休むということ#3 :【生活を整える】心地よい日常をつくる
こんにちは、ひびきです✨️
今回は「休み」の4段階の3つ目、
「休むために、日常生活を整える」について考えます。
2つ目「心の状態を知る」編はこちら👇
部屋には、今までの「わたし」が詰まっている
寝たきりになって暫く経ったころ、気づいたことがあります。
部屋の片隅に積み上げられた雑誌が気になる。
それは小学生の頃から応援していたアーティストの雑誌でした。
大学院に進学してから、部屋の本棚は専門書が占拠し、床まで侵食。
行き場のなくなった漫画のほとんどはブックオフへ。雑誌も一緒に処分しようかと手に取ると、青春時代の思い出が蘇り捨てるに捨てられず、ほこりをかぶったまま、わたしの部屋の片隅に長年鎮座するようになったのです。
もう長いこと、新曲すら追えてないのに。
思い切ってメルカリに出品すると、瞬く間に売れました。さらに「貴重なお品をありがとうございます!」「大切にします!」というメッセージをいただいたのです。
あぁ、あるべき物が、あるべき場所に収まったのだ、と思いました。
わたしはというと、雑誌の山がなくなったことで、
その周辺に溜まっていた綿ぼこりがなくなり、
部屋が少し広くなったように感じました。
「寝に帰る場所」から「暮らす場所」へ
今まで、家は寝に帰るだけの場所でした。
多少散らかっていても、いらないものが増えていっても、寝られれば良い。
それが「半寝たきり」生活になったことで、部屋は単なる「ハコ」から「生活空間」になりました。
だからこそ「生活空間」にとっては異質な「古びた雑誌の山」が、目につくようになったのだと思います。
違和感を捨てて、安心を増やす
それからわたしは「違和感があるもの」を捨て、「安心するもの」「快適なもの」に置き換えるようになりました。
カーテン:高機能なものに買い替え、自動開閉で目覚めをスッキリ
寝具:Tシャツ&ハーフパンツから、長袖の二重ガーゼのパジャマへ。冷え対策として、足元に湯たんぽを入れて就寝😊
収納:ラックを2台買って、床面積と清潔感をアップ
空気:業者によるエアコンクリーニングで空気も清潔に
こうして衣食住を整えるだけで、QOL(生活の質)は劇的に上がる。
そんな「大発見」をしたつもりになっていたわたしですが、ある本に驚かされることになります。
昔から変わらない「休み方」の知恵
ナイチンゲールの『看護覚え書』を手にとってのは、休職から2年ほど経った頃でした。
わたしが試行錯誤しながら整えていた「療養生活の工夫」が、160年以上も前に言語化されていたのです。それも、今でも看護師の必読書になっているとか。
がっでむ!
湯たんぽについても書かれてるじゃないか!
湯たんぽと聞いて、どう思いましたか?
以前のわたしであれば、「はいはい、知ってる。昔の人が使ってたやつね」と、笑って受け流していたでしょう。
それこそが、療養生活における
ミラクル☆アイテムになるとも知らずに。
健康な時は、とるに足らなかったものが
療養する上では「生活の知恵」になる。
世界の見え方が変わっていくのを感じました。
人もまた、生活環境の一部である
病気になると「人との関わり方」も変わってきます。
まず、だれかに頼る場面が増えました。
生活面ではもちろん、精神面でもです。
弱気になったり、自暴自棄になったりもします。
そんな時、
誰に頼るか。
誰の言葉を聞くか。
誰と距離を置くか。
それは、何を着て、何を食べて、どこで寝るか。
つまり衣食住と同じくらい、生活の一部になっていきました。
時には「この人とどう付き合っていこうか」と、
悩むこともあります。
意外なことに『看護覚え書』でも、わたしと同じように、多くの患者が「人」や「社会」に対して悩む様子が描かれていました。
どうやら人との距離感もまた、
整えるべき「生活環境」の一部のようです。
頼れる相手を増やして、「予想外」を回避する
いちばん身近な存在といえば、同居する家族です。困った時、真っ先に頼る相手になることも多いでしょう。
一方、家族といえど、別の人間。
「わたしと介助人生を歩んで」とも言えません。
それでも療養していると、
日常的に「お願い」をすることが増えます。
その「お願い」に対する「反応が読めないこと」は、わたしにとって、大きなストレスでした。
嫌な顔をされないかな。
揉め事にならないかな。
もういっそ、自分でやっちゃおう。
こうした患者の心境は、
『看護覚え書』でも指摘されています。
担当者に管理の心構えがないとなると、患者は、無理をしてでも自分で〈できる〉ことは何でも自分でしたほうがまし、ということになる。
つまりそれだけ患者の不安はすくなくてすむからである。
中途半端な努力がかえって患者の不安をかきたてる。
なぜならそれは中途半端でしかないから
そこで無理をしないために、
患者ができることは何でしょう。
それは、頼る先を絞らないことです。
頼れる相手は、家族だけとは限りません。
友人、訪問サービス、冷凍宅配弁当かもしれません(家族の負担も軽くなります)。
例えばわたしの場合。
通院時の駅までの送迎は
父にお願いしていたのですが、
いつも何だか噛み合わなくて(笑)
それが通院以上のストレスだと気づいて、
思い切って、親戚のおばさんに頼ったり、
タクシーを利用したりすることにしました。
すると毎月の通院が、驚くほど快適に・・・!
勇気をだして、いろんな人に甘えてみる。
そうすることで、生活が少し楽になりました。
「善意」の言葉に振り回されない
闘病したことのある人であれば、経験したことがあるのではないでしょうか。病人の「甘え」を諭し「アドバイス」をする人です。
それが患者にとって「安全なのか、現実的に可能なのかを知りもせず」、おせっかいな忠告や励ましをする人間に対して、ナイチンゲールはこう言います。
彼らのずうずうしさは驚嘆に値する。それはちょうど、患者の骨折を知りもしないで運動を勧めるのと同じである。
十二、おせっかいな励ましと忠告:忠告者たちの驚くべき大胆な忠告
わかるわかる(笑)
わたしも実際に言われました。
「PMSじゃない?」
「気にし過ぎじゃない?」
「体力つけないからだよ。運動したら?」
「そんな治療、効果があるとは思えないけどね」
忠告であれ励ましであれ、それでモヤッとするなら
その声からはそっと距離を置きましょう。
気になるようであれば、主治医に相談すれば良いのです。
「世間の声」より、「体の声」にしたがう
わたしが休職する少し前。
上司に在宅勤務の相談をしていた時、
周りから聞こえてきた言葉があります。
「普通に元気そうにしてますけどね。」
彼は知っているのでしょうか。
出勤と同時に職場のソファーで2時間横になり、退勤前にも同じように体を休めていたことを。そうでもしないと、あまりの倦怠感と、全身を刺すような痛みで、起き上がることすらできなかったことを。
ただ、休んでいた分を挽回しようと、人前では人一倍、頑張ろうとしていたことも確かです。今振り返るとそれは、エネルギーの前借りをしていたに過ぎず、かえって事態を悪化させてしまったように思います。
そんな実体験も相まって、このナイチンゲールの言葉には、はっとさせられました。
人間は何かに懸命に努力している最中に元気を失うようなことはまずない。あったとしても稀である。問題になるのは、それが終わった後なのである。(…)患者が努力の最中で気持ちが昂ぶっているときだけを見て判断することが多いが、これは最も愚かなことである。
四、物音:努力しすぎた影響が病人に現れるとき
本当の患者の状態は、ある一点を見ただけではわかりません。
それでも、その瞬間に見える姿だけで判断されることがあります。
元気そうに見えれば「本当に病気なの?」と言われ、少し楽しそうにしているだけで「休職中なのに」と言われることもあります。
ただ、そんな声に気を遣って、病人らしい顔をすることが、健全な関係とは思えません。
大切なのは、その「努力」や「贅沢」が、 体にとって本当に良いものなのか。世間の声ではなく、身体の声に耳を傾けることだと思います。
心地よい日常をつくる
積み上げられた雑誌を捨てる。
通気性、吸放湿性の高いパジャマを着る。
色んな人に頼って、傷つける人と距離をおく。
療養生活での「休む環境づくり」は、
あらゆる人が、健康的な生活を送るための
ちょっとしたコツに過ぎませんでした。
病気になると、心も体も「余計なもの」に耐えられなくなるから、その大切さに気づけたのかもしれません。
わたしは、こんな年になっても、生きていくための環境について、深く考えたことがありませんでした。それはきっと、外に目を向ければ、魅力的なものがたくさんあったから。
旅行したり、本を読んだり、
友だちと遊んだり、将来のための挑戦をしたり。
生活を整えることは、どこか地味で、後回し。
それはまるで、
着飾った服の下に、よれた下着をつけるように。
見えないところは、ついつい手を抜いちゃう。
まずは今まで、外で一生懸命
生きてきたわたしを褒めてあげよう。
でもこれからは、
自分にとって心地良いのものって何だろう?
その応えを、自分の中に探ってみようと思います。
そんな新しい日常を作っていくことも、
大切な「休む時間」になるのかもしれません。
次回は「体のことは、体にきく」です。

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