しない宣言

私はこの曲が大好きだ。

櫻坂の中でも一、二を争うほど好きな曲。それは物語を感じるからであり、過去を統合しながら未来を見ているから。

「何歳の頃に戻りたいのか?」は、問いかけの形をした宣言だ。

戻りたいのか?と聞きながら、その答えはすでに決まっている。

過去を美化したくなる気持ちは、誰にでもある。あの頃は良かった、あの時代に戻りたい。そういう感情は人間として自然だ。でもこの曲は、そこで止まらない。過去を語るのもいい。でも語るなら未来の方がいい。

この言葉は、欅坂時代に向けたメッセージとしても読める。あの時代は確かに輝いていた。でも、その輝きの中に留まることは、今を生きることにならない。過去を根として持ちながら、視線は未来に向ける。

「戻りたい」という問いに、「そうではなく、今だ」と答える曲。それを今の櫻坂46が歌っていることの意味は、大きい。

この楽曲はおそらく国立競技場でも歌うと思っている。
10年目のスタートの再宣言になると思っている。
そしてその時、私の涙腺は崩壊するのだと思っている。


根にあるもの、変わったものと変わらなかったもの

3曲を並べてみて、一つの問いが浮かんだ。

このグループの「根」とは、具体的に何なのか。

文化、アイデンティティ、という言葉は使った。でもそれを言語化しないまま終わるのは、少し誠実ではない気がした。だから、私なりの仮説を書いておきたいと思います。

変わっていないもの。

欅坂も、櫻坂も、リアルを歌うグループだと思っています。
それはTAKAHIRO先生もラジオで言っていました。

綺麗事ではなく、今この瞬間に感じていること、社会への違和感、自分たちへの問いを、そのまま楽曲に乗せる。サイレントマジョリティーの「君は君らしくしていればいい」も、誰がその鐘を鳴らすのか?の「この世の中に神様はいるのかい?」も、何歳の頃に戻りたいのか?の「語るなら未来の方がいい」も、どれも飾っていない言葉だ。

そしてもう一つ。問いながら、それでも小さく歩もうとする姿勢。

答えを押しつけない。でも、少し前に進もうと思わせてくれる言葉も投げかけてくれる。問いを持ったまま前に進もうとする。その姿勢が、10年を通じてこのグループの表現の底に流れている。

変わったもの。

表現の構造そのものが、欅坂と櫻坂では変わったと思っています。

欅坂には、平手友梨奈という圧倒的な存在がいた。カリスマ、という言葉では少し軽すぎるかもしれないけれど、彼女の表現力はグループの求心力そのものだった。欅坂は、ある意味で「一つの色」に染まるグループだったと思う。平手という中心があって、その色がグループ全体を染め上げていた。

それ自体は弱さではない。むしろ、あれほど強烈な色を持てたこと自体が稀有なことだったと思います。

でも、その構造は脆さも持っていた。中心が揺れると、全体が揺れる。一つの色しか持たない組織は、その色が失われたとき、自分たちが何者かを見失いやすい。

そして欅坂は、実際にそれを経験した。


傷が、文化になった。

組織論でよく言われることがある。一度崩壊を経験した組織が再生するとき、崩壊前より強い文化を持つことがある、と。なぜかというと、崩壊の記憶が「これだけはやってはいけない」という暗黙知になるからだ。言語化されていなくても、身体に刻まれた記憶として残る。

櫻坂46には、その苦楽を知った先輩たちがいた。

デビュー直後のブレイク、それに対応しきれなかった若さ、平手というカリスマへの依存と喪失。その経験を内側から知っているメンバーたちが、改名後の櫻坂を作っていった。彼女たちが後輩に伝えたのは、言葉ではなかったかもしれない。でも確かに、何かが伝わっていった。

だから櫻坂は、「何色にも染まれる」グループになったのだと思っています。

櫻坂の再出発のタイミングでは森田ひかる、山﨑天、藤吉夏鈴の3人がセンター曲を受け持った。その表現は、一つのカリスマに依存したグループではないというメッセージ性を持っていたように思えます。

しかし実は、それは欅坂時代からすでにあったものなのだと思います。

先日のnoteでも書いた小池美波さんの「二人セゾン」の話。

平手さん不在のライブでのパフォーマンスが伝説になったのは、それだけメンバー一人一人のポテンシャルがあったということ。私が初めて意思を持って見た「誰がその鐘を鳴らすのか?」のパフォーマンス映像で心を揺さぶられ涙したのも、彼女たちの表現力に心を奪われたからだった。

小林由依の覚悟を持った表情。守屋茜の感情を表に出した表現。菅井友香の涙と責任。当時若手だった二期生の必死さ。

「欅坂46ってこんなにすごいグループだったんだ。」 「平手友梨奈さんしか知らなかったけど、すごいメンバーがたくさんいるんだ。」

既にグループとしてのパフォーマンスのアイデンティティが、そこにはありました。聴き手が共感するリアルを歌うグループ。そしてそれが伝わるのは、彼女たち自身のリアルを歌っているから。

四期生楽曲「光源」でも、彼女たちは自分たちの人生や日常とその楽曲を照らし合わせて歌っていたと綴っていました。四期生は欅の血をさらに知らない世代です。彼女たちの加入タイミングと同じくして、最後の一期生である小池さんが卒業した。

だけどアイデンティティは確かにそこに残っていた。だから四期生からも欅を感じ、そして櫻にも違和感なくすぐに溶け込んだ。というよりも、もうすっかり即戦力だ。

二期生、三期生、四期生。そしてそれぞれのメンバーが違う色として存在しながら、一つのグループを作っている。それが可能なのは、チームとしての文化が根付いているからだと思う。

ストイックに、真剣に、チームで表現に向き合う。しかしとても仲も良い。

これが、欅坂の経験を経て磨き上げられた、櫻坂のアイデンティティなのではないかと思っています。

「欅坂の亡霊」という言葉

ファンの中には「欅坂の亡霊」という言葉があります。

欅坂時代の楽曲をライブで披露してほしいという声、逆にしてほしくないという声。欅坂のあの感じを求める声、いや今は櫻坂だという声。それは良くも悪くも、欅坂という存在がいかに強烈だったかの証明です。

でも私は、欅坂と櫻坂の関係を「亡霊」という言葉で捉えることに、少し違和感を覚えています。

亡霊というのは、成仏できていない存在。本来いなくなるべき場所に、未練を持って留まっている。もしそれが欅坂と櫻坂の関係なら、過去は現在を縛るものになってしまう。

でも私が感じるのは、それとは違う。

欅は亡霊ではなく、櫻の根にあるもの。

根は地面の下にあって、外からは見えない。でも木が立っていられるのは、根があるからです。幹が太くなるのも、花が咲くのも、根から養分を得ているから。根は過去のものだけれど、現在を支えている。

欅坂が作った表現へのこだわり、真剣さ、ストイックさ。それは特定の楽曲でも特定のメンバーでもなく、このグループの根として地面の下に広がっている。そしてそれが、今の櫻坂46を支えています。

何も成仏しなくていい。欅坂は亡くなったわけではなく、根としてそこに残っているのだから。

今のメンバーが自然に歌えること

私は、今のメンバーが欅坂の楽曲を自然に歌えるようになったとき、それが本当の統合だと思っています。

義務感で歌うのは継承ではない。求められているから歌う、期待に応えるために歌う。それでは、過去の楽曲は重荷になってしまう。

自分たちの表現として歌えること。欅坂の楽曲を「先輩の遺産」としてではなく、今の自分たちの言葉として解釈して歌えること。それが文化の継承だと思っています。

以前、新参者で三期生が「語るなら未来を」を歌ったとき、村山美羽が歌唱前に「私たちが先輩達が大切にしてきたものを引き継いでいきます」と涙ながらに力強く言った。歌唱後の石森璃花は、呼吸困難になりそうなくらい感極まっていた。


欅坂の楽曲を歌うということが、どれほどの覚悟とパワーを要するものか。外から見ている私たちの想像をはるかに超えた感情が、そこにはあったのだと思います。特に三期生以降は欅坂としての活動をしていないので、「私たちが歌っていいのか」という葛藤もあったかもしれない。

でもだからこそ、それを乗り越えて自然に歌えるようになることに意味がある。

組織論で言えば、これが「文化の継承」にあたります。マニュアルや規則は引き継げる。でも、その背景にある思いや大切にしている価値観は、人から人へ、時間をかけて伝わるしかない。いや、伝えるというより、感じるものなのかもしれない。それが根付いた組織だけが、メンバーが変わっても続いていける。

楽曲をライブで歌うことは、欅坂への回帰でも懐古でもない。根から養分を汲み上げて、今の唯一無二の色の櫻の花を咲かせること。その瞬間こそが、欅坂と櫻坂の本当の統合だと思っています。

10年続く組織の条件

最後に、組織論の話に戻って締めくくりたいと思います。

冒頭でお伝えした通り、10年続く組織は少ない。チームは3〜5年で機能しなくなり、企業の平均寿命は18年まで短くなりました。ましてやアイドルグループは、10年でメンバーがほぼ入れ替わる。それでも続くためには、何が必要か。

私が思うのは、根があること。そして根から養分を汲み上げ続けることです。

このグループは、サイレントマジョリティーという社会へのアンチテーゼ、若者特有の無垢な強さから始まりました。その後、傷つき、絶望し、それでも「誰かが(私たちが)やらなければ」という覚悟を持った。名前を変え、メンバーを変え、表現の構造そのものを変えながら、過去を美化することなく今を選び続けてきた。

その過程で積み重なったものが、今の根になっています。
リアルを歌うこと。
問いながら歩むこと。
チームで真剣に表現に向き合うこと。

これが、10年かけて育ったこのグループの根だと、私は思っています。

人が変わっても、根は残る。
根がある組織だけが、10年という時間を越えられる。

私は欅坂46をリアルタイムでは知りません。
欅坂時代をそこまで語れる文脈も記憶も、私の中にはない。
でも、このグループの根から育った今の櫻坂46は、確かに私に届いています。

4年間、それを受け取り続けてきました。
リアルタイムでなかったかもしれない。でも、届いています。
それは櫻坂というチームの届ける力が強いから。

今日という日に、改めて。

2026年4月11日、12日。

10年経った今、国立競技場で14万人の前に彼女たちは立ちます。

センセーショナルなデビュー。
組織の崩壊からの再出発。

そして女性グループとして初めて新たになった国立競技場に立つという、台本のないヒーローズジャーニー。

事実は小説より奇なり。

こんな素敵な物語をリアルタイムで見られていることに、感謝しています。そしてこれからの10年も、応援していきたい。

改めて、欅坂46、櫻坂46。10周年おめでとう。ありがとう。

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