差別がなくなることってあるんだろうか(いや、ない)
ずっと考えている。
差別って本当になくなることがあるのだろうか。
そもそも、差別って本当にしちゃいけないんだろうか。
大前提、攻撃的な差別はNG
私は何も、特定の国籍や性別の人をひとくくりにして攻撃することを推奨しよう!とは思わない。
大前提、差別心を発言・行動による攻撃として表出するのは間違いだと思う。
歴史でいえば、他の国や大陸に侵略して、現地の民族を攻撃したり奴隷化したりするのは、負の歴史だと思っている。
無意識に差別する人々
ある友人は「差別とか許せない!」と言ったその口で「まじで〇国人、日本に来ないでほしい」と特定の国の人を差別していた。
またある友人は、「差別は絶対悪だ」とSNSで言っていたが、そのSNSで「男性は犯罪率が高いから怖い」と男性差別をしていた。
またある人は、「生粋の東京育ちは差別なんてしません。してるのは他所から来た方ですよ。」と他所者差別をしていた。
別に私は、特定の国や性別の人を恐れたり、排他的になる"気持ち"は否定しない。実際の経験や知識から、特定の属性を恐れる気持ちは分かるし、人として生物として当然だと思う。
でも、それって差別だよね?
なんで自分の恐怖心を元にした差別は差別じゃないと思っているのだろう。
差別心は防衛本能?
とはいえ、気持ち的に「差別」的なものが湧いてしまうのは仕方がないと思う。
女性専用車両が男性差別だという声もあるが、それは男性から女性への性加害が多いからこその防衛措置である。
異性愛者の男性がゲイを気持ち悪がるのも、男性の性欲と力の強さを分かっているからこそ、それが自分に向けられる恐怖を理解しているのだろう。
外国人が怖いのも、良し悪しの基準や人権意識が、文化や宗教や法律によっては異なるからこその恐怖心もある。
犯罪のニュースが出てくると「殺処分」「死刑」という声が上がるが、犯人の人権より、自分を含めた"犯罪者ではない大多数"の未来を守りたい、という思いから来るのではないだろうか。
そもそも、マイノリティしかり、犯罪者しかり、外国人しかり、「分からない」が怖いのだと思う。何をするか分からない。何を考えているか分からない。実際のデータで傾向としてでていれば、なおさら怖い。
差別している自覚を持とう
自分の経験から、見たものから、聞いた話から、無意識に感じている恐怖や言。
それ、差別かも。
自分が差別主義者的な行動・発言をしないためには、まず「自分は差別をしているかもしれない」という自覚を持つことが大事だと思う。
そして、「そう思ってしまうのは仕方ない」「ただ、発言や行動で攻撃するのは違う」とも認識すべきだろう。
個人的には、なぜその属性に差別意識が向いてしまったのか、自分の属性には問題はないのか、その差別意識はどれだけ正確な情報に基づいているのか(単なる偏見ではないか)を考えるようにしている。
※ここで「差別心を抱くのもいけない」と思ってしまうと、そう思わせる属性への憎悪が増幅してしまうし、差別ではない形での攻撃方法を探してしまいかねない。私は何事においても「思ってしまうのは仕方ない」ということを大事にしたい。
差別のない社会
…というのは個人レベルの「差別しない対策」だが、社会的にはどうなんだろうか。結局、悪意のある差別はなくせても、区別や管理って必要なのではないかなと思う。
この記事の議題は「差別ってなくせるのだろうか、いや、無理じゃね」なので「どうしたら差別をなくせるか」までは考察しないが、差別的発言・行動をなくせる社会というのは厳格な言論統制や監視が必要になりそうで、また違った課題をはらむ気がする。
そもそも「差別をしない」というのは、複雑な事実や背景を理解し配慮するという、非常に高度な知能を要するので、ついていけない人も出てくるだろう。その結果、「差別する人を差別する社会」になりかねない。
…とここまでグルグル考えた結果、差別なくすって無理だよなぁと思ったのでした。
いいなと思ったら応援しよう!
チップは、日本の子どもが健やかに育つための各種寄付に使わせていただきます。いつもありがとうございます。