デヴィッド・ザッカー監督「裸の銃を持つ男」(1988年)批評。
本作の公開当初は、テレビの予告編などでよく知っていたのだが、まだ幼過ぎて興味の対象ではなかった。
逆に、大人になって、特に現代のような日常生活がストレスでいっぱいの状況だと、五臓六腑に沁み渡るというのが言い過ぎではないほど、このバカバカしさは救いになる。
本作は、作品に対して「こう思う」とか「こう考える」と言語化することがとても難しい。含意や寓意が込められている、というような映画的、物語的な奥行きは一切ない純然たる(くだらない)ギャグによって構成されているタイプの作品だからだ。
それをもっともらしく「言語化」すること自体が野暮にも思えるし、書くことも見つからない。
そのせいで観てから、随分と時間が経ってしまったのだが、おかげでさらに内容を忘れてしまった。
冒頭は主人公のフランク・ドレビン警部補(レスリー・ニールセン)が「007」映画ばりに、米国と敵対している国家首脳の密談に潜入し大立ち回りの末粉砕する。
容貌を見て、旧ソビエト連邦のゴルバチョフ書記長、アミン大統領やアラファト議長、ガダフィ大佐など、当時の世相のステレオタイプな「暗君」をぶちのめす姿は、しっかりと「皮肉」として機能している。
ドレビンが「おバカ」キャラであるが故にむしろアメリカの独善的正義が強調されていてシニカル。
その後は相棒のノードバーグ(O・J・シンプソン)が操作していた麻薬事件に単独で踏み込み重傷を負うのも「ドリフターズ」ばりの典型的なスラプスティックコメディの味わい。
その重傷を負ったノードバーグの想いを引き継いだ格好で事件を捜査を始めるドレビン。
訪米するエリザベス女王(ジャネット・チャールズ)の暗殺にたどり着く辺りも「007」映画が基調になっている。
加えての「刑事ドラマ」の王道をなぞりながら、とにかく笑いの質が「しょうもない」ことと「不謹慎さ」に徹している。
何より「秀逸」に感じたナンセンスさは、ヒロインであるジェーン(プリシラ・プレスリー)と恋に落ち放蕩に耽るドレビン。
さっきはタイムリミットは24時間と言っていたはずなのに、すっかり忘れたまま物語が進んでいく「緩さ」が一番笑えた。
本来なら、これだけ忘れているのならちゃんと観直して書くべきところだと思う。
しかし全く観直す気にもなれないし、だからと言ってまったく嫌いではなくむしろ好きな作品である。
書くべきところ、評価するところも数多あるにはあるのだが、どうしても言及したくない(頭を使いたくない)ようで「保留」したい。
とりあえずは観た、ということの記録。
批評としては、負け。
