男も女も強さを求められるくない?てか強い方がいいって自明じゃない?「強さを求められる」が生きづらさって何
男性の生きづらさについて語られる際に、よく「男性は強さを求められる」ことが挙げられる。
が、「強さを求められる」のは女もであり、男性特有の生きづらさとして挙げるのは違うだろうと、そのたびに思う。
「母は強し」は裏を返せば「父ならば強くなくてもいい」という免罪符でもある。父親が孕ませた女とその子の保護を放棄しても罪にはならないが、母親が放棄すれば虐待死や死体遺棄になる。性欲という弱さを、特に日本の男性はかなり寛大に許されている。(←対して、女性は妊娠回りを根拠とした身体的・経済的な弱さを許されている)
かつて「自分、不器用ですから」に共感した男性が多かったように、男性は不器用という弱さも許されている。感情労働面は特に、「女だから」と頼まれ「男だから」と免除される場面が多い。(←対して、女性は肉体労働を免除されがちである)
そもそも、女性が性被害に遭えば自衛自衛言われるが、それは結局、女が自分を守る強さを求められているということの証左だ。簡単に言ってくれるけど、男は「自分でも襲える」と判断した女を狙うんだから、こちらにできることもだいぶ限られるんだがな。(←まぁ男性の被害の方がもっと風当たり強いけどね。件数が違うから比較も難しいけど)
もちろん、「だから男性の生きづらさなんてないよね」と言いたいわけじゃない。
「強さを求められる」を根拠に女性の生きづらさと肩を並べようとするのが、なんか、違うだろと思うのだ。
でも結局男に強さは求めるよね
ただ、やっぱり自分を振り返ってみると、自分より弱い男は「ださっ」と思ってしまうし、ウジウジしてる男に魅力など感じない。
が、それが男性差別か?と思うと、いや、弱い女も平等にウザがっている。
たぶんそれは私が強い女だから、強くあろうとした女だからだと思う。
性被害のニュースで「〇〇だから被害に遭うんだよ」という声を聞けば、そうならないように気を付けた。
女性のキャリアで「女も稼ぎがないと捨てられたとき悲惨だよ」と聞けば、そうならないようバリバリスキルを付けた。
「弱く見える女は狙われる」と聞けば、金髪にしてピアスも空けて、男ウケの悪いモード系の服で通学した。
そういう女を、現代の世論は好んできた。求めてきた。
私は期待に応えちゃうタイプなので、強い女=求められることに応える自分が好きで、すんなり応えた。
だからこそ、弱い自分を変えようともしないで被害者ヅラに甘んじている人間が嫌いだ。そこに男も女もない。
男女で求められる「強さ」のベクトルは違う
なんとも「僕ちゃんは"男だから"生きづらい、むしろ"男の方が"生きづらい」とでも言いたげな弱者男性が増えたが、彼らが生きづらいのは被害者ヅラする快楽から抜け出せないからだろう。これは女もだが、「生きづらさ」という言葉そのものが、弱くあり続ける免罪符になっているとここ数年感じている。
思うに、男女で求められる「強さ」のベクトルは微妙に違う。
男性は「自分のプライドを守る強さ」、女性は「自分の身を守る強さ」という違いがあるのではないか。
よく男性の生きづらさの文脈で出てくるのが「泣くな、男の子だろ」というやつ。
それはある種、プライドを守るためにそうした方がいいという現実的なアドバイスなのかもしれない。確かに、すぐ泣く男児はすぐ泣く女児に比べて嘲笑の対象になりやすかった。
対して女児はというと「女の子がはしたない!」という指摘が多かった。
大股開きや下ネタ、派手な格好や露出の多い格好など。でも、こちらも確かに変態が加害を自己正当化しやすい要因だからこその、ありがたい指摘とも言える。
また、男性は「女性を守る」ことを強いられるとも聞く。シンプルに筋力や体力で勝っているということもあるが、出産が免除されている分、経済的にも妥協が許されない感が女性よりもある。
合理的に考えれば生活しているだけの稼ぎがあれば十分だが、現実的にはやはりプライドを守るために女性よりいろんな面で強くあろうとする男性は多いなと感じる。
対して、女性は敵が多い。シンプルに男性より体格・体力・筋力で劣るし、男性の性欲由来の行動力はまじでバカにならない。法律もあらゆる制度も「女性の味方」っぽく見えている男性もいるみたいだが、センシティブに語られる極一部の女有利に見える事例の裏で、どれだけの女が泣き寝入りしてきたか。
今週の「エクソシストを堕とせない」でも言われていたが、性被害なんて女にとっては歴史的にもありふれたことなのだ。
だからこそ自分の身は自分で守らなきゃいけないし、大人達からはある種の愛情として「自分の身は自分で守る」という強さと、そうしない女は被害に遭って当然という歪んだ自己責任論を求められてきた。
異性への不満から異性の生きづらさが見えてくる
「自分は犯罪者じゃないのに女に警戒される!」を生きづらさとする男性もいるが、じゃあ自衛すればいいのではないか。
女は自衛を求められている。だから男を警戒する。"not all men, but always men"だから。
警戒されるのが嫌なら、自分だって家から出ないとか、夜道を歩かないとか、走って女を追い抜くとか、自衛すればいいじゃないか。
そういう思考にならないのは、「自分の身は自分で守る」ことに慣れていない、慣れる必要がない、つまり恵まれていることの証左である。
痴漢の話題でもすぐ冤罪冤罪言うやつもいるが、まともな男性はカバンやつり革の持ち方を工夫したりしている。強さを認められる人は、その強さの副作用をちゃんと理解し、自衛できるんだよ。
逆に言えば、女性が男性の「"プライドが傷つかない"を優先に物事を判断する」が理解できないのも、そういう習性を持たない生きやすさとも言える。性欲やプライドが本能レベルで思考を邪魔してくるって、女に当てはめれば一種の月経前症候群の症状みたいなもんだもんな。たぶん。
女は負けることに対してあまり言い訳を必要としないし、だからこそそれもある意味女の生きやすさなのかもしれない。
まあそりゃ強い方がいいからな
「強さを求められる」ことが生きづらさにされがちだが、まぁそりゃ求められるっていうか、何事も弱いより強い方がいいに決まってるもんな。
弱いことが原因で被る不利益は多いうえに割と明快なのだから、今より少しでも強くあろうとすればいいのに。そうしないくせに生きづらいヅラするのって、なんか生きづらさと共依存したいだけなのかなって思う。
「弱きを助け、強きを挫く」は強者側の言い分であり、弱者が口を開けて待つものではない。強者が得られる特権(男はモテ、女は身の安全など)を、強者に近づく努力もなしに得ようったって無理だ。
もちろん各ご家庭の教育方針や部活ごとに、求められる強さの強弱はあるだろうが、じゃあそれって性差じゃないじゃん。「男性/女性の生きづらさに目を向けてほしい」というなら、そんな粒度じゃダメでしょ。
「強さを求められる」を生きづらさにするの、もう辞めないか?
だって強い方がいいって、自明すぎるんだもん。
それを生きづらさにするの、アホみたいだよ。
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